施政方針演説/「迅速に結論を出す政治」を望むなら、そういった体制構築も首相の責任

2009-01-30 11:16:32 | Weblog

 2009年1月28日、衆参本会議で麻生首相の施政方針演説が行われた。通常国会の召集から3週間以上経過してからの施政方針は異例のことだと「信濃毎日Web」が書いている。その理由は大方が知れることとなっていることだが、「ふつうは通常国会の冒頭、次の年度の予算案を出すのに合わせて行われる。今回ずれ込んだのは、解散・総選挙の引き金になることを恐れて、首相が2008年度補正予算案の提出を通常国会に先送りしたためだ。あおりで09年度予算案の提出が遅れた。」と解説している。

 麻生首相は施政方針演説の中の「責任ある財政運営」の項目で、財政に対する責任を明確にするために実施時期は経済状況をよく見極めた上で判断と言いつつ、最初から2011年度までにと具体的な年度を上げて消費税を含む税制抜本改革に必要な法制上の措置を講ずるとしている。

 <これは、社会保障を安心なものにするためです。子や孫に、負担を先送りしないためであります。>………

 但し、<国民に負担をお願いするに当たっては、不断の行政改革の推進と無駄排除の徹底の継続が大前提です。>と断って、反対給付の「負担」を自らに課している。

 だとするなら、天下りの厳しい規制、渡りの全面禁止を行ってから、上記「大前提」を打ち出すべきではなかったか。天下り・渡りは予算(=税)の無駄を生み、彼らの収入を一般人には手に入らない熟した最高級の果実とする不公平を生む悪しき慣習として長年に亘って官僚機構にはびこってきた何よりの悪しき制度であり、そうであるゆえにその規制・禁止は「不断の行政改革の推進」の象徴事業として改革の必須事項とすべきだからである。

 ところが麻生首相は07年成立の「改正国家公務員法」で規定した天下り斡旋の「官民人材交流センター一元化」が機能する3年間の移行期間中は内閣府設置の再就職等監視委員会」が承認するとした上、その委員が野党の反対にあって決まらない状況を受けると、省庁による天下り及び渡りの斡旋を首相の権限で承認しできるとした政令を閣議決定する決まりまで設けて無駄・不公平の象徴たる天下り・渡りを自ら容認している。

 これは麻生首相自身が言っている<国民に負担をお願いするに当たっては、不断の行政改革の推進と無駄排除の徹底の継続が大前提です。>とは逆行していると言う以上に、自らの言葉を自ら裏切る口先だけのサインであることを暴露する主張そのものであろう。

 「時通信社」の記事を参考にすると、麻生首相は渡りを認める例外規定として 
 (1)国際機関の勤務経験が極めて豊富
 (2)外国当局との交渉への十分な経験――の二つを上げ、 「渡りが出る確率は極めて低い」とか、「渡りが何回も行われることは考えていない」とした上で、「国が大事に育てた人材で経験は極めて高く評価される。『ぜひ』という声が出た場合、それを拒否するのはいかがなものか」を渡り容認の口実とした。

 いわば渡りは“滅多にない例”というわけだが、ところがこの件に関しても麻生首相が言っていることに反して、06~08年の3年間に、官僚が天下りを繰返す「渡り」が11省庁で32件あったと「asahi.com」やその他のメディアが伝えている。

 民主党の岡本充功衆院議員の質問主意書に答えるために27日の閣議で上記内容の答弁書を決定したということらしい。

 <答弁書によると、最多は総務省の6件。国土交通省と農林水産省が各5件、経済産業省と人事院が各4件、財務省と文部科学省が各2件、厚生労働省、警察庁、内閣府、防衛省が各1件だった。>(同「asahi.com」)・・・・・・・

 麻生首相は如何なる政策提示に関しても「自分は最初から同じことしか言っていない、ブレているなんてことはない」を信念としている政治家だから、渡りに関する実際の数字を否定して“滅多にない例”であることを押し通すかもしれない。

 また、確かに官僚の中にも有能は人材はいるだろう。抽象的な経歴の指摘ではあるが、「国際機関の勤務経験が極めて豊富」で、「外国当局との交渉への十分な経験」を持った者もそれなりにいるに違いない。

 だが、効率性を求め、ムダを排除する「官から民へ」という発想は経営母体を官営から民営に転換すると言うだけのことではなく、官僚機構を担う官僚が組織の中で官僚主義という名の無駄・非効率にどっぷりと漬かってきているはずだから、それを払拭するためにも人材に関する資質の点でも官から民への資質の転換を伴わなければ、効率性・公平性に関して改革的な「官から民へ」が達成できたとは言えないはずである。

