イジメ過去最多歯止めは厭なことは「やめて欲しい」で始まり、この要請に順応できる人間としての成長を求めるロールプレイで(2)

2022-12-09 05:10:10 | 教育
 「Case05 グループ内のトラブル(その2)」は公立特別支援学校高等部1年男子Aのイジメ被害者とし、1年男子B、C(2名)をイジメ加害者とする事例であるが、前に載せた画像から2020年度の小中高のイジメ合計認知件数は612656件。ネットで調べた2020年5月1日現在の小中高生数12、686、079人で、イジメ認知件数の割合は20.7人に1人。特別支援学校(幼稚部、小学部、中学部、高等部、高等部専攻科)生徒数は144、823人でイジメ認知件数は2695件。2020年5月1日現在の支援学校生徒数は144、823人で、イジメ認知件数の割合は53.7人に1件。小中高の認知件数の半分以下だが、障害の特性上、個別面談にはイラストを使って行うと紹介されていて、教師・職員は並大抵ではない苦労をしているに違いないという思いに駆られるが、特別支援学校に関わるイジメ問題については勉強不足で考える力は持ち合わせていないから、残酷な話だが、省略することにする。

 Case06 公立高等学校 組織的ないじめの認知(その1)

事例の概要
❶ 関係生徒
●【被害】高校1年女子A(1名)
●【加害】高校1年女子B(1名)
❷ いじめの概要
●高校1年女子Aから、同じ学級内の女子生徒Bと席が近くなった際や体育等でペアを組む際に、Bから「最悪、地獄、キモい」と言われるなどの訴えがあった。

事態の経緯及び対応
●訴えを受け、担任、学年主任、生徒指導部が連携し、Aと仲の良い生徒3人から聞き取りを行った。その中で「学級内の女子が2つのグループに分かれており、Aがもう一方のグループから毛嫌いされている。特にBのAに対する言動はひどい」との情報を得た。
●聞き取りを受け、いじめ認知対応委員会(学校いじめ対策組織)で協議し、Aの保護者に実態を報告することを決めた。Aの保護者は、実態に驚くとともに、Bに直接注意することは避けて欲しいと述べた。学校は学年全体に指導すること、本人を見守るとともに様子を定期的に伝えることなど、家庭と連携していくことを伝えた。
●学年集会で全体指導を行うも、状況の改善が見られなかったため、いじめ認知対応委員会で協議した結果、Bに聞き取りを行うとともに、指導を行うことを決定した。
●BはAに対する言動を認め「Aに原因があるのではなく、自分に悪感情があるために行ったもの」と答えた。
●その後、Bに指導を行ったにもかかわらず改善が見られなかったことから、いじめ認知対応委員会は、このことを重く受け止めさせ、今後の生活について考えさせるために謹慎指導を行うこととし、校長は保護者を呼び出して申し渡しを行った。
●Aの保護者に状況を説明し、学校の対応に納得してもらった。今後も連携してAを見守ることを確認した。

成果
●生徒の訴えを受け、複数の職員が関わり、組織的に対応することができた。特に実態把握をする上で、周辺生徒への聞き取りをすることで、全容を把握することができている。
●指導後の見守りが、改善していないことを確認することにつながった。また、加害生徒については毅然とした態度で指導するとともに、指導後の学校生活について考える指導がなされた。

本事例に対するコメント
❶ いじめ防止対策推進法の視点から
●いじめ防止対策推進法第22条に基づき、学校は、複数の教職員、心理、福祉等に関する専門的な知識を有する者等により構成されるいじめの防止等の対策のための組織(学校いじめ対策組織)を設けることとされている。また、「いじめの防止等のための基本的な方針」においては、いじめ問題への学校が一丸となった組織的対応の重要性が強調されている。
●本事例では、学校いじめ対策組織で協議を重ねながら対応方針を定めるなど、組織的に対応を進めている。このことにより、事案の全容把握やBへの毅然とした指導が可能となり、Aに対するいじめをやめさせることにつながったと考えられる。
❷ 児童生徒への支援・指導の視点から
●保護者の意向を踏まえ、最初はBに対する直接的な指導ではなく、学年集会における全体指導を選択しているが、全体指導と個別指導の効果等を見極め、保護者に事前に説明した上で、早期に個別指導を行うことも考えられた。
●「いじめの防止等のための基本的な方針」において、「加害児童生徒に対しては、当該児童生徒の人格の成長を旨として、教育的配慮の下、毅然とした態度で指導する」とされている。
加害児童生徒に対する指導については、自らの行為を見つめることや相手の立場に立った言動の大切さを考えさせることを通して、反省を促す指導が必要である。
●本事例では、学級内の女子が2つのグループに分かれているが、仮に双方のグループが対立関係にあるのであれば、今後のいじめの未然防止の観点から、学級全体の在り方について指導を行うことも考えられた。
❸ 保護者対応の視点から 
●学校いじめ対策組織における協議を踏まえ、早い段階でAの保護者に状況を伝えることで、保護者の意向を踏まえつつ、段階的な指導を進めることが可能となったと考えられる。

総括
●いじめの加害生徒及び被害生徒に対する指導を実施した後、双方の状況を見守ることは欠かせない。本事例では、見守りを継続したことによって、Aへのいじめ行為が継続されていることが分かり、Bがいじめ行為の非や責任を十分に自覚できていないことが明らかとなった。
学校は、Bに指導を行ったにもかかわらず改善が見られなかったことを踏まえ、今後の学校生活について考えさせるために謹慎指導を行うことを決定した。このことは、Bの今後の学校生活の土台を固めるとともに、より良い人間関係の形成に資する観点から必要な指導であったと考えられる。

 公立高校1年の学級内で女子が2つのグループが存在、一方のグループのBからもう一方のグループのAに対して身近にいるときや体育等でペアを組む際に「最悪、地獄、キモい」等の言葉を投げつけられている、いわば言葉の暴力を受けているとの訴えがあった。Aと仲の良い生徒3人から聞き取りを行い、相当程度深刻なレベルと判断。いじめ認知対応委員会(学校いじめ対策組織)で協議、Aの保護者に実態を報告することを決めて報告。Aの保護者から驚きながらも〈Bに直接注意することは避けて欲しい〉との要望を受け、〈学校は学年全体に指導すること、本人を見守るとともに様子を定期的に伝えることなど、家庭と連携していくことを伝えた。〉

 学校側のこの経緯には責任回避意識を色濃く滲ませている。イジメとなるこの言葉の暴力に関してはBに聞き取りを行い、その悪意ある言動が何に発しているのか、その理由を把握しない限り、問題解決には取り組むことはできないという関係を取ることになる。但しAの保護者の要望を拒否して解決がこじれてイジメが悪化した場合は非は全面的に学校側にあることをAの保護者から突きつけられる恐れが予想される。このために優先すべきBからの聞き取りを後回しにしてAの保護者の要望を優先させた。「Bへの聞き取りを行わなければ、嫌がらせの原因を探り当てることができませんし、できなければ、根本的な解決策を見つけることはできません」と保護者を説得すべきだったが、それを回避した責任の放棄である。

 学校はAの保護者の要望を受け入れることと「学年全体に指導する」こと、その他を保護者に伝えた。この"学年全体への指導"とは具体的にどのような内容の指導なのか、何ら触れていないのは事例集の他の参考となるための情報という役目を何ら果たしていないことになって、この点も学校の責任が問われることになるし、このことに何ら配慮を向けずに事例集に載せた文科省の責任も問題となる。

