野田首相が沖縄復帰40周年で約束すべきは本土並みの基地負担と経済振興であろう

2012-05-16 11:24:12 | Weblog

 昨5月15日(2012年)は沖縄本土復帰40周年式典が沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開催され、野田首相が出席、式辞を述べた。相変わらず多くの人の胸を打ち、感動させる美しい言葉の連なりとなっている。

 式辞は首相官邸HP〈沖縄復帰40周年記念式典 内閣総理大臣式辞〉によった。

 先ず冒頭。

 野田首相「1972年5月15日。あの晴れがましい歴史的な本土復帰の日から、本日で40年を迎えました。

 この5月15日は、まず何よりも、『鎮魂と平和への決意』を新たにする日でなければなりません。先の大戦で奪われた、あまりに多くの尊い命。終戦後も、占領下に長く置かれた沖縄県民の言われなき苦しみ。沖縄が歩んでこられたそうした苦難の道のりを噛みしめ、平和で豊かな沖縄の未来を願い続けた先人の事績を決して忘れてはならぬ。そうした思いを改めて強くしています」

 確かに「1972年5月15日」は「晴れがましい歴史的な本土復帰」を刻んだ日だったろう。そして日本は復帰のその日から現在に至る40年の歴史に於いて、その晴れがましさを具体的な実績で以って形とした。40年前の復帰のあの高揚感を間違いのないものだと証明した。

 それが 全国土0・6%の沖縄県に在日米軍基地約74%集中の「過重な基地負担」と全国平均1人当たりの年間所得279万1000円に対する沖縄県民1人当たり年間所得204万5000円、被災3県を除く2011年平均完全失業率4.5%を遥かに上回る沖縄県失業率約7%の「本土との経済格差」である。

 戦前から復帰前までの「沖縄が歩んでこられたそうした苦難の道のりを噛みしめ、平和で豊かな沖縄の未来を願い続けた先人の事績」に応えたのである。

 だからこそ、野田首相は声量ある堂々とした、よく響く声で胸を張って式辞原稿を読み上げることができた。

 だからこそ、野田首相は続いて、「5月15日は、これまでの沖縄県民の努力を称え、すべての同朋が沖縄に寄り添っていく思いを新たにする日でもあります」と言うことができた。

 すべての日本人が、すべての「同朋」が日本への復帰を果たしたあの日から「沖縄に寄り添っていく思い」を持ち続けたからこそ、「過重な基地負担」と「本土との経済格差」を40年も引きずってこられたのである。

 さあ、その思いを新たにしようと野田首相は高らかに宣言した。

 ということは、「過重な基地負担」と「本土との経済格差」を今後共引きずっていくということなのだろうか?

 野田首相「復帰後、今日に至るまでの40年間、沖縄は、県民自らのたゆみない努力によって、あまたの困難を乗り越えながら、力強い発展を続けてきました。政府としても、4次にわたる振興計画を実施し、様々な特別措置を通じて、県民の努力を全力でお支えしてまいりました。これらが相まって、この40年間で、社会資本の整備が着実に進み、生活水準も格段に向上してきたことは疑いのないところです」 

 復帰以降のこの40年間に於ける政府の「4次にわたる振興計画」実施(国からの公共投資は約10兆円規模だそうだ。)が社会資本整備の着実な進行と生活水準の格段の向上をもたらしたと言っているが、そのような発展の成果としてある「過重な基地負担」と「本土との経済格差」だとしなければならない。

 「過重な基地負担」と「本土との経済格差」は紛れもない事実・紛れも無い現実として存在しているのだから。

 勿論、そこには沖縄「県民自らのたゆみない努力」があった。

 だが、沖縄県民が目指した目標が「過重な基地負担」と「本土との経済格差」ではあるまい。結果的に沖縄県民の目標に反して政府が目指した目標となったのである。

 このことは勿論、野田首相は痛い程に自覚していなければならないはずだ。何と言っても、日本の首相である。

 野田首相「そして、5月15日は、沖縄の未来に思いを馳せる日でもあります。私たちは、世界の重心がアジア太平洋地域に移りつつある歴史の変動期を生きています。それはすなわち、アジア太平洋の玄関口として、沖縄が新たな発展の可能性を身にまとったことを意味します。豊かな自然環境や温暖な風土。琉球の輝かしい歴史に裏付けられた独自の文化。日本一若い県民の持つ清々しい活力。そして雄飛の覇気を持って海外にはばたき、世界中にネットワークを有するウチナーンチュ。こうしたすべての潜在力を発揮させることで、沖縄がますます輝きを増していく。そういう時代がやってこようとしているのです。