 となれば、官僚機構に向けた行政改革に於いても、特殊法人等改革でも公務員制度改革でも、公益法人改革、その他のすべての改革で、特に組織統括の人材は既存の官僚で賄うのではなく、逆に民間からの人材登用が重要となる。

 大体が官僚が組織運営の当事者として位置していながら改革が必要とされるのは、官僚自身が効率的でムダのない組織運営の資格がないことの証明以外の何ものでもない。

 当然組織改革や制度改革に於いて運営当事者を天下りや渡りで補うのではなく、また上層部を占める官僚の席自体も民間からの人材に替える必要があると言うことであり、それを以て行政改革の柱としなければならないということではないだろうか。

 【官僚主義】「官僚や組織の特権階層に特有の気風や態度・行動様式。規則に対する執着、権限の墨守、新奇なものに対する抵抗、創意の欠如、傲慢、秘密主義などの傾向を批判的に言う場合に用いられる。お役人風。お役所式。」(『大辞林』三省堂)

 牢固とした権威主義的上下関係が組織の中に下を従わせて上に位置する特権階層を生み、特権にしがみつき失うまいとする権限の墨守、それを破る新しい制度や新しい仕来りへの抵抗、それらが何事に対しても創意の欠如をもたらし、その欠点を隠して上を絶対と見せる自己保身からの傲慢、情報や必要事項を独り占めにして自分を有利な場所に置こうとする秘密主義等々を官僚組織の特徴とし、官僚体質とすることになる。

 また日本の官僚組織が縦割り社会だと言われていることも権威主義の行動様式に裏打ちされた上下関係が可能としている組織図であろう。横の連絡がなく、上下の中で物事を決定する閉鎖性。上に位置する特権層に有利な決定のプロセスだからだ。下が創意工夫したアイデアであっても、上が生み出したアイデアであるが如くに装い、上の手柄とする。

 官が優れて民が劣るとしたら、奇妙な逆説をもたらすことになる。日本の官僚組織は官僚主義に侵されてもいないし、弊害が言われて久しい縦割り社会でもないということになる。大体がそもそもからして改革を必要とする如何なる弊害もつくり出しはしなかったろう。

 麻生首相は渡りを例外的に認めるとしていたが、施政方針演説から1日経た昨29日の衆議院本会議で、与党自民党の細田博之幹事長の質問に答える形で、渡りを<「国民からの厳しい批判や国会における議論を踏まえ、今後、申請が出てきた場合でも認める考えはない」と明言し、自らの在任中は政府によるあっせんを全面的に禁止する考えを表明した。>と「47NEWS」(2009/01/29 16:58 【共同通信】)が伝えている。

 但し政令の廃止には触れなかったというから、その点にせめてものブレない姿勢を残したのだろうか。

 「最初から同じことしか言っていない」を信念としている麻生首相の渡り例外容認に関わるこの変心は野党だけではなく、与党内からも批判を受けていた上に、渡り反対の急先鋒である渡辺喜美議員が野党提出の衆院解散要求決議案に賛成したのに次いで渡り容認の政令撤回を求める質問状を提出したが、受け取り拒否にあって抗議の、と言うよりも麻生首相を見放して離党といった与党内の内紛、そして天下りや渡りが「国民からの厳しい批判」を受けていることが原因した、これ以上支持率を落としたくない止むを得ずの選択からのものであろう。

 野党の追及での変心では格好がつかないから、言いなりべったりの腰巾着細田に質問させて転換するという勿体付けの形式を取ったに違いない。

 要するに麻生首相の元々からの基本姿勢にはなかった“全面禁止”なのである。だからこそ、「不断の行政改革の推進と無駄排除の徹底」の標的にしてもいい、すべきである天下り規制、渡り全面禁止を“国民負担”に代えるべき政策とし得なかった。

 何しろ所信表明演説で「官僚とは、わたしとわたしの内閣にとって、敵ではありません。しかし、信賞必罰で臨みます。

 わたしが先頭に立って、彼らを率います。彼らは、国民に奉仕する政府の経営資源であります。その活用をできぬものは、およそ政府経営の任に耐えぬのであります」と言っている。

 だが、改革が必要な程に官僚組織は省益を専らとして緊張感を喪失、制度はひび割れ状態を来たしている。管理・監督者の立場にある自民党内閣及び与党には「信賞必罰」なる制度など存在せず、官僚の好きにさせていたからだろう。何しろ官僚なしでは何もできない政治家ばかりだからだ。