 察するに「いじめ防止対策推進法」が触れている「いじめの定義」、〈「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。〉とか、「基本理念」としている〈いじめの防止等のための対策は、いじめが全ての児童等に関係する問題であることに鑑み、児童等が安心して学習その他の活動に取り組むことができるよう、学校の内外を問わずいじめが行われなくなるようにすることを旨として行われなければならない。〉などなどを講話の形で触れたといったことなのだろうか。

 Bの言葉の暴力、悪意ある言動の理由をB本人から聞き出さない限り、問題解決に取り組むことはできないという関係を無視したのだから、学年集会で全体指導を行ったものの、靴の上から足の痒いところを掻くのと同じで、「状況の改善が見られなかった」のは前以って予測できていたはずだが、その予測を責任回避意識が打ち消してしまったといったところなのだろう。結果、寄り道をした上でBへの聞き取りを行うことになった。

 〈BはAに対する言動を認め「Aに原因があるのではなく、自分に悪感情があるために行ったもの」と答えた。〉が、〈その後、Bに指導を行ったにもかかわらず改善が見られなかった〉。

 学校はBの最初の説明をどのように解釈し、その解釈に基づいてどのような指導を行ったのだろうか。何も触れていないから、事例集としての情報の役目を何も果たしていない点はここにも現れている。学校側のこのような対応に対して文科省は焦点を当てることは何もしていない。事例集の意味をなくしている。

 改善が見られなかったということは、当然、「最悪、地獄、キモい」等の言葉の暴力をやめなかったことになる。だが、Aに原因はなく、自分の悪感情がそう言わせてしまっているといったことを説明したのだろう。考えられる主な原因は生理的な拒絶感の可能性が高い。生理的に受け付けることができないという対人関係がときとして起こりうる。顔も見たくない。顔を見てしまうと、押さえようもなく腹が立ってくる。だが、完璧な人間は存在しない。誰もが何らかの欠点や欠陥を抱えている。自分自身の欠点や欠陥に目を向けずに他人の欠点や欠陥にだけ目を向けて、生理的な拒絶感を剥き出しにし、言葉の暴力を働くのは許される、あるいは自分の勝手だとするのは成長していない人間のすることではないのか。体育等でペアを組む際の生理的な拒絶感は体育の先生にほかの生徒とペアを組ませて欲しいと申し出て許可を取れば、抑えることができるし、教室で直ぐ側を通らなければならないときぐらいは一瞬のニアミスと自分に言い聞かせて生理的な拒絶感を抑えることができるくらいに成長しているところを見せて欲しいと伝えることぐらいは教師はすべきだろう。

 人間としての成長を促す方法でイジメの事前予防・原因療法を試す。そうはしなかったようで、指導の結果、改善が見られなかったために校長は保護者を呼び出して謹慎指導という隔離政策を申し渡した。要するに加害者を被害者から遠ざけることで沈静化を図った。校長、あるいは担任がB本人にどのような言葉をかけて自宅謹慎を申し渡したのか知りたいが、「自宅で一人じっくりと考えて、反省するところは反省して欲しい」程度の声掛けしかできなかったに違いない。

 隔離政策による沈静化に過ぎないのに掲げた「成果」はなかなかのものとなっている。〈生徒の訴えを受け、複数の職員が関わり、組織的に対応することができた。特に実態把握をする上で、周辺生徒への聞き取りをすることで、全容を把握することができている。〉、〈指導後の見守りが、改善していないことを確認することにつながった。また、加害生徒については毅然とした態度で指導するとともに、指導後の学校生活について考える指導がなされた。〉云々。イジメ被害者からイジメ加害者を遠ざける解決策に過ぎないにも関わらず、〈加害生徒については毅然とした態度で指導〉したとしている。そして「本事例に対するコメント」では、〈事案の全容把握やBへの毅然とした指導が可能となり、Aに対するいじめをやめさせることにつながったと考えられる。〉と抜本的に解決できたかのような万々歳のことを言っている。 

 Case07 公立小学校 組織的ないじめの認知(その2)

事例の概要
❶ 関係児童
●【被害】小学5年男子A(1名)
●【加害】小学5年男子B、C、D(3名)
❷ いじめの概要
●小学5年男子Aが、同じ学級の男子B、C、Dから継続的な仲間はずれや言葉による嫌がらせを受けていると、Aの保護者より学級担任に相談があった。
●Aの保護者によると、そのいじめは、休み時間や放課後等の担任の目が届かない場面で行われているようであるとのことであった。

事態の経緯及び対応
❶ いじめの発見
●担任は保護者からの相談により、いじめの疑いがあると認識し、保護者からAの訴えや心身の状況を丁寧に聞き取るとともに、今後、校内いじめ防止対策会議(学校いじめ対策組織)に報告し、組織的な対応を約束。Aからの聞き取りの実施に向けて、今後、保護者と相談の上で進めていくことを話した。
●担任は、保護者からの相談内容を学年主任及び管理職に報告。管理職は直ちに校内いじめ対策会議を開催した。対策会議では、これまでに実施したアンケートや関係児童の生活の記録等を見直し、対応の方針を協議。Aの聞き取りには、Aが話しやすい教職員として現担任と前年度担任を、B、C、Dには現担任と学年主任(必要に応じて養護教諭)が聞き取りを行うことを決めた。
●学校は、Aに対する聞き取りの方針を保護者に説明し、協議の上で、翌日、学校でAに対する聞き取りを実施することを決めた。
❷ 情報共有
●Aの聞き取り後、対策会議でAの状況を情報共有し、Aが心身の苦痛を感じていることから、いじめとして対応することを確認した。また、Aからの聞き取りにおいて、SNSによる仲間はずれの疑いも浮上したため、その内容に即してB、C、Dへの個別の聞き取りを実施し、事実関係が整理できた時点で、保護者への協力依頼を行うことを決定した。
●学校はB、C、Dへの聞き取りの結果、言葉による嫌がらせは確認できたが、SNSでの仲間はずれ等については確認することができなかった。
❸ いじめに該当するか否かの判断
●対策会議では、これまでの情報を整理し、本件の「言葉による嫌がらせ」はいじめに該当すること、また、SNSによる仲間はずれは確認できなかったものの、事実であればこの行為もいじめに該当する可能性が高いことを確認した。今後は、関係保護者に調査の結果を伝えるとともに、SNSの適正な使用を含め、
学校と保護者が連携して関係児童を見守っていくことを依頼する旨の指導方針を確認した。
❹ 関係保護者への報告及び謝罪と見守り
●学校は対策会議での調査の結果を関係保護者へ報告し、言葉による継続的な嫌がらせについてはB、C、DがAに対して謝罪することができた。しかし、SNSによる仲間はずれについては関係児童・保護者ともに事実を認めることがなく、学校もそれ以上踏み込むことができなかった。現在、Aの保護者は警察へ相談し、法的手続きも検討している。

