美しくとことんやってもらいたかった安倍総理・総裁

2007-09-13 08:19:45 | Weblog

どっちらにしても「責任」は宙に浮いただろうが

 安倍首相が辞任の記者会見を開いた直後の昨日の12日(07.9.)の朝日テレビで民主党の藤井裕久衆議員が民主党としたら続投してもらった方が次の衆議院選挙では戦いやすかったといったことを言っていたが、政権交代を望む有権者の大方の見方ではないだろうか。軽量麻生でも五十歩百歩だろうが。今日13日の朝日朝刊は、麻生禅譲の目が消え、戦略が狂ったことを伝えている。参院選大敗の結果が出る前に続投を支持を打ち出したが、安倍続投が裏目に出たことに伴って麻生の安倍支持も裏目に出ることとなったということなのだろう。

 まずは安倍総理辞任記者会見を午後2時のNHKテレビから。

 「えー、本日、総理の職を辞するべきだと決意をいたしました。7月29日、参議院の選挙が、結果が出たわけでありますが、大変厳しい結果でございました。厳しい結果を受けて、この改革を止めてはならない。また、戦後レジームからの脱却を、この方向性を変えてはならない。その決意で続投を決意をしたわけであります。ま、今日まで全力で取り組んできたところであります。そしてまた先般シドニーに於きまして、テロとの戦い、国際社会から期待されているこの活動を、そして高い評価されているこの活動を中断することはあってはならない。何としても継続をしていかなければならない。そのように申し上げました。
 国際社会への貢献、これは私が申し上げている主張する外交の収穫でございます。この政策は何としてもやり遂げていく責任が私にはある。この思いの中で私は中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していく、お話をいたしました。そして私は職に決してしがみつくものでもないと申し上げたわけであります。そしてそのためにはあらゆる努力をしなければならない。環境についても、努力をしなければいけない。一身を投げ打つ覚悟で全力で努力すべきだと考えてまいりました。
 ま、本日小沢党首に党首会談を、ま、申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えようと。残念ながら、党首会談については、ま、実質的に断られてしまったわけであります。えー、先般小沢代表は民意を受けていないと批判をしたわけでございますが、大変残念でございました。
 今後のテロとの戦いを継続させず(「る」の言い間違いであろう)、上に於いて、私はどうすべきか、むしろこれは局面を転換しなければならない。新たな総理のもとでテロとの戦いを継続していく。それを目指すべきではないだろうか。来る国連総会にも新しい総理が行くことがむしろ、局面を変えていくには、ま、いいのではないか。また、改革を進めていく、その決意で続投して、内閣改造を行ったわけでございますが、今の状況でなかなか、国民の支持・信頼の上に於いて力強く政策を前に進めていくことは困難な状況である。ここは自らがけじめをつけることによって、局面を打開しなければならないいけないと、判断するに至ったわけでございます。
 私といたしましても、私自身の決断が先に延びることによって、国会に於いて困難が大きくなると、その判断から、決断はなるべく早く行わなければならないと、ま、そう判断したところでございます。私からは以上でございます」

 改革を止めてはならない、戦後レジームからの脱却の方向性を変えてはならないと続投を決意した。国際社会から期待されているテロとの戦いも中断させてはならない。これらのことのために職を賭していくとした。そのように述べた続きで、党首会談をテロ特措法に反対している民主党の小沢代表から「実質的に断られてしまった」事情を打ち明け、局面打開のためには新たな総理のもとでテロとの戦いを継続していくことを目指した方がいいとしている。

 これを解説すると、党首会談が実現しなかったことをどんな手を打っても民主党の反対の意志を変えることはできないサインと受け止め、局面打開の道が塞がれたと判断して、新しい総理に局面打開を託すことにしたとなる。

