――菅義偉は複数の日本人が事件に巻き込まれている可能性を7月2日朝6時頃把握していたなら、尚更に日本人の安否を気遣って官邸にとどまらなければならなかった――
7月4日の当「ブログ」でダッカ人質邦人等殺害テロ事件発生中に官房長官の菅義偉が午前11時半からの国家安全保障会議(NSC)を欠席、新潟県内2カ所で予定していた参院選自民党候補応援の街頭演説のために午前10時前に新潟に向けて官邸を留守にしたことを人質となっている日本人の安否よりも選挙応援を優先させたと書いたが、安倍内閣の超マニュアル主義な対テロ危機管理がそうさせた菅義偉の新潟選挙遊説なのを次の記事が教えてくれている。
以下の解釈の妥当性を判断して貰うために記事全文を参考引用することにする。
《人質情報、2日早朝には入手=邦人安全確保に限界も-政府(時事ドットコム/2016/07/05-17:31)
バングラデシュの飲食店襲撃テロ事件の日本人犠牲者7人の遺体が5日、帰国した。日本政府は事件発生直後から、邦人人質の有無など迅速な情報収集に全力を挙げた。2013年のアルジェリア事件以降、テロ対策の強化を図ってきた政府。しかし、海外で活動する邦人の安全確保の難しさも浮き彫りになった。今回の政府対応を検証した。
ダッカの襲撃テロ事件は日本時間2日未明(現地時間1日夜)に発生。邦人が巻き込まれた可能性があるとの情報について、政府は同日午前6時頃には把握していた。菅義偉官房長官と杉田和博官房副長官はひそかに首相官邸に入り、陣頭指揮に当たった。
「日本人8人が戻ってこない」。一報は、被害者らが使った車のドライバーからもたらされた。政府関係者は「朝の時点で、5、6人の氏名は入ってきていた」と証言する。複数の邦人が巻き込まれたことはほぼ確実と判断したため、菅長官は同午前8時半ごろに首相官邸で記者会見。人質に日本人がいる可能性を明らかにした。
政府は、日本人10人が死亡した13年のアルジェリア人質事件などを受け、テロ対策を強化。省庁横断でテロ関連情報の収集・分析に当たる「国際テロ情報収集ユニット」などを創設した。
今回の事件で、政府は同ユニットメンバーを現地に派遣したが、現地入りする前に既に特殊部隊が突入。政府関係者は「アルジェリア事件のような長期戦に備え、ユニットをまず送り込むことが重要だった」と振り返るが、日本側がバングラデシュ側の情報機関などと接触し、状況分析に当たるには至らなかった。
テロ集団の武装が高度化し、犯行が凶悪化する中で、在外邦人の安全確保が難しさを増していることは間違いない。外務省は短期旅行者らに、最新の安全情報などをメールで知らせる「たびレジ」などを運用しているが、テロ回避は各個人の判断に頼らざるを得ない面が強い。5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)でも、テロ対策は主要議題となったが、策定した対テロ行動計画は即効性に欠けるのが実情だ。
首相官邸の危機管理の在り方も、議論となった。安倍晋三首相は2日に予定していた参院選の北海道遊説を取りやめたが、菅長官は新潟で遊説を行い、一時官邸を不在にした。政府関係者は「菅長官がいなくても、対応が遅れたことは一切なかった」と強調するが、野党からは「官房長官は危機管理の要だ。のんきに街頭演説していて本当にいいのか」(岡田克也民進党代表)などと批判が出ている。政府内からは「こんなに早く突入するとは思っていなかった。もっとこう着状態が続くと思っていた」との声も漏れた。
バングラデシュの飲食店襲撃テロ事件の日本人犠牲者7人の遺体が5日、帰国した。日本政府は事件発生直後から、邦人人質の有無など迅速な情報収集に全力を挙げた。2013年のアルジェリア事件以降、テロ対策の強化を図ってきた政府。しかし、海外で活動する邦人の安全確保の難しさも浮き彫りになった。今回の政府対応を検証した。
ダッカの襲撃テロ事件は日本時間2日未明(現地時間1日夜)に発生。邦人が巻き込まれた可能性があるとの情報について、政府は同日午前6時頃には把握していた。菅義偉官房長官と杉田和博官房副長官はひそかに首相官邸に入り、陣頭指揮に当たった。