本事例に対するコメント
❶ いじめ防止対策推進法の視点から
●担任は、保護者からの相談を受け、被害児童Aに対するいじめの疑いを認識した段階で学校いじめ対策組織へ報告している。この報告は「いじめの防止等のための基本的な方針」でも速やかに行うこととされており、直ちに校内いじめ防止対策会議が開催されたことによって、組織的な対応をとることに繋がっている。
●被害児童及び加害児童からの聞き取りを、話しやすさ等を考慮して担任や学年主任を充てるなど、複数人で組織的に聞き取るようにした点は有効であると考えられる。
●「いじめの防止等のための基本的な方針」においては、「学校いじめ対策組織において情報共有を行った後は、事実関係の確認の上、組織的に対応方針を決定し、被害児童生徒を徹底して守り通す」とされている。本事案においても、Aからの聞き取りを受け、いじめと対応する方針を、校内いじめ防止対策会議において決定しており、基本方針に則った対応が行われている。
❷ いじめの判断の視点から
●校内いじめ防止対策会議において、本事例における「言葉による嫌がらせ」は被害児童Aが心身の苦痛を感じていることから、いじめ防止対策推進法の定義に基づきいじめとして認知し、対応を判断している。加えて、SNSでの仲間はずしについても、いじめの「疑い」があるとして、いじめの可能性を考慮しながら事実関係を確認したことは、適切な対応であったと考えられる。

 イジメ被害者は小学5年男子A。イジメ加害者は同じ学級の男子B、C、Dの3対1となっている。Aの保護者の学級担任への相談で表面化した。イジメの内容は継続的な仲間はずしや言葉による嫌がらせ。Aの聞き取りにはAが話しやすい教職員として現担任と前年度担任が担当し、B、C、Dに対しては現担任と学年主任(必要に応じて養護教諭)が行うなかなかの配慮をみせている。Aからの聞き取りによって前記以外にSNSによる仲間はずしの疑いも浮上し、Aが心身の苦痛を感じていることが分かった。この聞き取りの結果を受けてB、C、Dへの個別の聞き取りを実施。言葉による嫌がらせは確認でき、加害側が被害側に謝罪。SNSによる仲間はずしについては加害側は保護者共に認めなかったため、学校もそれ以上踏み込むことができなかった。

 但しAの保護者が警察へ相談し、法的手続きも検討しているのは加害側が後者のSNSを使った仲間外しを認めていない点にあり、前者よりも後者の方を匿名を利用したより悪質なイジメだと見ている可能性からなのかもしれない。B、C、Dも匿名だから、露見しないと思って事実を否定している可能性はある。根拠はAにはウソをつく理由も利益もないが、B、C、D側には両方共にある。罪と責任を軽くできる理由と利益である。Aの肯定に対してB、C、Dが否定したからと言って、その否定が正しいとは限らない。SNS等の利用サイトにIPアドレスの開示請求を行い、開示を受けてプロバイダに対して契約者情報の開示請求すれば、海外のプロキシサーバー経由かログ(コンピューターの通信記録等)が消去されていない限り、匿名の投稿者を特定できるという。学校は前以って特定できるということを生徒全員に伝えておかなければならないだろう。学校はそれ以上踏み込むことができなかったでは責任を果たしていないことになる。と同時に誰かのことを陰でコソコソと悪く言う、自分自身はそれが間違っていない言い分だと思っていても、ある人間をどう見るかの評価は人によって違ってくるから、悪く言われた側が悪く言った人間の言い分として間違っていないかどうかを判断するには顔を隠し、名前を出していなければできないことになる。このことを避けるためには誰かを悪く言う場合は顔と名前を出して、その言い分に対しての責任を負わなければならない。このようなことを道理とするよう、日常普段に生徒に語りかけていなかったとしたら、Aの聞き取りにはAが話しやすい教職員として現担任と前年度担任が担当し、B、C、Dに対しては現担任と学年主任(必要に応じて養護教諭)が行うといった配慮はさしたる意味は持たないことになる。

 また対策会議で、〈SNSの適正な使用を含め、学校と保護者が連携して関係児童を見守っていくことを依頼する旨の指導方針を確認した。〉としているが、学校・教師がSNS適正使用の言葉を持たない限り、このことは加害者側がSNSの不適正使用の事実を認めなければ、それ以上踏み込むことができないとしている姿勢に現れているが、変わらない事態を繰り返すことになって、言葉倒れとなるだろう。

 文科省の「本事例に対するコメント」は結局のところ、途中過程の対応をよしとするだけで、最終的問題解決に至ったのかどうかの点については触れていない。

 Case08 いじめとして認知するが、「いじめ」という言葉を使わずに指導する対処例

事例の概要 
❶ 関係児童
●【被害】小学6年男子A(1名)
●【加害】小学6年男子B、C、D(3名)
❷ いじめの概要
●小学6年男子Aが、同級生の男子B、C、Dから、下校中に冷やかしの言葉を浴びせられた。また、学校で、BがAの靴のかかとを繰り返し踏もうとした。
●個人懇談会で、Aの母親が担任に話したことにより発覚した。

事態の経緯及び対応
●個人懇談会において、担任は「すぐに対応したい」と母親に伝えた。しかし、母親は「本人が『先生に言ってほしくない。自分の力で仲良くなりたい』と強く言っているので、対応はしないでほしい。次、もし何かがあった場合はすぐに先生に言うように約束をしている」とのことであった。
●懇談後、担任はいじめ対応チーム(学校いじめ対策組織)に報告し、対応について話し合った。すぐ対応した方が良いと判断し、母親に電話連絡をしてその旨を伝えたが、「やっぱり本人の意思を尊重したいので対応はしないでほしい」とのことであった。そこで、「もし今後、何かあればすぐに対応する」という約束をした上で話を終えた。
●後日、BがAの上靴のかかとを踏もうとしているところを他クラスの担任が発見し、すぐに担任に伝え、そのままBから聞き取りをした。B以外にAに嫌がらせをしている児童は誰かをBに聞くと、C、Dの名前が出たので、Aから事実確認した後、C、Dそれぞれからも聞き取りをした。内容はAやBが話していたことと一致していた。その後4人を集めて事実関係を確認した後、今回の問題点や人間関係の築き方について指導した。
●4人全ての家に家庭訪問し、指導内容を伝えた。加害側の3人は保護者とともにAの家に行き謝罪している。

成果
●担任は、Aの母親から話を聞いてすぐ校内いじめ対応チームに報告し、対応について話し合った。これを受けて、担任以外の教師も注意して見守りを行った結果、いじめの行為を見つけることができた。Aの母親の意向は、「対応はしないでほしい」ということであったが、組織的対応の体制を整えずに児童を注視しているだけでは、事態の深刻化を招く恐れがある。この事案では、母親の意向を尊重しつつ、何かあればすぐに対応するという姿勢で見守りを続けた結果、事態が深刻化する前に指導することができたと言える。

本事例に対するコメント
●「いじめの防止等のための基本的な方針」においては、「例えば、好意から行った行為が意図せずに相手側の児童生徒に心身の苦痛を感じさせてしまったような場合、軽い言葉で相手を傷つけたが、すぐに加害者が謝罪し教員の指導によらずして良好な関係を再び築くことができた場合等においては、学校は、『いじめ』という言葉を使わず指導するなど、柔軟な対応による対処も可能である」とされている。
●本事例は、被害児童もその保護者も教員が介入して解決に至ることを望んでいない事例であるが、「いじめ」という言葉を使うことなく見守りや指導を行うことで、被害児童や保護者の意向に配慮した生徒指導が可能であることを示している。
●本事例については、被害児童及びその保護者に寄り添い、その意向を尊重しつつ、事態の深刻化を防ぐため、担任以外の教師も注意して見守りを行い、加害児童への指導につなげていった点が優れた対応であったと評価できる。