 官僚はそれをいいことに思い上がって「国民に奉仕」どころか、国民の上に立って何様の傲慢な態度を取り、隠れたところで甘い収入を吸っている。

 「国民に負担をお願い」しながら、自分たちの仲間だからだろう、天下り・渡りが高収入のいい思いをするのは放置して、「不断の行政改革の推進と無駄排除の徹底の継続」を、多分上唇の端を斜め上にを持ち上げ、だみ声を殊更引きずる気取りを見せて、さもたいしたことを成すかのように言っていたのだろが、如何に口先だけのご託宣か分かろうというものである。

 これを以て無責任といわずに何と表現したらいいのだろうか。それとも無責任でも何でもないというのだろうか。少なくとも麻生首相には不本意なことではあっても自身の在任中は渡りを全面禁止するとしたことで、そのことを「不断の行政改革の推進と無駄排除の徹底」の中に必要事項として盛り込んだのである。

 また天下り規制、渡り全面禁止は決して小さな行政改革(=公務員制度改革)ではない。常に大きく取り上げられることとなっていることが、そのことを証明している。当然、「国民に負担をお願い」しながら、細田幹事長の質問を受けて禁止に変心するまで天下りの厳しい規制・渡りの全面禁止に手をつけずに「不断の行政改革の推進と無駄排除の徹底」を言っていたのを無責任でも何でもないとは決して言えないはずである。

 麻生首相は施政方針演説の最後の「おわりに」で、次のように述べている。

 <世界経済の一段の減速に伴い、日本経済も急速に悪化しています。景気の後退を食い止め、不況から脱出するためにも、予算及び関連法案を早急に成立させることが必要です。これが日本の経済を、そして日本の将来を決めます。経済成長なくしては、財政再建も、安定した社会保障制度もあり得ません。

 今こそ、政治が責任を果たす時です。国会の意思と覚悟が問われています。国民が今、政治に問うもの。それは、金融危機の津波から国民生活を守ることができるか否かです。

 与野党間に、意見の違いがあるのは当然です。しかし、国民が望んでいることは、単に対立するのではなく、迅速に結論を出す政治です。政府与党としては、最善と思われるものを提出しております。野党にも良い案があるなら、大いに議論をしたいと思います。ただし、いたずらに結論を先送りする余裕はありません。

 とかく、ものごとを悲観的に見る人がおられます。しかし、振り返ってみてください。日本は、半世紀にわたって平和と繁栄を続けました。諸外国から尊敬される、一つの成功モデルです。そして日本は、優秀な技術、魅力ある文化など、世界があこがれるブランドでもあります。自信と誇りを持ってよいのです。日本の底力は、必ずやこの難局を乗り越えます。そして、明るくて強い日本を取り戻します。

 私は、自由民主党と公明党の連立政権の基盤に立ち、新たな国づくりに、全力を傾注してまいります。私は、決して逃げません。国民の皆様と共に、着実に歩みを進めてまいります。>………

 麻生首相は首班指名を受けた後の第170回国会での内閣総理大臣所信表明演説 (2008年9月29日)の「国会運営」の項目では次のように述べている。

 <先の国会で、民主党は、自らが勢力を握る参議院において、税制法案を店晒しにしました。その結果、二か月も意思決定がなされませんでした。政局を第一義とし、国民の生活を第二義、第三義とする姿勢に終始したのであります。

 与野党の論戦と、政策をめぐる攻防は、もとより議会制民主主義が前提とするところです。しかし、合意の形成をあらかじめ拒む議会は、およそその名に値しません。

 「政治とは国民の生活を守るためにある。」民主党の標語であります。議会人たる者、何人も異を唱えぬでありましょう。ならばこそ、今、まさしくその本旨を達するため、合意形成のルールを打ち立てるべきであります。

 民主党に、その用意はあるか。それとも、国会での意思決定を否定し、再び国民の暮らしを第二義とすることで、自らの信条をすら裏切ろうとするのか。国民は、瞳を凝らしているでありましょう。

 本所信において、わたしは、あえて喫緊の課題についてのみ、主張を述べます。その上で、民主党との議論に臨もうとするものであります。>となかなか勇ましく挑発的に言いたいことを言っている。

 麻生首相が「店晒しにしました」と言っていることは、揮発油税の暫定税率維持を盛り込んだ税制改正法案が2月29日に衆議院可決、参院に送付されたものの、野党反対で審議されないまま参院送付60日目に当たる4月28日付で憲法59条により「みなし否決」とされ、衆議院に戻されて4月30日に与党の賛成多数で成立、5月1日に施行、再び1リットル25円値上がりしたガソリン騒動を指す。