 既に、観光と情報通信技術は、沖縄経済を牽引しています。那覇空港は、いまや国内第3位の国際物流拠点に成長しています。いずれも、日本再生のために我が国全体で取り組もうとする方向性を先取りしたものです」

 日本の政治が、歴代の日本の政府が復帰以降の沖縄の未来に対して結果的に「過重な基地負担」と「本土との経済格差」を目標としたことを痛い程に自覚しているからこそ、野田首相は5月15日を「沖縄の未来に思いを馳せる日でもあります」と言うことができる。

 いや、全然その逆だ。

 復帰の5月15日に「沖縄の未来に思いを馳せ」てこの始末なのだから、そのことを踏まえているとしたら、5月15日が巡ってくるたびに「沖縄の未来に思いを馳せる日でもあります」とするなら、「沖縄の未来」は依然として「過重な基地負担」と「本土との経済格差」を予定調和とすることになる。

 いわば「世界の重心がアジア太平洋地域に移りつつある歴史の変動期」にあろうと、「アジア太平洋の玄関口として、沖縄が新たな発展の可能性を身に纏」おうと、「過重な基地負担」と「本土との経済格差」を残滓とすることになる。

 大体が、沖縄の「豊かな自然環境や温暖な風土。琉球の輝かしい歴史に裏付けられた独自の文化。日本一若い県民の持つ清々しい活力。そして雄飛の覇気を持って海外にはばたき、世界中にネットワークを有するウチナーンチュ。こうしたすべての潜在力」は少なくともアメリカの占領から解放されて本土復帰を果たして以来、自らが自らに対して恃(たの)みとしてきたエネルギーとして存在していたのであり、そのようなエネルギーを以てしても自らが目標としたのではない、「過重な基地負担」と「本土との経済格差」背負わされることになったのである。

 いわば日本の政治の力、歴代の日本政府の力には勝てなかった沖縄のエネルギーだった。

 もし野田首相がウソ偽りなく、口先だけではなく、心底から沖縄のエネルギーに確かな手応えで未来を感じているなら、沖縄の未来に心底将来性を確信しているなら、日本の政治、あるいは歴代日本の政府がもたらした復帰から40年以降ほぼ変わらない「過重な基地負担」と「本土との経済格差」の歴史的・継続的現実を否定しなければならないはずだ。

 この否定は当然のことだが、日本の政治、歴代政府の安全保障政策、対沖縄政策の全面的な否定によって可能となる。

 両者によって沖縄のエネルギー、沖縄の未来は力を失わされてきたのだから、両者の否定なくして、沖縄のエネルギー、沖縄の未来を語ることはできない。

 対沖縄政策に関しての今年度の沖縄振興総費約3千億円のうち、使途の自由度が高い総額1575億円もの「沖縄振興一括交付金」交付は従来の沖縄振興政策の否定であろう。

 だが、基地問題に関しては従来どおりに小出しの基地負担軽減はあるものの、「過重な基地負担」の決定的な否定はどこにもない。

 野田首相はこの肝心要の否定を行わずに沖縄のエネルギーを語り、沖縄の未来を美しい言葉で語っている。

 野田首相「『沖縄は、日本のフロンティアである』――私のその願いを裏付ける具体的な発展の『芽』が実際に次々と生まれているのです。こうした『芽』をきちんと育て、まさに21世紀の『万国津梁』の要となって、総合的な地域の発展につなげていく。私たちの世代は、そうした責務を負っています。平和で豊かな未来のために沖縄の潜在力を解き放ち、基地負担の軽減を着実に進めていくことは、私の内閣の最重要課題の一つです」

 いわば、「沖縄の潜在力を解き放」つには、基地負担軽減の着実な実現ではなく、従来の安全保障条約を否定し、大きく見直すことからはじめなければ、解き放とうにも解き放つことはできないはずだ。

 実際にもアメリカ軍基地の沖縄県内集中が経済発展の障害、経済振興の障害と看做す声が大きい。解き放ち不可能ということになれば少しぐらいの基地負担の軽減では片付かない、「過重な基地負担」は勿論、「本土との経済格差」も引きずることになる。

 野田首相が言っている「万国津梁」(ばんこくしんりょう)とは既にご存じかと思うが、初めて知った言葉で、「津梁」とは「渡し場と橋の意から、人を導く手引きとなるもの」(『大辞林』三省堂)の意味で、沖縄県により沖縄県名護市に建設され、「九州・沖縄サミット」の首脳会合会場として2000年7月から使用が開始された、東シナ海に面するリゾートコンベンション施設のことだそうだ。

