岩手県矢巾町中2男子イジメ自殺に見る学校の“今イジメが起きているかもしれない”とする危機感の不在

2015-07-11 12:44:58 | 教育



      「生活の党と山本太郎となかまた ち」

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     ◆内 容:「夏だ!小沢一郎登場1時間SP」衆議院議員・生活の党代表の小沢一郎に日本の「景気動
      向」、「選挙システム」を問う。

     番組の詳細 

 7月5日、岩手県矢巾町で中学2年生の男子生徒が列車に撥ねられて死亡した。後に単に不注意から列車に撥ねられたのではなく、イジメを苦にして自ら走る列車に飛び込んだ自殺だと判明した。

 イジメは中学1年の時から続いていたという。

 こういったケースでいつも問題となるのは学校や担任教師がイジメを把握していたかどうかが問題になることである。児童・生徒の死が自殺と分かったときのよくあるパターンは学校は記者会見を開いて、「イジメも視野に入れて原因を解明したい」等の積極的な原因究明の姿勢の提示ではなく、「イジメがあったとは思わない」、「イジメと自殺の因果関係は不明」といった、極力イジメを原因から取り除こうとする努力の提示だから、把握の有無が追及の的となる。

 2011年10月11日にイジメを苦に自宅マンションから飛び降り自殺した大津市立中2男子生徒の場合は典型的な例で、翌2012年7月に全国的に報道されるようになり社会問題となったが、自殺前にイジメを目撃した女子生徒が教師に「イジメられているから、やめさせてほしい」と訴え、自殺後の全校生徒対象アンケートに複数の生徒のイジメの目撃事実が記入されていながら、校長は2012年7月14日の記者会見で、「生徒が亡くなるまで、学校としてイジメがあったというはっきりした認識はなかった」と知らない事実としたものの、2カ月も経過した9月18日の会見では、隠し通せないと覚悟したのか、「少なくとも教諭3人がイジメを認識していた可能性が高い」と往生際悪く、あくまでも「可能性」に貶めて消極的ながら認めるに至ったのは責任回避意識を先に立たせる姿勢を抹消できなかったからだろう。

 責任回避意識を働かせることになるのは自身の学校でのイジメやイジメ自殺を予想外とする日常性に支配されていて、“今イジメが起きているかもしれない”という危機感を不在としていることが原因となっているはずだ。

 危機感を不在としているから、イジメらしき行動を見ても、悪ふざけだとか、冗談だとか、あるいはちょっとした諍(いさか)いだとか、些細なこと、瑣末なことに過小評価して見過ごしてしまう。

 逆に“今イジメが起きているかもしれない”という危機感を日常的な感覚としていたなら、実際に些細な悪ふざけや冗談でしていることであっても、万が一のイジメを疑うことになり、その過剰性が却ってイジメ防止となって働くことになる。
 
 今回のイジメ自殺では生徒が担任に相談し、担任が相談に乗る交換日記形式の「生活記録ノート」にイジメの事実と自殺を匂わせる記述があり、そのノートが生徒の自宅に残されていたため、町教育委員会や学校側はパターンとしてある責任回避意識を働かせる暇がなく(この解釈は後で間違いと分かる)、町教委は調査のための第三者委員会設置の方針まで7月5日の自殺から4日後の7月9日と迅速な動きを見せている。

 但し“今イジメが起きているかもしれない”という危機感を恒常的に(このことは後で分かる)不在としていたことに変わりはなく、従来の責任回避意識とは別の責任回避のシステムを作動させている。

 それは「生活記録ノート」の担任の記述に既に現れている。

 「asahi.com」記事と「毎日jp」記事の画像から、「生活記録ノート」の生徒と担任の遣り取りと遣り取り前後の経緯を文字化してみる。

 「生活記録ノート」

 2014年9月中旬

 父親の相談を機に生徒と部活顧問、厭がらせをしていた生徒が話し合い。

 2015年4月7日

 男子生徒「今日は新しい学期と学年でスタートした一日です。この今日を大切に、でだしよく、おわりよくしたいです」

 担任女性教師「新しいメンバーで戸惑うと思うけど、みんな協力してがんばろう。よろしくお願いします」

 4月17日

 男子生徒「最近◯番の人に『いかれてる』とかいわれましたけど、けっこうかちんときます。やめろといってもやめないこともあるし、学校がまたつまんなくなってきたような」

 担任女性教師「?どうした何かあった」
 
 4月20日

 男子生徒「なんか最近家でも学校でもどこでもイライラするようなきがします。いいことないし、しっぱいばっかりだし、もうイヤだ嫌ーです。だったら死にたいぜ。☆」

 担任女性教師「みんな同じ。環境が変わって慣れていないからね。がんばれ」

 5月13日

 男子生徒「ぼくだってがんばってるのにぜんぜん気にしないし、づっと暴力。づっとずっとずっと悪口。やめてといってもやめないし、もう学校やすみたい。そろそろやすみたい氏(※死)にたい」

