伊勢神宮と赤福・御福の偽装との関係

2007-11-03 07:36:46 | Weblog

 最近食品会社の賞味期限切れの製品の再加工や賞味期限期日の改竄が内部告発等で露見する事態が跡を絶たないが、私自身は賞味期限にあまり拘らない。万が一の変質や腐敗に備えて短めに設定してあるだろうという思いもあるが、基本的には値段が安くさえあればいいと思っている。それが賞味期限切れの新鮮さを失った食品材料使用の再加工品であっても、その分本来の製品よりも値段が安く設定してあり、その理由を表示してあったなら、何ら構わない。欲しいと思ったなら、懐具合に応じて買う。魚にしても肉にしても、何でも新鮮でなければならないと拘ることはないし、国産だろうと外国産だろうと安いが基準となる。

 伊勢神宮の参詣人を当て込んで商売を発足させ、発展の恩恵に浴して和菓子屋「赤福」は創業300年の歴史を、「赤福」と類似品の和菓子を扱う「御福」は創業200年以上の歴史を積み重ねることができた。その足跡に反した前日に売れ残った商品を再加工して販売する「巻き直し」や製造日を先延ばしして表示する「先付け」等を手口とした食品偽装のゴマカシと内宮(ないくう)は天照大神、外宮(げくう)は豊受大神を祭神として祀る伊勢神宮が少なくとも発現している厳粛さ・神聖さとの乖離はどう説明したらいいのだろうか。

 この構図は安倍晋三が政策として掲げた「美しい国、日本」のイメージと矛盾と汚濁に満ちた現実社会との乖離に相通じる絵柄と言える。

 内宮の門前町「おはらい町」の中程に「おかげ横丁」という町並みがあるそうだが、Wikipediaによると、<「赤福」が『約300年間変わらず商いを続けてこられたのも、お伊勢さんのおかげ』と感謝を込めて立ち上げた>から「おかげ横丁」と名づけた<現代の鳥居前町>だということだが、この「おかげ」という感謝の気持をも裏切る食品偽装というパラドックスも、どう説明すべきなのだろうか。

 また「赤福」という店の名前にしても<「赤心慶福」(せきしんけいふく)に由来する。これは、まごころ(赤心)をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味>だとWikipediaは解説しているが、「まごころ(赤心)をつくすこと」と食品偽装とどう関連するのか、食品偽装が「素直に他人の幸せを喜ぶ」行為とどう適合するのか、簡単には答を見つけることはできない。

 伊勢神宮は近世以降、一般庶民の熱心な信仰対象となったという。「お蔭参り」という集団参拝も行われたと『日本史広辞典』(山川出版社)に出ている、

 <近世の伊勢神宮への民衆の集団参拝のこと。1650年(慶安3)・1705年(宝永2)・71年(明和8)・1830年(天保元)の4回の流行があり、その年には通常70万人程度だった参宮者が、多いときには500万人にもなった。お蔭年に伊勢神宮の大麻札が天から降るとされ、約60年周期で主として都市や近郊農村を中心に流行した。奉公人や農民が着の身着のままで銭ももたずにでかけ、沿道の住民の喜捨や富豪の施行を頼りに参宮することも多かった。やがてお蔭踊などの熱狂的な踊りを伴うようになった。1867年(慶応3)の5回目の流行は、世直し要求の表現としておこり、町や村を「ええじゃないか」と歌い踊って歩いた。>

 「お蔭年」「伊勢神宮の遷宮のあった翌年。この年には特に神徳に浴することができるとされた」(『大辞林』三省堂)
 大麻札「たいまふだ・伊勢神宮が年末に授与する神札。本来は祓えの具であったが、罪や穢れを祓い加護を得るものと観念されて神符とみられるようになった」(同『日本史広辞典』から)

 【ええじゃないか】「1867年(慶応3)8月から翌年4月にかけて、江戸以西の東海道・中山道沿いの宿場や村々、中国・四国地方に広まった民衆運動。関西以降の囃し言葉から「ええじゃないか」と総称するが、地域により御影祭・ヤッチョロ祭・御札祭などさまざまな呼称がある。東海道吉田宿近郊農村の御鍬祭百年祭を発端とする。各地の事例に共通な点は、天からお札が降ったとして、お札を祭壇に祭り、参詣に来た人に酒食を振る舞うこと。高揚した人が女装・男装して踊りながら練り歩くことである。富家に踊りこんで酒食を要求したり、村や町単位で臨時の祭礼に発展する地域も多かったが、領主の取締まりの強化によって鎮静化した。長州戦争による夫役(ぶやく)徴発や、物価の高等に苦しんできた民衆の世直し願望が表出した民衆運動であった。」(『日本史広辞典』)

 世直しための直接的な要求を掲げた運動ではなく、「世直し願望」欲求が間接的な発散の形を取った「ええじゃないか」にということらしい。それだけ幕府権力の民衆に対する締め付けが強く、それに民衆側も慣らされていたのだろう。

 天皇家のみならず、歴代首相らが年初に参拝している伊勢神宮である。社会党の村山首相も参拝している。「赤福」は1707年(宝永4年)の創業だというから、3回目と4回目と5回目の1871年(明和8)と1830年(天保元)、さらに1867年(慶応3)の3回の流行に遭遇している。利益獲得の恩恵を受けたのか、それとも「着の身着のまま」の参詣者が多く、逆にお恵みを要求されて、儲けにならなかったのか。

 だとしても、全国に名を知られる宣伝にはなったに違いない。

 「赤福」も「御福」も、その食品偽装は江戸時代から続く自らの歴史・自らの歴史的連面性に対する背信でもあろう。だが、民衆の「ええじゃないか」の世直し願望にしても、女装・男装して踊りながら練り歩いたり、富家に踊りこんで酒食を要求したりといった単に自己の欲求不満を発散させるだけの自己利害行動であったように、日本の宗教信仰が一般的に自分の身体的・経済的幸福を願うだけの御利益信仰、自己利害優先を主内容としていることを考えると、「御福」・「赤福」にしても伊勢神宮をバックグランドとしていたとしても、食品偽装の儲け主義一辺倒の自己利害はどっちもどっちと言えるかもしれない。

 また、政治家・官僚にしても年頭に伊勢神宮を参詣するといっても、その敬虔さがその年1年も続くわけではなく、伊勢神宮から受けるであろう厳粛さ・神聖さを些かも体現せずに国民向けの言葉と実際行動を乖離させる自己利害行動優先の臆面もない背信から比べたら、「赤福」・「御福」の伊勢神宮の厳粛さ・神聖さを裏切るだけではなく、自らの歴史をも裏切る食品偽装もたいしたことではなくなる。

 いわば、どっちもどっちということにならないだろうか。

 売れ残った製品を廃棄処分にするのは利益の点でお忍びないというなら、それが例え再加工しても賞味可能である場合はそのことを断った上でコストと売価が最低限プラスマイナスゼロを目標に100円ショップや老人ホームなどで安価で提供するといったことをなぜ考えつかなかったのだろうか。100円ショップは100円の商品ばかり並べている店ばかりではない。

 この世の中には、正規の賞味期限など問題とせずに、もう少し値段が安ければ、買って味わうことができるだろうにと考えている人間はたくさんいるはずである。

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