 小学6年男子AがB等同級生男子3人に下校中に冷やかしの言葉を浴びせられ、学校でBがAの靴のかかとを繰り返し踏むイジメを働いた。個人懇談会でAの母親が担任に訴えたことにより発覚したが、母親から「本人が『先生に言ってほしくない。自分の力で仲良くなりたい』と強く言っているので、対応はしないでほしい。次、もし何かがあった場合はすぐに先生に言うように約束をしている」と言われて、取り敢えずいじめ対応チーム(学校いじめ対策組織)に報告、チームは即座の対応が望ましいと判断、その旨を母親に電話連絡すると、「やっぱり本人の意思を尊重したいので対応はしないでほしい」と言われて様子を見ることにした。多分、教師全員で注意深く見守ることにしていたのだろう、〈後日、BがAの上靴のかかとを踏もうとしているところを他クラスの担任が発見し、すぐに担任に伝え、そのままBから聞き取りをした。B以外にAに嫌がらせをしている児童は誰かをBに聞くと、C、Dの名前が出たので、Aから事実確認した後、C、Dそれぞれからも聞き取りをした。内容はAやBが話していたことと一致していた。その後4人を集めて事実関係を確認した後、今回の問題点や人間関係の築き方について指導した。〉

 結構毛だらけ猫灰だらけの対応に見えるが、母親から「本人が『自分の力で仲良くなりたい』」と言われたあと、A本人から、「どのような方法で仲良くなりたいと考えているのか」と尋ねたのだろうか。単なる強がりで口にするケースも考えられるが、そうでない場合は本人の主体性を尊重し、本人の成長に手を貸すためにもその方法を聞いて、試させるのも一つの教育的配慮となるだろう。だが、そうしたことは触れていない。

 Bからの聞き取りで仲間だと分かったCとDの3人のうちで誰がリーダー格なのか確認したのだろうか。B自身がリーダー格で、率先してAを冷やかし、靴の踵を踏んでいるのか、C、Dのどちらからに命令されてしていたことなのか、それによって指導の方法が違ってくるはずである。4人に対して〈人間関係の築き方について指導した。〉とあるが、どのような言葉を用いて指導したのだろうか。知りたいが、何ら触れずじまいで、事例集としての情報提供の役目を果たしていない。2013年10月11日文部科学大臣決定の《いじめの防止等のための基本的な方針》をマニュアルとして、〈7 いじめの防止等に関する基本的考え方〉に書いてある、〈心の通う対人関係を構築できる社会性のある大人へと育み〉云々から、「心の通う対人関係でなければならない」とか、「社会性のある大人になって欲しい」とか言葉で訴えるのみの指導したということなのだろうか。学校独自の創造的な人間関係の築き方の教えであり、何がしかの効果があるものなら、公表の価値があるはずだが、公表しないところを見ると、そうしましたというだけの形式的なものに過ぎない疑いが出てくる。

 やはり「成長」をキーワードに「冷やかしの言葉を浴びせたり、靴の踵をわざと繰り返し踏んだりして相手が嫌がることをするのは成長していない人間のすることだと思うが、成長している人間もしていることなのかどうか考えてみたまえ」と問いかけ、成長という観点から自分のしていることを眺めさせて自分自身を客観的に見つめさせる機会とし、自己省察能力というものの育みに力を貸すべきではないだろうか。

 加害側の3人は保護者と共にAの家に行き謝罪した。指導を受け、求められたから応じた謝罪なのか、素直に反省して成長を見せることができた結果の謝罪なのか。後者なら、成長を促す指導はイジメの事前予防・原因療法にも役立つはずだから、イジメは減少傾向に向かうはずだが、そうはなっていない以上、後者の可能性は低い。Aにしても個人懇談会でAの母親が担任に訴えたことで表面化したイジメであって、その場でやめて欲しいと訴えたわけでも、自分から担任に訴え出たイジメでもない点で、加害者たち程ではないにしても、自律的な成長からは程遠い姿をしている点でAに対しても成長を促す指導を心がけなければならなかったはずだが、一切窺うことができない事例となっている。文科省の「本事例に対するコメント」がこの件に関する学校対応に「優れた対応であったと評価できる」と高得点を与えているが、加害者・被害者に対して人間としての成長を促す教育配慮が共に見えてこない以上、マニュアル通りの機械的な対応としか見えない。

 次の「Case 09」は「いじめ防止等に効果的な学校基本方針の例」として平成29 年度の「市立A中学校のいじめ問題対応の基本方針の事例」を取り上げているもので省略することにする。理由は上に挙げた2013年10月11日文部科学大臣決定の《いじめの防止等のための基本的な方針》のマニュアルをほぼなぞった内容だからである。その根拠を示すためにほんの一部を取り上げると、次のとおりとなっている。

〈「いじめは、人間として絶対に許されない」という強い認識をもつこと
「いじめは、どの学校でも、どの子にも起こりうる」という危機意識をもつこと
「いじめられている子どもを最後まで守り抜く」という信念をもつこと
 本校においては、この3つの考え方を基本に、家庭・地域等と連携を図り、自校の課題を見出し、生徒の実態に応じた取組を推進する。また、市教委や関係機関等と連携し、「いじめの防止」「いじめの早期発見」「いじめに対する措置」を適切に行う。〉・・・・・・・

 1番目と2番目はなぞりで、3番目は文部科学大臣決定に、〈教職員はいじめを受けた児童等を徹底して守り通す責務を有するものとして、いじめに係る研修の実施等により資質の向上を図ること。〉と書いてあることの言い換えに過ぎない。イジメ対応のマニュアルはそれらしく立派に作り上げることはできる。だが、「はじめに」の項目に〈いじめは、いじめを受けた児童生徒の教育を受ける権利を著しく侵害し、その心身の健全な成長及び人格の形成に重大な影響を与えるのみならず、その生命又は身体に重大な危険を生じさせる恐れがあるものである。〉とイジメの悪影響に触れてはいるが、イジメ加害者のみならず、時と場合のイジメ被害者に対しても「心身の健全な成長」と「人格の形成」を促すことのできる具体的な"言葉"を創造できなければ、マニュアルはマニュアルで終わる。

 以下、イジメとその指導の事例は続くが、ブログ字数の関係と、以上各「Cace」を見てきたようにマニュアルに従った個別的対応の繰り返しで、児童・生徒の成長を促すような教育上の創造的な言葉は一切見えてこないから、省略することにする。

 ネットを調べてみると、どの学校も当然のこととしてイジメの未然防止に取り組んでいる。学活(小学校・中学校で行われる特別活動の一つ。学級を単位として、学校生活の充実と向上をめざし、諸課題を解決しようとする態度や健全な生活態度を育てる教育活動。高等学校ではホームルーム活動という。「goo辞書」)や道徳の時間を使った「イジメはいけません」を主題とした担任講話、イジメ防止アクティビティ(活動)での、同じく「イジメはいけません」を主題として様々に工夫を凝らしているのだろう、スローガン作り、全校集会で全校生徒対象で行う、イジメに関わる校長講話、そしてイジメ防止のロールプレイングが幅広く行われていることを窺うことができる。

