「反党行為」禁止は安倍国家主義への大いなる一歩

2006-11-05 16:03:06 | Weblog

 一週間程前に郵政造反議員復党問題で、中川秀直自民党幹事長が「反党行為をしない」ことを条件に復党を認めるといった発言をしたとテレビで報じているのをパソコンに向かっているときチラッと耳にしたものだから、後でインターネットで確かめて見た。日経のHPに次のような記事を見つけた。

『「反党行為せず」の確約も 造反組復党条件で中川氏』(06.10.29.日12:27)

 「自民党の中川秀直幹事長は29日の民放テレビ番組で、郵政造反組の復党条件について、昨年の衆院選での政権公約順守や安倍晋三首相の所信表明演説支持に加えて『二度と反党行為をしない』と確約することも必要だとの認識を示した。
同時に『復党を希望する人には踏み絵を踏んでもらわなければならない』と指摘。造反組のうち郵政民営化反対を貫いている平沼赳夫元経済産業相についても『きちんと反省すると言ってもらわないと大義がなくなる』と述べ、復党条件として郵政民営関連法案の採決で2回にわたり反対票を投じたことへの反省表明を挙げた。
 造反組が復党後の党公認候補との選挙区調整に関しては『方法は色々ある』と自信を示した」

 ここに見る「反党行為」禁止は一見新たに付け加える単なる党規則のように見えるが、条件となっている「昨年の衆院選(05年9月11日)での政権公約順守や安倍晋三首相の所信表明演説支持」をすべて賛成せよとする無条件性の要求を裏返すと「公約」と「所信表明演説」を絶対善とすることへの命令であり、そこに個人の思想・信条が自由に入り込むことを許さない、それらの否定(思想・信条の自由の否定)に当たる。このような禁止制度は全体主義的、もしくは国家主義的禁止事項に入らないだろうか。

 大体が政府・与党が党として掲げた公約自体も多数決の原理に従って賛否の手続きを経たもので、賛成多数を得た政策だからとの理由で、あるいは党の賛成多数を経て総理・総裁となって掲げた「所信」だからと、すべての議員にその「遵守」を命ずるのはやはり全体主義あるいは国家主義の網にかける行為に当たらないはずはない。

 政府・与党提出の法案を与党議員が反対票を投じたことを以て、「反党行為」とする。その法案にしても政府・与党案と決定する段階で反対少数が存在した賛成多数の採決という民主主義の手続き経ているもので(「反党行為」が生ずる以上、全会一致の賛成ではない)、反対者が採決後も自らの主義主張もしくは信念に関わるからと多数決の原理を裏切って反対を貫き、それを行為で以て表現したとしても、それが反社会行為・反法律行為に当たらない場合は思想・信条の自由なる基本的人権の保障によって許されるはずである。

 それが許されないとなれば、例え法案の内容に対して考え方の違いがあっても、全員が賛成しなければならないことを規定することになる。自分の考えを殺し、政府・党が決定した異なる考えに賛成せよということであって、明らかに全体主義・国家主義を制度とすることに他ならない。

 例えば飲酒運転を罰する法律の制定に関して飲酒運転禁止の条目がその人間の信条に反するとして反対票を投じたから、例え施行されたとしても思想・信条の自由を楯に飲酒運転が許されるわけではない。法律が制定・施行された以上、飲酒運転は誰にとっても反社会行為・反法律行為の範疇に所属することになり、例え事故を起こさなくても飲酒運転をしたことが分かれば罰せられる。

 だが、国営事業を国営維持か民営化なのかの選択で、与党内の賛成多数を得た政府・与党の民営化の法案に対して国会の場で与党から反対票が生じたとしても、例えそれを「反党行為」とするとしても、主義主張の点から反対姿勢を貫くことを以て反社会行為・反法律行為に転ずる行為となるわけではない。事業に所属していて、国営に賛成し、結果として民営が決定した場合は、民営に反対した立場上、民営組織に踏みとどまるのは潔しとしないだろうが、例えとどまったとしても、反社会行為・反法律行為となるわけではない。道義的に骨のない奴だと軽蔑され、出世から見放されはするだろうが。

多数決の原理で主義主張の賛成・反対の決定が下っていくとしても、それが反社会行為・反法律行為か否かの線引きがなされる種類の決定でなければ、是非は別として、〝賛成〟という決定に従う・従わない自由まで制限されるわけではないと言うことである。いわば、そのような決定に対して自分の主義主張まで売り渡す必要はないと言うことができる。

 党議拘束に於いても同じことが言えるはずである。党議自体が多数決の原理で決定していくプロセスを前提としていて、それが反社会行為・反法律行為か否かの線引きがなされる種類の決定でなければ、多数決の決定に従って自らの反対の姿勢を撤回することは自分で自分の思想・信条の自由を裏切る行為となる。元々〝党議拘束〟という態度決定の制度自体が民主主義国家に於ける非民主的で全体主義的な手続きだったのである。

 そのような非民主的で全体主義的な賛否原理から、中川秀直自民党幹事長が唱える「反党行為」禁止は明らかに純然たる全体主義・国家主義への大きな前進を示す。

 中川幹事長は自民党内にあって安倍首相の内閣意思を体現し、それを党に反映させることを重要な役目の一つに担っている。そのことを裏返すと、郵政造反組復党に絡めて「反党行為」禁止で見せた全体主義的・国家主義的色彩は安倍首相の意志の反映でもあるということになる。

 首相の決定が政府・与党の決定であり、その決定に反する行為を「反党行為」とする構図は首相を絶対的な肯定的存在とすること、あるいは戦前の現人神天皇がそうであったように過ちなき存在とすることであって、そういった制約を設けて国家権力指導者を位置づける国家体制は全体主義もしくは国家主義を制度とする国家体制に他ならない。

 反対した法案が法律として制定・施行されたからといって、反対の姿勢が反社会行為・反法律行為となるわけでもない事例の反対であっても「反党行為」とレッテルを貼られということになれば、レッテルを貼られることでいわゆる干されるといった冷遇やそれ以上の除名を恐れて首相の顔色を窺い、自らの言論を封じる更なる全体主義体制・国家主義体制につながっていく危険性が生じる。その行き着く先は口にする主義主張は首相の政策の範囲内の内容となる。そうなることの虚無感から、口をつぐむ議員も生じるだろう。何を言ってもムダだと。

 国家主義の側から言えば、自らの主義主張に反する考えに対しては「反党行為」というレッテルのみで葬り去ることができる便利な武器を手にすることになる。戦前の日本に於いては国家権力が「国賊」・「非国民」・「アメリカのスパイ」等のレッテルを使って国民の意思を国家権力に都合のよい状態に統制可能とした。国民の側から言えば、「国賊」、「非国民」、あるいは「アメリカのスパイ」とレッテルを貼られて村八分状態にされるのを恐れ、国の政策に口をつぐんむこととなったのである。絶対多数の日本人が自らの主義主張に封印を施した。

 民主主義国家に於いても例え文字通り優秀な政治家であっても、首相を絶対的存在としてはならない。矛盾なき存在は存在しない。クリーンを身上として県政を担った知事が多選を重ねることで絶対的存在と化し腐敗していく状況は、絶対的存在化への警告でもあろう。


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