菅首相の国民へ税負担増要求、では今の格差社会、不公平社会は負担が小さかったから生じたのか

2010-08-07 07:05:06 | Weblog

 菅総首相が4日の参議院予算委員会で社会保障の充実を目指すため、国民に税や社会保険料の負担をある程度求めざるを得ないという認識を示したとの前書きで、「NHK」記事――《“社会保障充実へ負担も”》(10年8月4日 19時18分)が民主党の櫻井政策調査会長代理の質問とそれに対する菅首相の答弁を伝えている。

 櫻井政策調査会長代理「菅総理大臣が、総理大臣として日本をどういう国にしたいのか、よくわからない。目指すべき社会像はどういうものなのか」

 菅首相「負担はある程度必要だが、誰もが安心でき、活力のある社会を選ぶか、負担は小さいが、格差が大きくて、多くの人が不安に感じる社会でとどまるのか。私としては、負担はある程度必要だが、誰もが安心でき、活力ある社会を目指す方向で国民の理解を得ていきたい」――

 これは自民党政権も言ってきたことで、菅首相が初めて言い出したことではない。低福祉、低負担か、中福祉、中負担か、はたまた高福祉、高負担か等々も同列にある、分かりきったことを持ち出して、さあ、どちらにするかと迫る選択の強請(きょうせい)であろう。

 政治家たちが日本の財政を散々悪化させておいて、それを健全化させなければ立ち往生しかねなくなって、税金を上げて手当したい衝動から交換条件紛いに持ち出した、答えは分かっている十八番の強請である。

 誰にしたって、「負担は小さいが、格差が大きくて、多くの人が不安に感じる社会でとどまる」のは真っ平ごめんに決まっている。

 「負担はある程度必要だが、誰もが安心でき、活力のある社会」の方がいいに決まっている。だが、「ある程度必要だ」とする「負担」がどの程度なのかを問題とし、思い悩む生活者、国民がどれ程存在するか、菅首相にしても、前任者の総理大臣たちにしても、常に深く認識していた上で、この手の交換条件紛いの選択の強請を行ってきたのだろうか。

 少なくとも菅首相が認識していなかったことはマニフェスト記者会見での不用意な消費税増税発言が先ず証明していたことであり、その発言が参議院選挙でしっぺ返しを喰らったことが何よりも証明している。

 政権運営を成り立たせるために菅首相自身の節操まで奪って、前以て野党のご機嫌伺いに執心させる程のしっぺ返しである。菅首相のこのご機嫌伺いは政策上の節操まで奪う予感を既に漂わせている。

 民主党枝野幹事長の選挙の結果をまだ見ない選挙中から野党との連携を持ちかけたこと自体が、野党の協力なしに政局運営が立ち行かなくなる手詰まりの前知らせ――前兆だったのかもしれない。

 だが、何よりもどちらがいいのかの分かりきっていることの選択の強請にゴマカされて、菅首相の発言の内容自体の矛盾、胡散臭さに誰も気づいていないのではないだろうか。

 「負担は小さいが、格差が大きくて、多くの人が不安に感じる社会でとどまるのか」と半ば威しのように言っているが、では、今の格差社会、不公平社会は負担が小さかったから生じたということになるが、果してそうだろうか。

 1988年(昭和63年)の竹下内閣時に税率3%とする消費税法が成立、翌1989年(平成元年)4月1日に消費税法施行。これは「負担はある程度必要」とされたことからの消費税導入であり、この時点で国民の負担は増えた。

 当然、少なくとも消費税率3%分は不景気を要因とせずに、「誰もが安心でき、活力ある社会」となっていいはずである。

 不景気が例え負担を前提としたとしても、「誰もが安心でき、活力ある社会」実現の阻害要因となるなら、菅首相の国民が負担に応じた場合の約束は約束でなくなる。国の経済が不景気に陥った場合は約束できませんとはっきり断るべきだが、菅首相の場合は「強い経済」、「強い財政」、「強い社会保障」の一体的実現を訴えていて、消費税増税という国民負担をその実現に欠かせない条件としているのだから、不景気の入り込む余地はない。

