安倍晋三が10月23日、都内で開催の全国殉職警察職員・警察協力殉難者慰霊祭に参列、追悼の辞を述べた。警察協力殉難者とは、犯罪阻止などで警察に協力して命を犠牲にした市民だけではなく、単に犯罪を阻止しようとして命を犠牲にした市民も入るのだろうか。
安倍晋三「全国殉職警察職員・警察協力殉難者慰霊祭に当たり、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
このたび新たに祀られた7柱の御霊は、自らの危難をも顧みず、治安維持のため職務に殉じた警察職員と、人の命を救おうとして殉難された方々です。皆様が身をもって示された誇り高き精神と勇気は、私たちの誇りです。
一方で、愛しい家族を失われた御遺族の皆様の悲しみ、無念さを思うと、悲痛の念に堪えません。御遺族の皆様に対し、心からお悔やみ申し上げます。
ここに祀られた6781柱の御霊を前にして、国民を守るという、その職務に対する強い使命感と覚悟に、あるいは他者をいたわる深い人間愛に、衷心より敬意と感謝の意を表します。
私たちは、御霊の尊い御遺志を受け継ぎ、犯罪や災害から国民を守るという国としての責務を全うし、『世界一安全な国、日本』の創造に全力で取り組んでまいります。
ここに改めて、御霊安かれと、心よりお祈り申し上げますとともに、御遺族の皆様の御平安を切に祈念いたします」(首相官邸HP/2014年10月23日)
警察官が職務で殉職するのはある意味宿命としなければならない。宿命の反対給付として、それを可能な限り避けるために拳銃所持が許されているはずである。いわば拳銃所持は宿命に対する安全確保の手段であり、安全確保の象徴となっている。
軍人が武器で身を固め、身の安全を図るようにである。警察官と軍人の所持する武器のパワーの違いが宿命の切迫度の違いを現している。一旦戦場に立った軍人の職務に殉じる殉職の危険性の確率は警察官の比ではないだろう。
問題は一般市民が武器も持たず、警察官の職務に協力して犠牲となった「警察協力殉難者」である。その場にいた警察官の、あるいはその場にいなかった場合にしても、警察組織としての社会的な治安維持の行政作用が満足に機能しなかったことを意味する。
言ってみれば、警察協力者の殉難は止むを得ない状況にあったとしても、警察組織が関わっている治安維持の犠牲と言うこともできる。
安倍晋三は「世界一安全な国、日本の創造」を公約とした。全国殉職警察職員・警察協力殉難者慰霊祭での公約だから、犯罪の面で「世界一安全な国、日本の創造」と言うことになる。
だが、元来から日本は犯罪の少ない国である。2014年7月9日付「Rocketnews24」が海外サイト「Lifestyle9.com」のFBIデータを参考に「犯罪率」を中心として選出した「世界安全な国トップ10」を伝えているが、日本は犯罪率(13.11%)、安全率(86.89%)共にトップを占めている。
いわば日本は世界の中で犯罪面で既に最も安全な国となっているから言うことができる「世界一安全な国、日本の創造」ということであり、カラ手形とならずに済むということであるはずだ。
但し日本人は一つのことを目標にすると、その目標にのみ視野が囚われて、他の物が目に入らず、物事を複合的に捉えることが不得手な傾向にあると言われている。
確かに犯罪面では世界各国と比較して既に「世界一安全な国」となっている。だが、生活面で、生活の安全・安心という点で日本は「世界一安全な国」と言うことができるのだろうか。
世界保健機関(WHO)の2012年推計による日本の人口10万人当たりの自殺者数は1位北朝鮮の39.5人、2位韓国の36.6人、日本は9位の23.1人となっていて、西欧先進各国と比較した場合ダントツの1位となっている。
自殺は何らかの理由で生活の安全・安心から見放されたことによって起こり、生きる権利の自らの放棄を示す。いわば権利意識の消滅が死を引きよせる。
人口が日本の2倍以上もあり、銃犯罪による年間死者数が10000人以上と言われている犯罪多発国の米国の人口10万人当たりの自殺者数は41位、13.7人である。
いわば日本とアメリカの自殺と犯罪の発生状況は逆の関係にある。
犯罪面の治安に関しては日本の安全は保障されているが、生活面の安心・安全に関しては日本国民は必ずしもその安心・安全を保障されていはいない。
当然、犯罪面でのみ、「世界一安全な国、日本の創造」とは言っていられないということである。