 多分、文部科学省の学習指導のお仕着せの一環として始まったことなのだろう。《学校における「いじめの防止」「早期発見」「いじめに対する措置」のポイント》(文部科学省)に次の一文を見かけることができる。
  
 「イ)いじめに向かわない態度・能力の育成」の具体的方策を「注2」として記載している。

 〈2 児童生徒の社会性の構築に向けた取組例としては、以下のようなものがある。
 「ソーシャルスキル・トレーニング」:
 「人間関係についての基本的な知識」「相手の表情などから隠された意図や感情を読み取る方法」「自分の意思を状況や雰囲気に合わせて相手に伝えること」などについて説明を行い、また、ロールプレイング(役割演技)を通じて、グループの間で練習を行う取組〉・・・・

 今まで挙げてきた《いじめ対策に係る事例集》(文科省・平成30年9月)にも同じ文言が記載されている。

 〈2 児童生徒の社会性の構築に向けた取組例としては、以下のようなものがある。
 「ソーシャルスキル・トレーニング」:
 「人間関係についての基本的な知識」「相手の表情などから隠された意図や感情を読み取る方法」「自分の意思を状況や雰囲気に合わせて相手に伝えること」などについて説明を行い、また、ロールプレイング(役割演技)を通じて、グループの間で練習を行う取組〉・・・・

 「ソーシャルスキル」とは、「社会の中で他者と関係を築いたり、一緒に生活を営んだりするために必要な技能、社会的技能」で、そのトレーニングが「ソーシャルスキル・トレーニング」ということになる。教師や児童・生徒、児童・生徒同士の日常普段の授業内や授業外の生活の中で喜怒哀楽の感情を交えた意思疎通を通して感覚的に学んでいく人間関係・対人関係を特別な授業をお膳立てして喜怒哀楽の感情を離れた言葉によって学ばんでいく。その一つがイジメの問題に絞ったロールプレイング、略してロールプレイということなのだろう。プロフェッショナルスキル(職業的、あるいは専門的技能)ではないソーシャルスキル(社会的技能)を特別に授業をお膳立てして学ばなければならない理由は教師対児童・生徒、児童対児童、生徒対生徒が時間的に最も長く、距離的にも、当然心理的にも最も近接した関係を取る授業の場、授業の世界で教師を介して教科書の内容と内容に関する知識・情報の遣り取りに時間を取られ、教師のリードで児童と児童の間で、あるいは生徒と生徒の間で喜怒哀楽の感情を交錯させた意思疎通の言葉の闘わせが殆ど不在であるところにあるように思える。その不在を補う道具としてロールプレイが位置づけられているということなのだろう。

 言葉の闘わせの不在は2006年6月22日の当ブログ《愚かしいばかりの"愛国心"教育 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》でNHKが放送した実際の小学校の授業風景を参考に取り上げてみたが、そこでは愛国心を育てる授業が行われていた。担任にとって初めての愛国心教育ということからか、NHKが撮影に入るからか、担任だけではなく、校長が直々に授業に参加した。授業の背景には教育基本法が改正され、2006年12月22日の公布・施行を受けて学習指導要領の内容が基本法の「教育の目標」〈5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。>の規定に従って変更されたという事情があった、

 校長は子どもたちに自分たちが住む日本のよさは何だと思うかと前置きしてから質問した。
 校長「僕はこうなんだ、私はこうなんだとよということを少し紹介して欲しい」
 女子生徒「日本人は正直さと言うことを大切にしていて、日本人は正直だと思う」
 男子生徒「空気がきれいなところへ行けば、星がたくさん見れる」
 女子生徒「春夏秋冬の四季があって、景色が四季によって変わるし、何か旬の食べ物も四季によってある」

 校長も担任も生徒それぞれの意見を言ったままに引き取ってそれで終わらせている。一つの意見が出るごとにその意見についてどう思うか、違う意見があるかほかの生徒の何人かに尋ねて、いくつかの違う意見と合わせてより幅広い知識・情報へと近づけていく相対化を試み、視野を広げ、世界を広げる意図の言葉の闘わせは一切行うことはなかった。例えば最初の女子生徒の意見「日本人は正直さと言うことを大切にしていて、日本人は正直だと思う」に対して「この意見はどう思うか」を尋ねた場合、「正直な日本人ばかりではない。中には平気でウソをついて人を騙す日本人もいる」、あるいは「正直でいようとしても、ついウソをついてしまうこともある」、「正直なのは日本人ばかりではない。どこの国の人も正直な人間は存在する」等の異なる意見が出た場合、校長・担任がそれぞれが間違ってはいない意見であって、正しい意見は一つではないことを教えることができれば、言葉の闘わせを通した知識・情報の相対化の訓練となり、自ずと児童・生徒の視野と世界を広げることができる。但し最初に意見を述べた女子生徒が自分の意見が否定されたような不愉快な感情に囚われることになったとしても、違う意見を出し合う授業が日常的に繰り返されるようになれば、喜怒哀楽の感情の交錯がごく自然に当たり前となって、不愉快な感情に囚われることもいっときのことと慣れて知識・情報の相対化を通した自分自身の視野や世界を広げていく"成長"に意味を見い出す可能性にこそ期待できる。

 要するに相対化の言葉の闘わせを通して快・不快の感情のコントロールの訓練とすることができる。この論理でいくと、アメリカでは小学校から自分の意見を言う教育が行われ、中学からは何らかの議題について「賛成派」と「反対派」に別れて「ディベート」と呼ばれる言葉の闘わせが頻繁に行われているが、にも関わらずイジメが存在するのは平行して感情のコントロールの訓練が行われていないことが原因と見なければならないことになる。思うにディベートという言葉の闘わせは「論理的に話す力」や「説得する技術」の競い合いであって、本質的には情報リテラシー(情報活用能力)を試す活動であり、特に他者関係を動機として誘発される自身の感情を客観視して言語化し、コントロールする感情リテラシー(感情活用能力)を試す活動ではない点がイジメ防止に有効な手立てとなっていない原因と言えるように思える。

 当然、言葉の闘わせは情報リテラシーと同じ線上に置く活動とは限定せずに感情リテラシーをより重視する活動とし、イジメ防止のためのロールプレイは感情リテラシーを十分に意識した快・不快の感情コントロールの訓練となる言葉の闘わせとする必要がある。

 では、現在学校で取り入れているイジメ未然防止のロールプレイはイジメ加害者に対して自身の負の感情を見つめさせて言語化を仕向け、快・不快の感情のコントロールへといざなう仕組みとなっているのか、次のネット記事からロールプレイ用シナリオ3例を挙げてみる。ネット検索で気づいたことだが、ロールプレイが物事への客観的視点を高めて日常生活での課題や問題点、さらに自己自身の行動や思考に目を向けるようになって自己再発見能力や善悪の判断能力の向上をもたらし、イジメ未然防止には役立つといった記事の多さに比較してロールプレイの実践例を紹介するページは非常に少なかった。

 《いじめ6時間プログラム》(ほんの森出版)