 竹下自民党政権にしても、日本を格差社会、不公平社会に持っていくために3%の消費税の負担を導入したわけではあるまい。

 だが、消費税法が施行された1989年は1985頃から1990年頃にかけて日本に発生したバブル経済の末期に当たるが、導入当初は景気後退局面を迎えたとしても、何年か後にはバブル崩壊を手当して、「誰もが安心でき、活力ある社会」に向かっていいはずが、1990年半ばから2000年前半にかけて失われた10年の平成不況を迎えることとなって、「誰もが安心でき、活力ある社会」とはならなかった。

 多分、経済を回復するためにも国の財政を改善するためにも、「負担はある程度必要だ」、そうしなければ「誰もが安心でき、活力のある社会」の実現は難しいと考えたのだろう、失われた10年後半の1997年(平成9年)4月1日に消費税率を3%から5%に引き上げる新たな負担を国民に課している。

 これは村山内閣で内定していた地方消費税の導入と消費税等の税率引き上げ(4%→地方消費税を合わせて5%)を橋本内閣が実施ものだと「Wikipedia」に書いてある。

 「負担はある程度必要だが、誰もが安心でき、活力のある社会を選ぶか、負担は小さいが、格差が大きくて、多くの人が不安に感じる社会でとどまるのか。私としては、負担はある程度必要だが、誰もが安心でき、活力ある社会を目指す方向で国民の理解を得ていきたい」と村山首相にしても橋本首相にしても言ったかどうかは分からないが、少なくともそういった意思に基づいて国民負担を決定したはずだ。

 それでどうなったか。「誰もが安心でき、活力のある社会」が実現できたのか。実現できなくても、そういった社会に向かう予感を国民に与えることができたのだろうか。

 消費税3%から5%増税による国の税収増だけではなく、日本は2002年2月から2007年10月まで「戦後最長景気」を迎えることができ、大企業が軒並み記録した戦後最高益による税収増によって国の財政に少しは余裕ができ、「誰もが安心でき、活力のある社会」に向かって少なくとも一歩前に、いやもっと控え目に見たとしても、半歩は前に進んだはずである。

 だが、大企業が軒並み戦後最高益を記録した「戦後最長景気」は非正規社員を大量に雇用して賃金を抑制、正社員の賃金も伸びない、当然個人消費が伸びない、低迷した、国民に「誰もが安心でき、活力のある社会」を何ら約束することはなかった、企業のみが利益を吸い上げて独占し、労働者には利益の再配分を怠った「戦後最長景気」とは名ばかりの倒錯した景気だった。

 「誰もが安心でき、活力のある社会」どころか、逆に各種格差が拡大していった。正社員と非正規社員の生活格差、収入格差、カネ(=収入)が大部分学歴を保証したことによる学歴格差、都市と地方の格差等々。

 いわば「誰もが安心でき、活力のある社会」を約束するはずのこれまでの負担は何もならない負担であったばかりか、逆に多くの国民に犠牲を強いる負担となっていた。

 その最大例の一つが、菅首相も6月11日の所信表明演説で、「年間3万人を超える自殺対策の分野で、様々な関係機関や社会資源を結びつけ、支え合いのネットワークから誰一人として排除されることのない社会、すなわち、『一人ひとりを包摂する社会』の実現を目指します」と理想郷を謳っているが、12年連続自殺者3万人突破の経済大国にふさわしい大記録であろう。

 現在の格差社会、不公平社会は決して負担が小さかったから生じたわけではなかった。少しずつ、特に低所得層には重荷となる負担を求めてきた中で発生した格差社会、不公平社会であった。

 負担の小ささが格差社会、不公平社会成立の条件となるわけではない、また負担が「誰もが安心でき、活力ある社会」を約束する条件とは必ずしもならないとなると、菅首相の発言全体が正当性ある内容とは言えなくなる。

 そうであるにも関わらず、ここにきて、「負担はある程度必要だが、誰もが安心でき、活力のある社会を選ぶか」と新たに負担を求める。

 この新たな負担が、「誰もが安心でき、活力のある社会」を必ずしも保証するものではないことをこれまでの経緯が証明していることを無視して。

 「負担はある程度必要だが、誰もが安心でき、活力のある社会を選ぶか」と、負担に応じれば「誰もが安心でき、活力のある社会」をさも保証するかのようにバカの一つ覚えとなっているセリフをさも真理であるが如くに繰返す。

 小賢しさの匂いをさえ感じる。

 過去の経緯を振り返って、一筋縄ではいかない余程の覚悟、国家経営の強い危機管理意識で臨まないことには、国民の新たな負担をこれまで同様にドブに捨てることになるに違いない。


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