 「21世紀の人を導く手引きの要となって」という意味となる。

 官僚が思いついたのか、野田首相自身が思いついたのか分からないが、なかなか見事な言葉遣いとなっている。

 次いで野田首相は、自由度の高い一括交付金の新設、新たな沖縄振興と基地跡地の有効利活用のための法律等に触れ、肝心要の安全保障に触れる。

  野田首相「沖縄振興とあわせ、沖縄を含む我が国の安全を確保することは、国の基本的使命です。一層の厳しさを増す我が国周辺の安全保障環境の下、日米安全保障体制の役割は引き続き重要となる一方、米軍基地の集中が沖縄の皆様に大きな負担となっていることは十分に認識しています。抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担の早期軽減を具体的に目に見える形で進めていくことを改めてお誓いいたします。

 普天間飛行場の固定化は絶対にあってはなりません。その大前提の下で、先般、日米両政府は、普天間移設の問題と『海兵隊のグアム移転』や『嘉手納以南の土地返還』の問題を切り離すことに合意するとともに、海兵隊の国外移転を待たずに返還可能な土地や速やかに返還可能な土地を特定いたしました。これらは、基地負担軽減の『目に見える具体的な成果』につながっていくはずです」

 歴代政府の常套手段である、沖縄振興と安全保障を抱き合わせたお願いとなっているが、言っていることは僅かな負担軽減でかわそうとするだけの従来の繰返しに過ぎない。

 だが、既に書いてきたように従来の安全保障政策、対沖縄政策がつくり出した「過重な基地負担」と「本土との経済格差」であって、両者の否定ではなく、両者の肯定の上に肯定を重ねた発言となっている。

 この肯定の上に肯定を重ねた政府の意思が間違いなのは同じ沖縄復帰40周年記念式典で述べた仲井真沖縄県知事の式辞の言葉が証明している。
 
 仲井真沖縄県知事「東日本大震災と原子力発電所の事故により、わが国は厳しい試練に立たされている。沖縄県民も、困難なこの問題に立ち向かうメンバーの一人だと自覚している。同様に沖縄の米軍基地の問題についても(全国民が)沖縄県民とともに受け止め、考えてほしい」(時事ドットコム

 沖縄県民は同じ日本人の一員であり、全国土0・6%の沖縄県に在日米軍基地約74%集中の「過重な基地負担」となっている「沖縄の米軍基地の問題について」、同じ一員として「沖縄県民とともに受け止め、考えてほしい」と訴えることを通して「過重な基地負担」と、このことが大きな障害となってもたらされることとなった「本土との経済格差」を否定(=拒否)し、解決を求めている。

 だが、否定を一切排除、肯定一辺倒の野田首相の式辞の結び。

 野田首相「本土復帰から40年。日本全体を牽引し、アジア太平洋の時代を先頭に立って切り拓いていくのは、沖縄です。そして、そうした未来を担っていくのは、私たち自身です。

 平和を希求する県民の願いが、そして世界に飛躍を願う『万国津梁』の精神が、21世紀の沖縄を切り拓く大きな財産となることは疑いありません。我が国に未曾有の被害をもたらした東日本大震災からの復旧・復興、日本経済の再生に向けた挑戦が続けられている今だからこそ、沖縄に期待します。そして、沖縄の一層の発展が、我が国及びアジア太平洋地域の発展に寄与することを確信します。

 最後に、改めまして、沖縄と日本、さらには世界の平和と発展を祈念し、私の式辞といたします」――

 最後も多くの人の胸を打ち、感動させる美しい言葉で終わっているが、普天間の県外移設に関して沖縄の意思どおりにフリーハンドを約束するならまだしも、従来どおりに跳び越えるのが難儀な高いハードルを並べた障害レースを強いながら、「日本全体を牽引し、アジア太平洋の時代を先頭に立って切り拓いていくのは、沖縄です」と後生楽なことを言っている。

 まるでゼウスによって地獄で絶えず転がり落ちる大岩を山頂へ押し上げる永遠の苦業を強いられたシジフォスとまで行かなくても、それにかなり近い「過重な基地負担」と「本土との経済格差」の悪条件を肯定したままの、過剰な沖縄への期待という矛盾を犯している。

 いくら沖縄が安全保障上、地理的優位性を確保しているからとしても、少なくとも本土並みの基地負担と経済振興を約束しなければ、平等とは言えない。

 このことを実現するのが政治の創造性と実行力であるはずだ。


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