シナリオ 小学生用
Aはこの前トイレに行ったとき、うっかりと手を洗うのを忘れてしまいました。
BとCはそれを見ていて、その日からAのことを「バイ菌」と呼んだり、「ふけつ」と言ったりしています。また、「バイ菌がうつる」という理由で、Aに触ったり近くに行ったりするのを嫌がります。
※Bは、Aにプリントを配布しない。
A「プリント回してよ」
B「Aさんはふけつだから、プリント配りたくない」
A「ふけつじゃないよ」
C「だって、Aさんはこの前トイレのあとに、手を洗わなかったでしょ」
B「そうそう! Cさんと見てたんだからね」
A「あのときは、たまたま洗い忘れてただけで......今日は、きれいだよ」
C「Bさん! Aさんと話してたら、バイ菌がうつっちゃうよ」
B「そうだね。Aさんはふけつだから、話さないほうがいいよね」
A「今日は、きれいだって言ってるのに......」

シナリオ 中高生用①
Aは教科書の音読を指名されたとき、つっかえてしまい、クラスで笑われてしまいました。
次の授業で、またAの順番になったとき、後ろの席のBとCが小さな声で「また、読めないんじゃない?」と言いながら、クスクス笑っています。そのことがプレッシャーとなって、Aが小さな声で読んでいると、後ろから「聞こえませ~ん」「何を言っているかわかりません」などの声があがり、他のクラスメイトも笑っています。Aに対するからかいが、しだいにクラス全体に広がっていってしまいました。

※Aが指名されて、小さな声で教科書を読んでいる。
A「..................」
B「聞こえませ~ん。もっと大きな声で読んでくださ~い」
A「..................」(1回目より、ちょっとだけ大きな声で)
C「すみませ~ん。何て言ってるか全然わかんないですけど」
D「アハハハ~!」(大勢で笑う)
A (黙ってしまう)
E (下を向いて黙っている)
〈2回目は続きとして〉
F「からかったり、笑うのやめなよ。そういうこと言われたら、だれだって嫌でしょう?」

 シナリオ 中高生用②

 昼休みにAが図書室から借りた本を読んでいると、後ろでBとCのグループが「Aって
いつも本ばかり読んでいて暗いよね」「話しかけても続かないよね」「何、考えているんだ
ろうねぇ~」などとうわさ話をしています。
 ある日の休み時間、いつものように本を読んでいると、また自分のうわさ話が始まった
ので、Aは思いきって後ろを振り返ってみました。すると、BやCが「うわっ、こっち見
てる、キモイ!」などと大声で叫び、それを見ていたまわりの人たちまで一緒になって笑
い始めました。
※Aが昼休みに教室で本を読んでいる。
B「Aさんってさ~、いつも本ばっかり読んでるよね。暗いよねぇ~」
C「だよね。何、考えてるか、全然わかんないよね」
B「このあいだ、話しかけてきたんだけど、何言ってるか全然わかんなかった」
C「うける~」
※たまりかねてAが振り返る。
A「……あの……」(小さな声で)
B「うわっ! こっち見てるし。こわっ」
C「超キモイんですけど~」
D「アハハハ~!」(大勢で笑う)
A(黙ってしまう)
E(見て見ぬふりをして、下を向いて黙っている)
〈2回目は続きとして〉
F「からかったり、笑ったりするのやめなよ。陰口はよくないよ」

 この記事ではロールプレイでのこれらのシナリオの意図についてイジメの場面かどうかを把握させること、いじめの発端となりやすい場面を認識させること、それぞれの役を交代で演じさせて、イジメ加害者やイジメ被害者、イジメ傍観者等になったときのそれぞれの気持ちを発表して、お互いの気持ちをシェアリング(共有)すること、このような相互理解を通してイジメに関する判断能力を高めてイジメ防止に役立てるといったことを説明している。但しどのシナリオを見ても、目的に入れていないのかもしれないが、負の感情をより直接的にコントロールさせることを意図した内容とはなっていない。例えば小学生用のシナリオにあるトイレに行ってうっかりと手を洗い忘れた行為を取り上げて「バイ菌」、「ふけつ」と名指しするのは他人の些細な落ち度に対して自分には些細な落ち度もないとする、負の感情となる自己優越性の誇示に当たるが、現実には落ち度のない人間は存在しない。友達との約束を破る、大事な用事を忘れてしまう、ついウソをついてしまう等々。当然、小学生相手でも、自分にも何かしら落ち度があると他の生徒の落ち度を相対化して(価値観の相対化)、他人の落ち度のみに不快な感情を投影させることの間違いを指摘、指摘を通して負の感情をコントロールさせる技術を学ばせなければならない。

 先ずシナリオ通りのロールプレイを行ってから、Aに「BさんとCさんは手を洗い忘れたことはないの?友達との約束を忘れたり、大事な用事を忘れたり、何かしら失敗したことはないの」というセリフを付け加えたロールプレイを次に演じさせたなら、他の生徒の些細な落ち度に「バイ菌」、「ふけつ」と決め付けて自分はさも落ち度が全然ない完璧な人間であるかのように自己の優越性を誇示する類いの負の感情の見せつけは、当たり前の感覚をしていたなら、恥ずかしい思いに駆られなければならない。最後に担任が「自分には全然落ち度がないかのようにほかの生徒の落ち度を攻撃した生徒が自分にも何かしら落ち度があることに気づいて(自己客観視からの価値観の相対化)、攻撃したことが間違いだったと気づいたとしたら、それだけ人間として成長していることになる。いつまでも気づかないでほかの生徒の落ち度を攻撃し続ける生徒は人間として成長していないことになるから、気をつけるように」とロールプレイを講評したなら、イジメ未然防止により役に立つことになるだろう。

 「中高生用①」のイジメは緊張を原因とした失敗を笑って、からかう内容となっている。もし自分も緊張して失敗することがある生徒だったら、笑うことも、からかうこともできず、逆に同情することになるだろう。緊張し、失敗する生徒との比較で自分を緊張することも失敗することもない優秀な生徒と位置づけていなければ、ほかの生徒の失敗を笑ったり、からかったりはできない。しかし緊張もしない、失敗もしないという完璧な人間はこの世に存在しないのだから、間違った自己優越性に囚われた負の感情からの嘲り、からかいということになる。そのような負の感情をコントロールさせるためにはAかほかの誰かに「自分が何があっても緊張することもない、どのような失敗もすることもない完璧な人間でなければ、誰かが緊張して、失敗したことを笑うことはできないはずだ」のセリフを一言喋らせたなら、ロールプレイの観客は誰もが完璧な人間など存在せず、誰だって緊張することも失敗することもありうるという人間価値観の相対化を学ぶことになり、誰かの緊張や失敗を標的にからかったり、笑うことは間違っていることだと気づくことになるはずだし、そこまでいかなくても、耳にすることで自分が何かで失敗したときに思い出して、人が緊張して失敗したことを笑うのは間違いだったと気づく、否定できない可能性に掛けることもできる。

 担任は「どのような緊張も、どのような失敗もしない完璧な人間はこの世に存在しない。誰もが緊張することも失敗することもあるというアタリマエのことをいつも頭に入れておくことができる、人間としての成長を見せて欲しい」と講評して、児童・生徒一人ひとりの人間としての成長がイジメの起きない学校環境を作り出す要因となるということを伝えておくべきだろう。