 担任女性教師「予行でいろいろ言われたのですね、全体にも言おうと思います。失敗した人を責めないように」

 5月15日

 男子生徒「なにかの夢を見たようです。誰一人いない世界に一人ぼっちになったようなかんじでした」

 担任女性教師(※記述なし)

 6月3日

 男子生徒「先生がたはしらないでしょう、ボクは○○とけんかをしました。ボクはついについにげんかいになりました。もう耐えられません」

 担任女性教師(※記述なし)

 6月4日

 男子生徒「体はつかれはて、思うとおりにうごかなくなりました。学校にはいけませんでした。金曜はいこうと思います」

 担任女性教師「トラブルはもう大丈夫かな?何かあったのかこのノートにかいてみて」

 6月5日

 男子生徒「けんかいらいいじめはなくなりました。しかしボクはまだおこっています。次やってきたら殴るつもりでいきます」

 担任女性教師「なぐるのはダメです。先生が代わりに言います」

 6月8日

 男子生徒「実はボクさんざんいままで苦しんだんでスよ?なぐられたりけられたり首しめられたりこちょがされたり悪口言われたり!その分を(全部だしていないけど)ちょっと放ったんですヨ」

 担任女性教師「そんなことあったの??それは大変、いつ??解決したの?」

 6月10日

 男子生徒「あいつといるとろくなめにあいません。体調がますます悪化する・・・。もうつかれました。もう死にたいと思います」

 担任女性教師「◯◯に言っておきます!!まず体(熱)を今治すように」

 6月28日

 男子生徒「ここだけの話。ぜったいにだれにも言わないでください。もう生きるのつかれてきたような気がします。氏(※死)んでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな。)

 担任女性教師「どうしたの?テストのことが心配?クラブ?クラス?元気を出して生活しよう。(男子生徒の名前)の笑顔は私の元気の源」

 6月29日

 男子生徒「ボクがいつ消えるかわかりません。ですが先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。もうすこしがんばってみます。ただ、もう市(※死)ぬ場所はきまってるんですけどね。まあいいか」

 担任女性教師「明日からの研修たのしみましょうね」

 7月3日 〈男子生徒発熱で学校休む。〉

 7月5日 〈列車にひかれて死亡〉(以上)

 記事には7月5日 (列車にひかれて死亡〉と書いてあるが、実際は〈列車に飛び込む〉と書くべきだろう。

 2014年9月中旬に父親の相談を機に生徒と部活顧問、厭がらせをしていた生徒が話し合いをしているにも関わらず、担任が「生活記録ノート」の4月7日に「新しいメンバーで戸惑うと思うけど、みんな協力してがんばろう。よろしくお願いします」と書いているから、2014年4月に進学してクラスの生徒が変わったのだろう、当然、部活顧問は9月中旬の話し合いの内容を1年生時の担任に報告していなければならないから、部活顧問と担任が同じ人間ならその必要はないが、1年生時の担任から(部活顧問と担任が同じ人間なら直接)2年生時の担任に相談内容と結果を引き継がなければならないはずだが、生徒が悩み事を伝えたのに対して担任は4月20日の返事で、「みんな同じ。環境が変わって慣れていないからね。がんばれ」と、その生徒なりの問題を抱えているとは解釈することなく、他の生徒と同様の人間関係構築の準備期間時の情緒不安定としか見ていないことから、引き継ぎがあったとは思えない。 

 相談事の事実は相談本人の一つの経歴として記録して万が一の以後の参考情報としなければならないはずだから、実際にイジメは中学1年から2年になっても続いていたのだから、部活顧問なり1年生時の担任なりがその場で収まったこととして2年生時の担任に引き継ぎをしなかったとしても、“今イジメが起きているかもしれない”という危機感を日常的な感覚としていなかった、不在としていたとしか見ることができない。

 イジメる側とイジメられる側が教師を間に話し合い、イジメる側が二度とイジメをしないと約束しても、その約束が簡単に反故にされる例はいくらでもあるし、子どもを虐待する親に児童相談所が指導して二度と虐待をしないと約束させたとしても、その約束が簡単に破棄される例も多々ある。