 だが、「迅速に結論を出す政治」が困難な状況に陥ったのは何も暫定税率維持騒動国会が初めてではなく、安倍政権下の2007年7月29日の参議院選挙で自民党が大敗し、民主党第一党、野党過半数を握る衆参ねじれ現象が生じて以来のことであり、そのお陰で安倍政権は「迅速に結論を出す政治」体制を見い出せず、首相就任1年も満たない参院選敗北のほぼ2カ月後の8月27日に政権を投げ出す無責任な形で辞任、その後を継いだ福田首相にしても手をこまねいていたわけではなく、「迅速に結論を出す政治」を自らの内閣に引き寄せるべく民主党の小沢代表と会談して大連立を策したりしたが結局引き寄せることができず、安倍首相と同じく「迅速に結論を出す政治」を得ないままに、やはり就任1年を満たない短期間の内に政権を投げ出し、麻生首相が跡を継いだ。衆参ねじれ現象を起こした参議院選挙から1年2カ月後の2008年9月24日のことである。

 当然麻生首相も「迅速に結論を出す政治」を実現させるべく、所信表明演説で、「合意形成のルールを打ち立てるべきであります」と提案した。

 提案は提案のままで終わったなら、責任を果たさないことになる。「国民が望んでいることは」と言っている以上、自らの力、自らのリーダーシップで「迅速に結論を出す政治」状況を実現してこそ、国民の希望に叶う責任が果たせる。

 ところが、首相就任後の2008年9月29日の所信表明演説から一昨日2009年1月28日の施政方針演説まで4カ月経過していながら、「迅速に結論を出す政治」を実現させ得ずにいる。

 「迅速に結論を出す政治」体制実現の残された唯一の方法は「急ぐべきは景気対策、はっきりしています」(09年1月1日麻生年頭所感)以上に解散・総選挙による民意の帰趨に任せる以外に道はないことは「はっきりして」いるはずである。

 小沢民主党代表も08年11月28日の国会での党首討論で麻生首相に「選挙の洗礼、国民の審判を受けて、その国民の支援の背景の下に、総理がリーダーシップを発揮すると、いうのが民主主義のあり方だと思います。多分、総理もそのようにお考えになっていたんだろうと思います」と「迅速に結論を出す政治」体制の構築を直接持ちかけている。

 「この12月に解散総選挙を断行して、そして麻生総理、あなたが国民の支援を得られたら、どうぞ、総理の思うとおりの、政策を実行したらいいじゃないですか」と懇切丁寧に「迅速に結論を出す政治」をつくり出す敵に塩を贈るような有効な方法を指導している

 だが、麻生首相は言を左右にして「政局よりも景気対策だ」と主張、自分から「迅速に結論を出す政治」体制の構築から逃げていた。逃げていながら、一昨日の施政方針演説の「国民が望んでいることは、単に対立するのではなく、迅速に結論を出す政治です」なのである。

 もし麻生首相が「迅速に結論を出す政治」を真に「国民が望んでいる」としているなら、それがウソ偽りのない心情だというなら、そのような体制づくりに向けて解散・総選挙すべきで、その結果政権の座を野党に渡すことになったとしても、一国の総理大臣として「迅速に結論を出す政治」構築に向けた責任――政治の安定に向けた責任を果たすことになる。

 国民は既にそのことを各種世論調査で望んでいるのである。漢字が読めないばかりか、国民の空気も読めず、「私は決して逃げません」と就任後の所信表明演説でも言い、年頭所感でも言い、そして今回の施政方針演説でも言っているが、言っていることと裏腹に実効ある政治は自公のみがなし得るを逃げ口実に無責任にも「迅速に結論を出す政治」構築から逃げているのは麻生首相と自民党・公明党のみであろう。

 29日午後、衆院本会議での代表質問で民主党の鳩山幹事長が「『逃げない』と言いながら、国民の審判から逃げまくっている。それが国益を損ない、国民の災いのもとになっている」(「asahi.com」と批判しているが、その通りである。

 施政方針演説では「ものごとを悲観的に見る人がおられます」と言って、さも自分は意志強固な楽観主義に立っているリーダーシップある総理大臣であるかのように見せかけているが、実際には政権喪失の悲観主義から逃れることができず、「国民が望んでいる」「迅速に結論を出す政治」構築の責任を打ち出せずにいる


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