 「中高生用②」のシナリオは学校社会のルールに反していないにも関わらずにその範囲内の自分たちとは異なる児童・生徒の存在の有り様を認めることができずに快・不快の感情だけで判断して、からかい、笑う内容となっている。この関係は自分たちの存在の有り様を絶対とし、異なる児童・生徒の存在の有り様を否定すると同時に自分たちと同じ存在の有り様を押し付け、全く同じ存在の有り様に持っていこうとする強制意思の働きを見ることになる。自分たちと同じでないことが面白くないためにからかい、笑う負の感情の働きがそうさせている。人は社会のルールに反しない限り、その社会に自身をどう存在させるかは自由である。本ばかり読んでいて、ほかの生徒と話すのが苦手というのも一つの生き方であり、その生徒の個性である。お互いの生き方、お互いの個性を尊重する教えができていて、生徒それぞれが自身の感性とすることができていたなら、快・不快の感情をコントロールできないままに、不快の感情のみを突出させて、自身のそのような感情の中に他者存在の有り様を取り込もうとする欲求は誰かがブレーキ役を果たして、簡単には集団化することはないだろう。

 お互いの生き方、お互いの個性を尊重する教えは簡単である。「ほかの生徒を笑うことができる程に自分は立派な人間か、先ず考えて、立派な人間だと自信を持って誰にでも言うことができるようなら、ほかの生徒を笑うようにしたまえ。だが、実際には立派な人間程、人の失敗を笑うようなことはしない。どの生徒も、その生徒なりに生きている。その生き方がその生徒の個性であって、立派な人間程、お互いの生き方、お互いの個性を尊重することができるから、他人の失敗を笑うようなことはしない」
 
 当然、生徒それぞれに自分はどのような人間か振り返る自己省察の機会を頻繁に与えて、価値観の相対化を学ぶことができるように仕向けなければならない。価値観の相対化を学ぶことができれば、自ずと感情のコントロールができるようになる。となると、「中高生用②」のシナリオに、「本ばかり読んでいて、暗い印象を与えてしまうのはAの個性だし、そのせいで話しベタでも、頭の中は物凄い知識が詰まっているのかもしれない」とこのようなセリフを付け加えれば、個性が人それぞれによって違いがあり、それぞれの違いを認めなければならないという個性の尊重の訴えとなり、そこから何がしかを学ぶだろうし、本ばかり読んでいて暗いように見えるマイナスの価値観(他人の価値観)に対して頭の中は知識が一杯詰まっているかもしれないというプラスの価値観(本人の価値観)を置くことで価値観の相対化に思いを持っていくようにしなければならないし、このようなロールプレイを繰り返すことで価値観の相対化を生徒それぞれの確かな感性とするに至る可能性は否定できない。価値観の相対化が感情のコントロールを伴走者とする。

 担任は次のようなことも伝えるべきだろう。「自分たちだけが喜怒哀楽の感情、喜びや怒りや哀しみや楽しみの感情を持って生きている命というわけではない。暗い一辺倒で何の取り柄もないように見える生徒であっても、ほかの生徒と同じように喜怒哀楽の感情を持ってそれぞれに生きている一つの命だということを忘れないように。暗い、キモイと言われれば、その命は傷つき、怒りの感情を持ったり、哀しみの感情を湧かせたりする。こういったことが理解できて、それぞれの命を尊重できる心の広い人間に成長していけるようにしなければ、生きている命としてどこがが足りないことになる」

 それぞれの生徒がそれぞれに喜怒哀楽の感情を持ってそれぞれに生きている命であるという価値観の相対化と相対化を可能とする成長を求めていき、求めに応じた成長を見せることができれば、負の感情をコントロールする能力も自ずと育っていく。

 では、最後に当方がイジメの事前防止に役立つと考えたロールプレイを紹介してみる。前以ってシナリオを用意して演じさせるものではなく、現実に起きているイジメをベースにして全編アドリブの即興劇で演じるロールプレイとする関係上、各学年の各教室で演じるのではなく、中学生、小学生、それぞれ全校集会形式で行う。小学生は6年生から、中学生は3年生から始めて、以下下級生たちにセリフの受け答えや展開の方法を学習させる。始める前に半ば生徒それぞれの知識となっているだろうが、イジメはどういった種類があるか、その態様や特質、原因・背景等々を学習させておく。最初からはロールプレイでの臨機応変な言葉の遣り取りは難しくても、考える力や会話力を養うという訓練の意味も込めて様々に繰り返させ、お互いのアドリブを参考材料や反省材料にして上達させていくという方法を採用する。テーマは担任が決める。導入部はイジメ被害者がイジメ加害者に対して「イジメはやめてくれ」というところから入るのを決まりとする。目的は厭なことをされたとき、断ることのできる会話を習慣とすることが当たり前のことだと生徒全員に認識させるためである。ロールプレイの登場人物も観客もイジメを断る場面を当然の光景として頭に記憶するようになれば、断らないことの方が生理的にも、理性の点から言っても、不自然な態度と認識するようになる。イジメ加害者にとっても、同じ感覚に迫られるだろう。

 ロールプレイを通してイジメの加害者、被害者、観客としてイジメとイジメに対する善悪の感覚を疑似体験(現実に似せた状況に身を置き、現実に起こるであろう様々な感覚を体験すること。)し、それが頭の中に記憶として僅かにでも残れば、のちにイジメ加害者の立場に立ち、あるいは被害者、観客がそれぞれの立場に立たされた場合にロールプレイでの疑似体験の再体験の形を取ることになるから、僅かにでも残ったロールプレイでの記憶ははっきりとした姿かたちで再現を受けやすく、イジメの加害者は自分は今イジメを働いている、イジメの被害者は今イジメを受けている、その場に居合わせている、いわば観客は今イジメを目にしている等々、それぞれに現在進行形の自己認識(自分は今何をしているかという認識)を働かせやすくなり、同時に疑似体験で受けた善悪の感覚をも自己認識(自分は今何を感じているか、どのような感覚でいるかという認識)することになって、自分自身を省みて善悪いずれかを判断するのかの自己省察の場に向かわざるを得なくさせる。つまりイジメ加害者に対してであっても、結論はどう自己認識しようが、善悪いずれかを考えざるを得ない自己省察の機会を与えることになる。

 アドリブで演じることになるロールプレイだから、登場人物が次のセリフに詰まった場合、担任が適宜手助けする。手助けは価値観の相対化と負の感情のコントロールを仕向ける方向への展開としなければならない。担任はそれ以上の展開が望むことができない場合、終了を告げて、解説と講評を行う。では、以下を参考にアドリブのロールプレイを演じるよう求めて欲しい。