 もし何らかの引き継ぎがあったにも関わらず、担任がそのことに注意を払わずに問題を抱えていない他の生徒同様の扱いをしていたとしたら、日常的な感覚としていなければならない“今イジメが起きているかもしれない”という危機感の欠如・不在は如何ともし難いことになる。

 自殺した生徒が「生活記録ノート」に「死」という言葉を記したのは4月20日である。「なんか最近家でも学校でもどこでもイライラするようはきがします。いいことないし、しっぱいばっかりだし、もうイヤだ嫌ーです。だったら死にたいぜ。☆」

 「死にたいぜ」のあとに「☆」を付けたのは、「死にたいぜ」の言葉を何らかの思いで強調する意味があったと受け止めなければならないはずだ。

 そして1カ月近く経過した5月13日に「もう学校やすみたい。そろそろやすみたい氏にたい」と相談しているが、担任は後段の「氏にたい」を「死にたい」という意味で読み取らなければならないし、読み取ることによって、前段の「もう学校やすみたい」にしても単に学校に対する嫌気からの欠席だけではなく、次の言葉で「そろそろやすみたい氏にたい」と句読点を入れずに続けているところからしても、例え結果的に自殺を決行しなかったとしても、死を意味する休息を込めた「やすみたい」の意味を含んでいると解釈して、そこに自殺願望を見るべきだろう。

 一度は正確に使っている「死」という言葉に同じく「死」という字を当てないのは自殺したい思いを露骨な意志として担任に伝わることに戸惑いがあり、「氏」の字を当てることでその思いをカモフラージュする意図があったからではないだろうか。

 対して担任は「予行でいろいろ言われたのですね、全体にも言おうと思います。失敗した人を責めないように」と何かの予行演習で起きた大したことのない揉め事と解釈したのみで、生徒が被っている暴力や悪口が具体的にどのような性格のものか尋ねることもせず、「そろそろやすみたい氏にたい」をどの程度の思い込みか探ろうともしなかった。

 学校教師が常に児童・生徒に対して日常的な感覚として備えていなければならない“今イジメが起きているかもしれない”という危機感は担任のどこからも窺うことができない。

 窺うことができるのは子どもがときには大人顔負けの残虐性を発揮する生きものであり、それゆえに子ども同士の世界に制止の効かない残酷なイジメが発生し得るという認識ではなく、生徒の在り様に対する一律的で楽観的な思いのみである。

 6月5日の生徒の「けんかいらいいじめはなくなりました。しかしボクはまだおこっています。次やってきたら殴るつもりでいきます」の報告に対して「なぐるのはダメです。先生が代わりに言います」

 担任が実際に喧嘩相手に注意なり、忠告なりしたのかというと、何もしなかったことは3日後の6月8日の遣り取りで判明する。

 男子生徒「実はボクさんざんいままで苦しんだんでスよ?なぐられたりけられたり首しめられたりこちょがされたり悪口言われたり!その分を(全部だしていないけど)ちょっと放ったんですヨ」

 担任女性教師「そんなことあったの??それは大変、いつ??解決したの?」

 担任は「なぐられたりけられたり首しめられたり」の事実に初めて気づいたということは常識的に考えると、何も引き継ぎがなかったことになる。引き継ぎがあったにも関わらず、初めて気づいたとすると、“今イジメが起きているかもしれない”という危機感以前の問題として、「だったら死にたいぜ。☆」とか、「もう学校やすみたい。そろそろやすみたい氏にたい」といったそれまでの生徒の相談から生徒の思いを何も汲み取っていなかったことになる。

 しかも、「いつ??解決したの?」と生徒任せとなっている。生徒の心理を汲み取る力もなく、“今イジメが起きているかもしれない”という危機感もないことからの生徒任せであろうし、同時に「生活記録ノート」が単に義務的作業となっていることを窺うことができる。
 
 6月10日になって生徒が「あいつといるとろくなめにあいません。体調がますます悪化する・・・。もうつかれました。もう死にたいと思います」と、「死」という直接的な言葉を使って相談しているところを見ると、6月5日の生徒の「けんかいらいいじめはなくなりました」は願望を書いた疑いが出てくる。