安倍晋三が自殺者数によって表される生活面の安心・安全が必ずしも保障されていない状況を視野に入れて、犯罪面で「世界一安全な国、日本の創造」を口にしたのなら問題はないが、中国や韓国との関係改善を満足に進めることができずに、訪問の受入れという点で、相手国の首脳のスケジュールとの関係以外何ら問題のない国々を訪問して、訪問国数や首脳会談数を根拠に「地球儀を俯瞰する外交」だと自らの外交能力を誇る単純視野からすると、犯罪面の安全のみ視野に入れた「世界一安全な国、日本の創造」を主張したとしか思えない。
もう一つ、犯罪は物質的な欲求や精神的な欲求を法律等によって規定されている社会のルールを無視して充足させようとすることによって起こるが、その充足願望の背景は権利意識を動機としていることが多い。
金持ちたちの多くは天下りだ、渡りだ、あるいは多額のワイロを手に入れたり、談合したり、巨悪を基に得たカネで豊かな生活を送っている、正直者がバカを見る世の中だ、カネがなくて生活に困っている俺が銀行強盗をしたって、巨悪に比べたら、大した犯罪ではないと自己を正当化して銀行強盗を試みるのも、一種の権利意識を動機としている。
勿論、歪んだ権利意識の発露以外の何ものでもないが、全体的な国民の性向として権利意識が希薄であると、このことと比例して犯罪という形を取る歪んだ権利意識の発露も少なくなる。
当然、権利意識の高さを国民的性向としていると、その国の犯罪の発生率は高くなることになる。俺がこのように虐げられた生活を強いられているのは社会が悪いからだと歪んだ権利意識から自身の権利を証明しようとして不特定多数に向かって銃を乱射したりする。
西欧各国の若者をイスラム国に向かわせる動機にしても、自国で充足させることのできない権利意識をイスラム国が充足させてくれると信じ込むに至っているからだろう。自国では果たすことができない自己実現、あるいは自己存在証明をイスラム国は実現させてくれるとばかりに。
日本人は上は下を従わせ、下は上に従う権威主義を行動様式・思考様式としている全体的性向が原因となって、希薄な権利意識を伝統的な国民性としている。但し戦後民主主義を植えつけられて、基本的人権というものを教えられ、それなりの権利意識を持つようになったが、先進欧米各国と比較した権利意識はまだまだ未成熟な面がある。
結婚して妊娠した女性を会社側が会社を辞めさせようとするのも上が下を従わせる権威主義を動機としていて、会社の指示に不満があっても従うのは下は上に従う権威主義からの決定であって、この構図には会社側の権利の一方的な主張を見ることができるても、女性側の自らの権利を尊重して主張する姿勢を見ることはできない。
上は下を従わせるばかりではなく、下にしても上に従うばかりではなく、相互に折り合いをつけて、それぞれの権利意識を満足させる柔軟な関係に持っていこうとする相互の権利に立った思考と行動を欠くことになっている。
犯罪面で「世界一安全な国」日本という状況は国民の権利意識が未成熟な状況を背中合わせにしているということである。
当然、日本人の権利意識が西欧各国並みに高くなったとき、このことに応じて特に凶悪な犯罪が多発化していくことが予想される状況に対して国の治安――犯罪防止は、犯罪という形を取る歪んだ権利意識の歪んだ成長の阻止に重点を置かなければならないことになる。
このような犯罪防止は警察という行政機関のみならず、学校教育の関わりも必要となるはずである。
日本国民が全体として権利意識を高めたなら、政治への関心も現在以上に高まり、政治を監視し、権利意識の正当な発露として必然的に政治に物申すことになって、国民が政治をリードするようになれば、自殺者数も西欧各国並みに少なくなっていくのではないだろうか。
西欧各国にしても、その他の国にしてもそれぞれが政治の力を駆使して社会の公正化を推し進めたなら、現在の自殺者数の水準や犯罪発生数の水準をもより低くしていけるはずだ。
安倍晋三は全国殉職警察職員・警察協力殉難者慰霊祭の追悼の辞で、「私たちは、御霊の尊い御遺志を受け継ぎ、犯罪や災害から国民を守るという国としての責務を全うし、『世界一安全な国、日本』の創造に全力で取り組んでまいります」と誓ったが、社会的なそれぞれの課題を重層的に関連づけて把えるのではなく、それぞれに独立した問題として把握するだけでは創造的にして有効な政治は望むことはできない。