山井和則民主議員、3月19日TVタックルで「民主党事業仕分けはパフォーマンスだった」と言い切った

2012-03-20 07:20:24 | Weblog

 勿論、文字通り、「民主党事業仕分けはパフォーマンスだった」と言い切ったわけではない。だが、言い切ったも同然の間接的な物言いとなっていた。

 議論の発端はレギュラー出演者の大竹まことが、民主党の目玉政策である「子ども手当」が昨年8月の見直し合意からその名称をめぐって、自公主張の「児童手当」に対して「子どものための手当」、さらには「児童成育手当」と拘り、最終的に自公の「児童手当」と決着するまでに7か月も要したことを呆れた口調混じりで批判すると、出席者の公明党の斉藤鉄男が公明党自身も関わったもたつきでもあったことからだろう、その批判をかわすために予算の規模で擁護した。

 斉藤鉄男「児童手当については3党協議で成案を得た。自公政権時代は児童手当、1兆円でした。今回は2兆円を超す。そういう意味では予算は十分増えている」

 予算が増えていれば全て結構毛だらけとは限らない。ムダが生じるか、効率的に子育てに役立っていくかは今後の運営にかかっている。予算規模で政策の価値を判断するのは形式主義、拝金主義の類いに過ぎない。

 経済評論家の荻原博子がここで予算の使い方を問う発言を行った。

 荻原博子「予算は増えているけれども、予算が増えて充実しているという実感を実際の人たちが持っていない。なぜなら、ちゃんとしたおカネが回っていないじゃないですか。

 実際に税金が出ている基金というのが5年前は838だった基金が、今は3859、7倍に増えているんですよ。

 厚生省だけで言えば、131の基金が2106。こんな凄い基金が一杯出ていて、金額が1800億くらいから、2兆円超えているんですよ」

 宮崎哲弥・評論家「基金て、何やってるの?」

 荻原博子「基金て言うのが、色んな基金があって、中には基金をつくるけど、全然使うところがなくて・・・・」

 一斉に出演者が喋り出して、声がゴチャゴチャとなり、聞き取れない。

 高橋洋一・嘉悦大教授「(基金をつくって)すぐにやらないで、どこかに置いといて(予算をストックしておいて)、あとでちょっとずつ使う。そういう仕組みになっている」

 山井和則民主「基金もね、いい基金だとか。保育所整備の基金もありますし、介護職員の賃金を引き上げる基金もありますので、すべての基金が別に悪いというわけではありません」

 高橋洋一・嘉悦大教授「勿論、そうです」

 斉藤鉄男「単年度でできないっていうことが言われていたんです。それを複数年度で使える予算にしよっていうのが議論です」

 荻原博子「おカネが余って、使っていない基金のおカネって、凄くあるんですよ。それは使い切れない程あるんですよ」

 宮崎哲弥・評論家「ちょっ、ちょっといいですか。疑ってしまうと、疑えばキリがないんだけど、今度のAIJ、企業年金基金にどんどん天下りが行って、社会保険庁の天下りが行っていたようにどうもこういう増え方を見ると、ムダな基金が多いんじゃないかという気がするんだけど、どうなんですか」

 下地幹郎国民新党「それはね、基金というのはね、うちの国は単年度制で予算を作っているわけだから、どっかで言い訳をして基金を作って、(予算を)置いといて、次年度も使えるようにしようという。

 私はね、最終的にはしっかりとした、民主党が物事を減らしながらやっていくというのを、どっか曖昧にしちゃうんだよ。(川内博史民主党を間に挟んで右隣に座っている山井和則の方を右手で示して)今言っているように、いい基金もありますって言ったら、(政権交代前の)2年前、そんなことは言っていなかった」

 阿川佐和子司会者「税金を上げなくても、おカネは裏にガッポガッポありますよ。川内さんが特におっしゃってましたね」

 川内博史民主党「だから、僕らはそれ(ムダの排除)をやりたいんですよ。やらなければいけないんですよ」

 阿川佐和子司会者「もう遅いよ」

 川内博史民主党(激しく首を振って)「まだまだ」

 福祉国家スエーデンの福祉制度の問題点に移る。

 この間の遣り取りを見ただけでも、民主党の事業仕分けがパフォーマンスに過ぎなかったことを示唆している。少なくとも機械的に行なっていたパフォーマンスだと言える。

 先ず最初に断っておくが、山井和則が「基金もね、いい基金だとか。保育所整備の基金もありますし、介護職員の賃金を引き上げる基金もありますので、すべての基金が別に悪いというわけではありません」と言っていることは個人的感想ではないはずだ。実態に対する状況説明であろう。

 高橋洋一・嘉悦大教授も、「勿論、そうです」と同意を示している。

 下地幹郎が山井和則に対して「いい基金もありますって言ったら、(政権交代前の)2年前、そんなことは言っていなかった」と発言していることは、民主党が野党時代、各種基金を「ムダの温床」とか、「ムダ遣いの温床」と批判していたことを指し、そのこととの矛盾を批判した発言であろう。
 
 要するに民主党は“基金悪者説”に立っていた。

 だが、民主党が政権を担当して以来、「いい基金」を設立したということなのだろう。その結果、「すべての基金が別に悪いというわけではありません」という発言となった。

 だとしても、いい基金と悪い基金の数と予算規模の比率を問題とした場合、荻原博子の口調からしたら、簡単には肯定できない、「いい基金」の存在ということになりかねない。

 要するに、「すべての基金が別に悪いというわけではありません」で済ます訳にはいかないし、何よりも問題なのは、山井のこの発言を裏返すと、悪い基金を放置していることを示すことになる点である。

 民主党はこれまで3回の事業仕分けをテレビカメラまで入れて大々的に行なってきた。ムダの排除に向けたエネルギーは相当なものであった。このエネルギーはムダに対する嫌悪に支えられていたはずだ。

 この嫌悪は多くの国民のムダに対する憎しみと相互対応させていたはずだ

 当然、民主党はムダの排除を精神としていなければならない。だが、ムダの排除を精神としていながら、ムダの象徴である悪い基金の放置は自己矛盾以外の何ものでもない。

 この自己矛盾はムダの排除に向けた精神が未だ本物とはなっていないことの証明でもあろう。

 本物ではないムダ排除の精神のもと、3回の事業仕分けが行われたということはそれがパフォーマンスであったことの証明ともなる。単に人気取りで、機械的に行なっていた。

 パフォーマンスであったからこそ、現在に及んでも、悪い基金を存在させていることになっている。

 もし確固たる真正な精神となっていたなら、悪い基金の存在と併立させるカタチでいい基金の存在を示すだけで済まさずに、「民主党は総力を上げて、悪い基金の整理を着実に進めています」と言ったはずだ。多くの人に役立つ基金が大勢を占め、悪い基金は数少なくなっていますと。

 悪い基金に回していた予算の多くは国民の生活に役立つ政策に振り向けていますと。

 だが、他の出演者が証言しているように、特に荻原博子が証言しているように逆の姿を取っている。事業仕分けの精神が生きていない、ムダが優勢を占めた基金の状況を提示している。

 要するに山井が「すべての基金が別に悪いというわけではありません」と言って、悪い基金の存在を認めたこと自体が既にムダ排除の精神の無効宣言に当たり、「民主党事業仕分けはパフォーマンスだった」と間接的に言い切ったことになる。

 だからこそ、天下りもなくならない、ムダもなくならないという状況が続いているはずだ。


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