 対して担任は「◯◯に言っておきます!!」と答えている。「asahi.com」記事によると、担任は6月上旬に男子生徒と面談した上で男子生徒とトラブルになった生徒とも面談し、嫌がらせをやめるよう指導していたとしているが、「いつ??解決したの?」と生徒任せにしていること、6月28日の生徒の「氏んでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな。)」の訴えに対して担任が「どうしたの?テストのことが心配?クラブ?クラス?元気を出して生活しよう。(男子生徒の名前)の笑顔は私の元気の源」と答えていること、6月29日の生徒の「ボクがいつ消えるかわかりません。ですが先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。もうすこしがんばってみます。ただ、もう市ぬ場所はきまってるんですけどね。まあいいか」の最後通牒のような半ば投げやりな死の暗示に対して担任は何も汲み取らず、「明日からの研修たのしみましょうね」 と言っているところを見ると、面談と指導が形式的な通り一遍に過ぎなかったように見える。

 勿論、6月28日の担任の「元気を出して生活しよう。(男子生徒の名前)の笑顔は私の元気の源」という言葉、6月29日の「明日からの研修たのしみましょうね」の言葉を生きることへの励ましと受け取れないことはないが、それがもし励ましであったなら、「生活記録ノート」を通した、いわばワンクッション置いた励ましで解決でき、直接的な言葉の遣り取りを必要としない励ましと判断していたことになる。

 その時点ではどちらか判断できなかったという言い訳は成り立つが、6月28日に「氏んでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな。)」と言い、6月29日に「ボクがいつ消えるかわかりません」、「もう市ぬ場所はきまってるんですけどね。まあいいか」と、深刻な出来事であるはずの自殺を恰も他人が自身の自殺を眺めているかのように深刻さもなく第三者的に記すのは大河内清輝くんも遺書で、「またみんなといっしょに幸せに、くらしたいです。しくしく」と書いたり、「see you again」と書いていたりしていたことからも学習しなければならない学校教師の情報であり、学習していなかっただろうということは、やはり“今イジメが起きているかもしれない”という危機感が欠如していたとの誹りは免れることはできないはずだ。

 勿論担任だけに責任があるわけではない。

 7月7日の記者会見で校長はは文科省通知「いじめ防止基本方針」に基づいて毎年度5、11、2月の計3回実施することになっているアンケートの今年度最初の5月分を「行事の関係で実施していなかった」と説明。ところが7月10日になって、アンケートの5月分未実施は事実誤認で、6月に行っていて、生徒がイジメを受けていたとする回答が複数あったことを明らかにした。

 ところが、担任がアンケートを自分の手元に置いたままで、教員間で共有されていなかったと7月10日付の「asahi.com」記事が伝えている。

 これを担任一人の責任とすることはできない。周囲は担任が「自分の手元に置いたまま」を許していたことになるからだ。「何々先生、アンケートが出ていませんよ」と提出を促すこともしなかった。

 自殺した生徒が1年生の時からイジメを受けていたとしているのだから、なおさらにアンケートの提出を迫らなければならなかった。

 さらにアンケートを集めて内容を検討・精査するチームを学内に設けていなければならないはずだ。大河内清輝くんのイジメ自殺事件でも学校は「いじめ・登校拒否対策委員会」を設けていて、役には立たなかったが、情報共有やイジメ防止に取り組んでいた。

 この手のチーム自体を設立していなかったか、設立していても機能させることができなかったということなら、よくあるパターンとしての従来の責任回避意識とは別の責任回避のシステムを学校内で作動させていたことになる。

 もし5月に学校行事でアンケートが実施できずに6月に行ったなら、教頭以下が校長にその情報とアンケート内容の全体的な評価に関わる情報を上げなければならないたはずだが、その手の情報すら校長は共有せず、7月7日の記者会見で「実施していなかった」と発表、後で6月に行ったと訂正したのは情報共有という点だけではなく、学校側が担任にアンケートの提出を求めなかったこと自体も危機管理の不在となり、学校ぐるみで日常的な感覚としていなければならない“今イジメが起きているかもしれない”という危機感を不在としていたことになる。

 この点に危機感不在の恒常性を見なければならないし、この恒常的な学校ぐるみの危機感の不在が招いた生徒の自殺であろう。

 担任一人の責任とするのは校長以下の責任回避となる。学校全体の危機感の不在であり、担任もその一人に加わっていたと見るべきだろう。

 最後に自殺を6日後に控えて自殺を仄めかしていながら、「死」という直接的な言葉ではなく、「もう市ぬ場所はきまってるんですけどね。まあいいか」と「市」という単語を宛てたのは、既に触れたように深刻な出来事であるはずの自殺を恰も他人が自身の自殺を眺めているかのように深刻さもなく第三者的に記したい気持が働いたからではないだろうか。「自殺なんて、たいしたことないよ」と思わせようとして。


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