 与謝野官房長官は記者会見で「総理が記者会見でたった一つ自分の口から言われなかった問題というのはやはり健康状態だろうと。特に東南アジア、にいる、移行された以降、の健康状態っていうのは、えー、ご本人はなかなか告白されませんでしたけど、大変厳しいものがあって、それを誰にも言わないで、じっと耐えてきました――」(NHKテレビ/夜7時のニュース)と安倍辞任理由を病気説としていたが、それが事実だとすると、安倍本人が局面打開を諦め、少なくとも辞任のキッカケと看做した小沢民主党代表に申し入れた党首会談を断られたからとする説明は小沢代表に対する当て付けとなる。最後まで職を賭したいと願っていたが、体調が激務に耐え得ないほどに悪化している。途中で投げ出すことになるが、新しい健康な総理のもとで局面の打開を図ってもらい継続的に政治を進めて貰う方が国民のためにもなると考えて辞意を決意したと正直に話すべきだったろう。

 大体が党首会談が実現したとしても、小沢代表の反対の意志を翻意させることはできないことぐらいは前以て理解していなければならないことで、局面打開という点では変わらなかったはずである。申し込むこと自体が頭がどうかしているとしか言いようがない。

 辞任記者会見を受けての小沢民主党代表の記者会見(同NHKテレビ)での言い分は安倍首相の言い分と大分違う。

 小沢「40年近くの政治生活の中で、過半数を失ってやる、改造し所信表明をし、そして代表質問の前に辞職という例は初めてでございますので、本当にどうなっているのか、私も、総理の心境・思考方法については分かりません」
 
 安倍首相が辞任記者会見で小沢民主党代表との党首会談が実現しなかったことに触れたことについて質問されて。

 小沢「今日お昼前に自民党の大島国対委員長から申し入れがあったそうです。総理は一体どういうお考えで、どういう党首会談でお話したいのか、もう少し官邸と話をして、もう少しきちんとした申し入れをしてもらいたいと、そういう趣旨をお話をしたら、いや、ご挨拶だ、ということだったそうでございます。今この時点でご挨拶の党首会談をやるっちゅうのは、ちょっと、という首を傾げる、うー、ような提案だったそうであります。それならばクエスチョンタイムで、党首討論という方法もあるんじゃないでしょうか。ま、それを大島国対委員長、自民党国対委員長がどう官邸に伝えたか、あるいはどう総理が判断したは、アー、分かりませんけれども、私は、アー、今日のこの申し入れ以前に一度も私も、わが党も、党首会談の申し入れは受けておりませんし、従って、イエスもノーも言う機会もないと、なかったと――」

 2日前の11日の夜9時からのNHK「ニュースウオッチ」では、安倍首相が党首会談を呼びかける考えを示したことについて小沢氏は次のように述べている。

 「会いたいとか会いたくないと言っているのは総理自身が言ったんでしょ?それ総理に聞いてみてください。私が言ったわけじゃないですから。あとは国会の論戦で十分やれるわけですし――」

 党首会談に一片の興味すら示さなかっただけではなく、「国会の論戦で十分だ」と冷たく突き放している。安倍首相はこのような経緯を情報として把握していなかったとしたら、指揮官の資格をそれだけで失う。当然局面打開の期待を党首会談に賭けてもムダだと知ったことだろうし、知るべきだった。

 さらに言えば、<与謝野官房長官は10日(07.9)の会見で「衆院と参院の意思が分かれた場合、普通のこととして使ってよろしい憲法上の規定だと思っている」>(07.9.11.『朝日』朝刊≪海自派遣新法 衆院の再議決現実味 会期延長は不可避≫)と参院で否決された場合の最後手段として10日の時点で衆院再議決を覚悟の視野に入れていたのである。

 最後手段を覚悟していたことと、小沢一郎の党首会談に対する態度から例え党首会談を開いたとしても相手の態度は変わらないという予測等を考え合わせたなら、11日の時点で党首会談は局面打開の解決策から排除されていなければならない。しかし、12日の昼、大島国対委員長を通して党首会談を申し入れた。

 カードは衆院再議決という最後手段のみしか手の内に残されていない。そのカードを切るためには安倍首相には自分が悪者になる覚悟が必要になる。再議決で国民の批判が起きたとき、悪者を引き受けて責任を取って辞任する。それだけのことではなかったのではないか。