「日本人8人が戻ってこない」。一報は、被害者らが使った車のドライバーからもたらされた。政府関係者は「朝の時点で、5、6人の氏名は入ってきていた」と証言する。複数の邦人が巻き込まれたことはほぼ確実と判断したため、菅長官は同午前8時半ごろに首相官邸で記者会見。人質に日本人がいる可能性を明らかにした。
政府は、日本人10人が死亡した13年のアルジェリア人質事件などを受け、テロ対策を強化。省庁横断でテロ関連情報の収集・分析に当たる「国際テロ情報収集ユニット」などを創設した。
今回の事件で、政府は同ユニットメンバーを現地に派遣したが、現地入りする前に既に特殊部隊が突入。政府関係者は「アルジェリア事件のような長期戦に備え、ユニットをまず送り込むことが重要だった」と振り返るが、日本側がバングラデシュ側の情報機関などと接触し、状況分析に当たるには至らなかった。
テロ集団の武装が高度化し、犯行が凶悪化する中で、在外邦人の安全確保が難しさを増していることは間違いない。外務省は短期旅行者らに、最新の安全情報などをメールで知らせる「たびレジ」などを運用しているが、テロ回避は各個人の判断に頼らざるを得ない面が強い。5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)でも、テロ対策は主要議題となったが、策定した対テロ行動計画は即効性に欠けるのが実情だ。
首相官邸の危機管理の在り方も、議論となった。安倍晋三首相は2日に予定していた参院選の北海道遊説を取りやめたが、菅長官は新潟で遊説を行い、一時官邸を不在にした。政府関係者は「菅長官がいなくても、対応が遅れたことは一切なかった」と強調するが、野党からは「官房長官は危機管理の要だ。のんきに街頭演説していて本当にいいのか」(岡田克也民進党代表)などと批判が出ている。政府内からは「こんなに早く突入するとは思っていなかった。もっとこう着状態が続くと思っていた」との声も漏れた。
記事を纏めてみる。
(1)日本時間7月2日未明(現地時間7月1日夜)にダッカ人質邦人等殺害テロ事件発生。
他の記事は日本時間7月2日午前0時半頃、(現地時間7月1日午後9時30分頃)となっている。
(2)安倍政権は事件発生から5時間後の日本時間7月2日午前6時頃には複数の日本人が事件に巻き込まれた可能性を把握。
(3)省庁横断でテロ関連情報の収集・分析に当たる「国際テロ情報収集ユニット」メンバーを現地に派遣。
「国際テロ情報収集ユニット」とは「Wikipedia」によると、組織の本部は外務省に設置、外務省、警察庁、防衛省、公安調査庁、内閣情報調査室から派遣対象国の語学や地域情勢に詳しい約20人をスタッフとして選抜、北アフリカ、中東、西南アジア、東南アジアの4班に別れて現地の大使館に赴任、情報収集と各国情報機関との連携を図る目的で2015年12月8日に発足したとなっている。
この4個所の海外拠点は別記事によると、エジプトのカイロ、ヨルダンのアンマン、インドのニューデリー、インドネシアのジャカルタとなっていて、上記記事が「同ユニットメンバーを現地に派遣した」と書いてあるのはインドネシアのジャカルタからの派遣なのだろう。
2015年12月8日付発足の対テロ対策組織は外務省設置の「国際テロ情報収集ユニット」だけではない。《国際テロ情報収集・集約体制の強化》(内閣官房・外務省/平成27年12月8日)のページには既設の「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」(本部長内閣官房長官)に「国際テロ情報収集・集約幹事会」(議長:内閣官房副長官)を新設、さらに内閣官房に「国際テロ情報集約室」(室長内閣官房副長官)を新設して、二重三重のテロ対策網を構築している。
そしてこの記事には、「邦人が犠牲となった国際テロ事案等」の欄の最初に、〈2013年1月 在アルジェリア邦人に対するテロ事件。邦人10名が死亡。AQIM(イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ)関連組織が犯行声明。〉とあり、最後に、〈2015年10月 バングラデシュ・ロングプール,邦人1名が射殺。「イスラム国バングラデシュ」と称する組織名が犯行声明。〉と記述されている。