 わざと靴を踏む嫌がらせを例としたロールプレイ

 被害者A「靴を踏むのはやめてくれ」
 加害者B「間違えて踏んだんだ」
 (言葉に詰まったなら、担任が手助けする。)
 担任「イジメは特定の誰か1人か2人を標的にする。イジメなら踏む生徒と踏まれる生徒は決まっていて、しかも何回も踏まれることになる」
 被害者A「何回も踏んでいる。同じ人間の靴を何回も踏み間違えるわけはない。目的があって、わざと踏んでいるんだ」
 加害者B「・・・・・」
 担任「何か原因があって、嫌がらせをするという結果がある。原因は面白くない態度を取られたとか、面白くないことを言われたとか、何かで得意になっているとか。原因を尋ねたまえ」
 被害者A「なぜ踏むのか教えて欲しい」
 加害者B「いつもいい子ぶっている」
 被害者A「いい子ぶってなんかいない」
 加害者B「自分で気がつかないだけじゃないか。いい子ぶってる」
 被害者A「いい子ぶってなんかいない」
 加害者B「みんなからもいい子ぶってるって見られている」
 担任「終了。加害者Bは被害者Aがいい子ぶってると思っていて、それが面白くなくて、懲らしめてやろうと思って靴を踏む嫌がらせをした。そうなんだな?」
 加害者B「そう」
 担任「誰かをいい子ぶっていると思ってしまうと、大抵、厭な奴と誰もが抱く自然な感情だと思う。どこまで懲らしめるつもりでいたのだろうか。不登校になるまで、あるいはイジメを苦にして首を吊るか、ビルの屋上から飛び降りるまでだろうか」
 加害者B「・・・・」(答えることはできないだろう)
 担任「だけど、いい子ぶっていると思わない生徒もいるはずだ。クラスの全員が全員共にいい子ぶっているとは思っていないと思う(価値観の相対化)。例えA自身がいい子ぶっているのが事実だとして、いい子ぶるのはA自身の問題で、いい子ぶっていて面白くないと思うのは懲らしめるために靴を踏む嫌がらせをしているのだから、取り敢えずはB自身の問題ということになる。だが、Aにしてもそうだが、Bにしても、自分自身の問題としてやらなければならないことはたくさんあるはずだ。いい子ぶっていて面白くないからと靴を踏んでいるよりもやらなければならない自分自身の問題を一つ一つ片付けていくことの方が自分自身の成長のためには大切なことではないだろうか。このことを理解できたら、自分自身の成長のためにしなければならないたくさんのことから比べたら、ほかの生徒がいい子ぶっていることなど小さなことになると思う」(価値観の相対化と負の感情のコントロール)

 プロレスごっこ。

 被害者A「プロレスごっこはもうやめることにする」
 加害者B「なぜ?」
 被害者A「技を掛ける方と技を掛けられる方が決まっているのは遊びではなく、イジメだと前に本で読んだことがある」
 加害者B「しょうがないじゃないか、俺の方が強いんだから」
 被害者A「勝ったり、負けたりして、初めて遊びになるんだって」
 加害者B「八百長はできない」
 被害者A「勝ったり負けたりするには弱い相手ばかりではなく、同格の相手や強い相手とも戦わなければならないって書いてあった。いつも相手は僕一人じゃないか。僕ばかりを相手にしないで欲しい」
 加害者B「じゃあ、今度負けてやる」
 被害者A「首を絞められて、苦しい思いはもうしたくない。床を叩いてギブアップしても、すぐには腕を離してくれないから、この間は苦しくて、本当に死んでしまうんじゃないかと思った」
 加害者B「じゃあ、今度からはすぐに腕を離す」
 被害者A「僕はもういい。誰か君よりも腕っぷしの強い相手として欲しい」
 加害者B「・・・・・」
 担任「終了。B、君はプロレスごっこの相手になぜAを選んだんだ」
 加害者B「友達だからです」
 担任「友達はA以外にいないのかね」
 加害者B「いいえ、います」
 担任「友達がA以外にもいながら、プロレスごっこの相手はいつもAと決まっているのはなぜなのかね」
 加害者B「・・・・・」
 担任「何か腹が立って、懲らしめてやるつもりでプロレスの技を掛けたのが始まりだったが、技があまりうまく掛かって得意な気持ちになって、続けることになってしまったのではないのかね?」
 加害者B「分かりません」
 担任「少なくともAは幸いにもBよりも体力的に弱い人間であるためにAとプロレスごっこをしている間はカッコいい主役クラスの活躍を演じることができていたことになる。いつもAを負かせて、君自身はいつも勝利する活躍を見せつけることができていたからだ。だけど、弱い人間相手の活躍はAだけか、Bの仲間数人だけに通用させることができていたのであって、その他大勢の生徒にまで通用させることができていた活躍というわけではない。(価値観の相対化)社会に出てからも同じように似た活躍しかできなかったなら、ごく少数の仲間には通用しても、その他大勢の社会人には通用しないことになる。社会に向かって成長していくためにも今のうちから、その他大勢の生徒にまで通用させることができる活躍の道を考えるべきではないのか。そのためには面白くないことをされたから、懲らしめで痛めつけてやるといったことは、大体からして意味はないことなのだから、控えるべきではないのか」(負の感情のコントロール)

 集団無視のロールプレイ(加害者Bが集団無視のリーダー、被害者Aは以前グループのメンバー)

 被害者A「みんなで無視するのはもうやめてほしい」
 加害者B「無視なんかしていない。相手にしないだけだ」
 被害者A「・・・・」
 担任「理由を聞いたら?」
 被害者A「なぜ?理由は?」
 加害者B「口を利く必要がないから口を利かない。呼びかける必要がないから呼びかけない。だから、相手にしないことになる」
 被害者A「・・・・・」
 担任「Aはクラスの全員から口を利いてもらえないのか?」
 被害者A「ううん。Bのグループからだけ」
 担任「B、Aはクラスの全員から口を利いて貰えないわけではない。なぜ君のグループの全員だけが口を利かないのだ?」
 加害者B「そんなことは知らない」
 担任「グループのメンバーはリーダーの君が恐くて、口を利かない君に従って口を利かないようにしているのか?」
 加害者B「口を利くなって一言も言っていない」
 被害者A「グループの中に以前口を利いてくれたメンバーが何人かいたけど、Bから無視されるようになってから、誰も口を利かなくなった」
 担任「Bが口を利くなって指示を出さなければ、全員が口を利かなくなるなんてことはなかったことになる」
 加害者B「指示なんか出していない。勝手にみんながそうしているだけだ」
 担任「指示を出さなくても、メンバーはBが怖いから、顔色を窺う形で口を利かなくなったのではないのか」
 加害者B「そんなことはしらない」
 担任「どうしても口を効きたくなくて、必

要に迫られる以外は口を利かないでいる相手というのはいる。先生もいる。だが、誰と口を利く、利かないは本人の自由意思で決めることで、誰それが恐くてとか、誰それに気兼ねしてといった理由で自分自身の自由意思を曲げさせてしまう人間関係は本当の友だち関係とは言えない。Bはグループのメンバーと本当の友だち関係を築いているとはとても言えない。君が恐くて従っている。君は怖がらせて従わせている。本当の友だち関係ではない」
 加害者B「・・・・・」
 担任「BがAと口を利かないのは君の自由意思だが、メンバーと本当の友人関係を築きたいと思ったら、メンバーがAと口を利く、利かないはメンバーそれぞれの自由意思に任せるようにしなければならない。(負の感情のコントロール)任せることができるまでに成長しなければ、今はいいかもしれないが、社会に出てからはそれ相応のリーダーとはなれないかもしれない」(価値観の相対化)

 参考のためのアドリブ即興劇のロールプレイを挙げたが、担任のセリフは同じような場面設定のロールプレーを繰り返すうちにその多くを生徒自身が慣れを受けて、肩代わりするようになるだろう。誰もがそれなりに考える力を持っている。その考える力をロールプレイの繰り返しによって刺激することの意図のもと、イジメを断るところから入ることで断ることができるようにならなければならないという義務感を持たせるように促していく。以上――

 良い年の瀬を。来年もよろしく。

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