 そこまで覚悟を決めていたが、健康上の理由で首相職をもはや維持できないということなら、そのことを隠して局面打開の悲観的なサインとして党首会談を挙げたとしたら当てつけも当てつけ、覚悟の程が知れる。

 「官製談合、天下りの問題は、私の内閣で終止符を打ちたい」
 「(年金問題は)すべて私の内閣で解決する」
 「みな様方から払っていただいた年金、間違いなくすべて、それはお支払いしていくということもお約束を、申し上げたい、と思います。私の内閣で解決する――」
 「すべてですね、先送りされてきた問題がすべて、私の内閣で解決する――」
 「(テロ特措法が)国際的な約束となった以上、私には大きな責任がある。(それを果たすために)職を賭して取り組んでいく考えだ」

 すべて安倍首相の国民に約束した言葉である。約束宣言と言うこともできる。「約束」には「履行」という責任が伴う。元々「責任」という言葉を軽々しく使い過ぎるから、言葉だけの「責任」、口先だけの「責任」と思っていたが、辞任によって実際に言葉だけの「責任」と化した。

 病気なら仕方がないとは言えない。安倍晋三という美しい政治家はその著書『美しい国へ』で、「今日の豊かな日本は、彼ら(特攻隊員ら)がささげた尊い命のうえに成り立っている。だが、戦後生まれの私たちは、彼らにどうむきあってきただろうか。国家のためすすんで身を投じた人たちにたいし尊崇の念をあらわしてきただろうか。
 たしかに自分の命は大切なものである。しかし、ときにそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか」と美しい言葉を美しく紡ぎ出している。

 安倍首相にとって大切な命を投げ打っても守るべき価値とは一国の総理大臣として国民に示した約束を果たす「責任」であろう。国民に約束していながら責任を果たさなければ、首相となった意味を失う。

 それとも国民に対する約束履行の「責任」など命を投げ打っても守るべき価値の内に入らないとでもいうのだろうか。だとしたら何をかいわんやである。

 だが、実際は病気が原因で辞任ということなら、責任を果たすべく命を投げ打つことよりも、健康という「命」を優先して、「守るべき価値」としなければならない国民に約束した「責任」を簡単に反故にしたことになる。

 このような経緯は戦前の戦争指導者たちが兵士には「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」と「命の投げ打ち」を求めながら、その殆どが「虜囚」同然の逮捕、巣鴨プリズンへの入所を受けながら、自分たちでは「命の投げ打ち」は行わなかったのと同じ線上に立つ美しい自分の命の守りではないだろうか。

 特攻隊員の特攻行為に絡めて、命を「なげうっても守るべき価値が存在するのだ」などと言い出さなければ、病気だ何だと言って命の方を優先させても、許される。

 まあ、元々ハコモノ、口先だけの政治家である。安倍首相最後の当てつけは中国や韓国の手前我慢に我慢を重ねてきた靖国参拝を10月半ばの秋季例大祭で正々堂々と行う中国・韓国への当てつけではないだろうか。それを次の年の4月下旬の春季例大祭でも行い、当然8月15日の敗戦記念日にも行う。気持ちは日本国内閣総理大臣安倍晋三として。国民の期待に反してこの手の当てつけは美しくとことんやり遂げるに違いない。

 片山さつきが小泉再登板を求める声明を発表したと今朝のNHKで放送していたが、都市と地方の格差、所得・生活格差、所得格差を起因とした教育格差等々が政治問題化しているときに、それら格差をつくり出した張本人に再登板を期待するとはどんな神経をしているのだろうか。

 所詮、小泉人気を当て込んで再度選挙の顔に仕立て(格差づくり名人が国民的人気を得ているという逆説は国民の利口さのバロメーターにならないだろうか)、衆院選で敗北、政権交代という悪夢を逃れたい自己保身・自己都合意識からの発想だろうが。

 政権交代は自民党議員の多数の落選という最悪の悪夢を伴う。


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