当然、バングラデシュも安倍内閣の既設・新設を問わないテロ対策機関の情報収集と現地情報機関との連携の対象国となっていたことになる。
尤も日本の対テロ組織用の情報機関がいくらバングラデシュの情報機関と連携を図ろうと、バングラデシュの情報機関が今回のテロ事件を把握していなかったのだから、その情報が日本側に回ってくるはずはないが、しかし襲撃現場に派遣された治安部隊は事件発生後の経過を刻々とバングラデシュ政府内の治安本部に連絡するだろうから、犯人側から何らかの要求があったのか、なかったのか、人質解放を優先させるのか、アルジェリア邦人等人質殺害テロ事件のように武力制圧を優先させるのか、本部に無線や携帯電話等を使って情報を求めていいはずだが、「国際テロ情報収集ユニット」メンバーを多分、インドネシアからダッカへ派遣したが、何の情報も得ることができないままにメンバーが現地入りしたものの、その前に治安部隊が武力制圧の作戦を開始、突入に間に合わなかった。
この日本の「国際テロ情報収集ユニット」とダッカの情報機関、あるいは治安機関との連携はどうなっていたのだろうか。どのような内容の連携だったのだろうか。
そして何よりも問題なのは、長期戦になることだけを想定していたことである。政府関係者等の発言がそれを証明している。
政府関係者「アルジェリア事件のような長期戦に備え、ユニットをまず送り込むことが重要だった」
政府関係者「こんなに早く突入するとは思っていなかった。もっとこう着状態が続くと思っていた」
要するにアルジェリア事件の経過のみを学習対象として、その学習をマニュアル(=学習材料)とし、今回のダッカ事件に備えるための対テロ危機管理を構築していた。
この構築を裏返すと、ありとあらゆるケース・展開を想定して、その中から今回のダッカ事件の進行に応じてケース・展開を絞っていく、柔軟で臨機応変の危機管理方法を採っていなかったことになる。
採るためにはレストラン内部の犯人側の動きは知ることができなくても、バングラデシュ政府側の動きを知るためにその情報機関か治安機関と同時併行的に密に連絡を取り合わなければならない。
だが、取らなかったために武力制圧に出るのか出ないのか、その動きすら情報として把握することができなかった。
どう見ても最初からアルジェリア事件の長期戦を想定・マニュアルとした、そのことだけに限定した、いわば超マニュアル主義な対テロ危機管理に陥っていたようだ。
だから、官房長官の菅義偉は急には大した動きはないだろうと踏んで、国家安全保障会議まで欠席して午前10時前に首相官邸を留守にして新潟県の自民党候補の参院選応援に駆けつけることができた。
外務省や内閣官房に二重三重のテロ対策機関を設置し、海外の4個所に現地拠点を築いてテロに関わる情報収集と各国情報機関との連携を図るテロ対策を打っていながら、日本人を人質としたテロ事件がいざ発生すると、現地の情報(=動き)を参考にしないままにアルジェリア事件をマニュアルとした危機管理限定で対応する。
柔軟な想像力(創造力)をどこにも窺うことができないと言うことだけではない。テロ対策機関そのものが機能不全の状況を呈していた。
菅義偉がダッカテロ事件が進行中でありながら、国家安全保障会議を欠席して新潟へ自民党候補選挙応援のために出かけたことが危機管理を見誤ったためだとしても、事件が進行中であることに変わりはないのだから、内閣の要たる官房長官が官邸を離れたのは、例えその間に日本人を含めた人質が殺害されなくても、あるいは殺害されていなくても、何事も、特にテロ事件は不測の事態を想定、そのことに備えなければならないのだから、人質となっている日本人の安否よりも選挙遊説を優先させた事実に何ら変更を加えることはできない。
安倍晋三がテロとの戦いを言い、テロには屈しないと言っている裏で安倍政権のテロ対策機関は機能不全に陥り、硬直した超マニュアル主義な対テロ危機管理に侵されていた。
事件終了後に政府専用機で遺族を乗せて現地に飛び、遺体を日本に運ぼうと、あるいは遺族に高額な弔慰金を支払おうと、こういったことで帳消しにできる政府のヘマではないはずだ。