昨2月8日の衆院予算委員会は民主党マニフェスト(政権公約)の財源問題や税と社会保障の一体改革等をテーマに集中審議が行われた。野党が取上げた議題は主としてマニフェストの破綻、公約の破綻で、そこに追及の焦点を絞っていた。
自民党の棚橋泰文議員が同じ姿勢で09年民主党マニフェストの末尾に纏めた主要公約の「民主党の5つの約束」を取上げ、菅内閣のマニフェストを「詐欺フェスト」だと言って、その違反を問い、「無能な首相がそこに座っていることが問題だ」と解散を迫った。勿論、菅首相は支持率が1%になっても辞任しないのしがみつきを基本的姿勢としているから、解散を拒否。
理由としては「マニフェストは4年間で実現することが基本原則」だからと、4年まで猶予期間があることを挙げていたが、果してその理由に正当性があるのか考えてみた。
最初に「民主党の5つの約束」を記載しておく。
《民主党の5つの約束》
ムダづかい
国の総予算207兆円を全面組み替え。
税金のムダづかいと天下りを根絶します。
議員の世襲と企業団体献金は禁止し、衆院定数を80削減します。
子育て・教育
中学卒業まで、1人当たり年31万2000円の「子ども手当」を支給します。
高校は実質無償化し、大学は奨学金を大幅に拡充します。
年金・医療
「年金通帳」で消えない年金。
年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現します。
後期高齢者医療制度は廃止し、医師の数を1.5倍にします。
地域主権
「地域主権」を確立し、第一歩として、地方の自主財源を大幅に増やします。
農業の戸別所得補償制度を創設。
高速道路の無料化、郵政事業の抜本見直しで地域を元気にします。
雇用・経済
中小企業の法人税率を11%に引き下げます。
月額10万円の手当つき職業訓練制度により、求職者を支援します。
地球温暖化対策を強力に推進し、新産業を育てます。 |
棚橋議員は約40分間の持ち時間だったが、棚橋議員が解散を迫り、菅首相が4年間の有用期間を理由に解散を拒否した場面の質疑のみを取上げてみる。
棚橋議員が、「無能な首相がそこに座っていること自体が問題、なぜあなたはそこに座っているのか」と挑発、その理由を問い質すと、菅首相は衆議院で指名を受けたからだと答える。
正確に言うと頭数で優勢の民主党衆議院議員に指名を受けたに過ぎない。そのことを棚橋議員が、「民主党議員に選ばれたからでしょう」と指摘。そしてマニフェスト違反を理由に解散を迫った。
棚橋議員「(民主党の09年総選挙マニフェストを手で掲げて)今申し上げたように5つの約束は全部、ウソだったんですよ。2年前の衆議院選挙は、あなた方詐欺フェストで、国民を騙して、議席がこの衆議院にある。それで、あなたがそこに座っている。
しかしながら、騙したことがバレたんですから、あなたはその席を一回退いて、選挙をやり直して、国民に選んでもらうべきだと思いませんか。それが常識じゃないですか。騙していたんだから、そうすべきです。お答えください」
中井洽予算委員長「えー、申し上げますが、インチキだとか、あるいは、あー、ウソだとか、断定するのはおやめください」
棚橋議員「委員長――」
中井予算委員長「ちょっと待ってください。ヤジも含めて、聞き苦しいところがときどきありますから、十分お言葉にはそれぞれお気をつけください」
棚橋議員「委員長、委員長、委員長」
中井委員長「菅総理大臣――。(棚橋議員に)お座りください。指名しておりません。座ってください」
菅首相「先ず、うー、マニフェストについては基本的に、4年間で、えー、実現するという、基本原則で、えー、いま、あー、進めているところであります。
ま、その上でですね、私は、あ、これは政権交代というものが、あのー、完全な形であったかどうかは別にして、93年とか、何回かありました。私も他の国の政権交代、おー、などを見ていると、やはり一旦政権交代した場合は、あ、新たに政権を担当した、あ、政権が、ま、少なくとも、ま、イギリスで言えば、5年、大統領の国であれば4年は、やって、その結果、ですね、国民が改めて、えー、ちゃんとできたか、やあ、やっぱりできなかったか、それを判断して、えー、いただくのが、次ぎの、おー、総選挙あとだと思っております。
えー、そういった意味で、えー、現在の段階で、え、道半ばで、さらに大きな課題もありますので、今、解散をするといった発想は、(一段と声を強めて)全く私にはありません」
相当に身勝手な論理展開となっている。
ここは日本の国であり、日本の議院内閣制を政治形態としている。イギリスでもなけれが、大統領制を採っている国でもない。イギリスや大統領制の国の例を上げて、4年務めさせろと言うのは指導力を欠く菅首相らしい言い分だが、指導力を欠いていて、それが政権運営に於ける自らの力とならないからこそ、衆議院議員任期の4年という期間に縋るしかないのだろう。
日本の首相は総選挙後に改めて首班指名を受ける規定となっているが、逆に衆議院の4年の任期内に政権運営が行き詰まって内閣総辞職して他者に後継を託す場合と解散して信を問い直し、信を得たなら改めで首班指名を受ける場合、あるいは党代表としての任期が来た場合、引退、後継者に首相職を譲るといった交代劇が存在していて、これまでも選挙の洗礼を受けずに首相の座に座ったケースもあり、常に4年の任期を務めているわけでもないし、選挙の洗礼を条件としているわけでもない。
小泉内閣が2005年9月11日の郵政選挙で勝利し、再び首班指名を受けて首相の座に座ったが、自民党総裁としての任期切れを機に首相を辞任、後継を安倍晋三に託して、安倍晋三は選挙の洗礼を受けずに2006年9月26日、衆参両院で首班指名を受けて安倍内閣を成立させている。
だが、2007年7月29日の参院選挙で自民党は大敗してねじれを生じさせ、政権運営を行き詰まらせて1年そここそで辞任、次ぎの福田康夫は安倍と同じく選挙の洗礼を受けずに自民多数を占める優先する衆議院の首班指名のみでの福田内閣を発足させ、これも参議院与野党逆転状況に苦しめられて政権運営を行き詰まらせ、1年そこらで政権を投げ出し、次ぎの麻生太郎に譲るが、麻生太郎も選挙の洗礼を受けずに麻生政権を発足させている。
麻生政権は9月半ばの衆議院任期切れ近くまで政権を持たせたが、2009年8月30日の総選挙で民主党に大敗、政権を手放すことになり、麻生首相も最後まで選挙の洗礼を受けない首相で終わることとなった。
自民党政権末期のこういった状況に菅直人にしても民主党は選挙の洗礼を受けていないことを理由に安倍政権に対しても福田政権に対しても麻生政権に対しても解散・総選挙を迫る戦いを展開している。新たに政権を担当した政権が衆議院議員の任期通りの総選挙から総選挙までの4年をやって、そこでちゃんとできたか、やっぱりできなかったか国民が選挙で判断するといった、菅首相自身が言っているみたいなことを決して保証したわけではない。
菅首相は自分自身がやってこなかったことを自分一人に求める身勝手を演じているに過ぎない。散々ウソをついて人を騙してきた人間が自分にはウソをついて騙さないでくれと頼み込むのとさして変わらない身勝手と言えるが、菅首相自身は余程ご都合主義者にできているらしく、そのことに気づいていない。
確かに菅首相が言うようにマニフェストは基本的に4年間で実現が基本原則となっている。但し子ども手当のようにマニフェストで「子ども手当は、子ども1人当たり年31万2000円(月額2万6000円)を中学卒業まで支給します」と謳っているものの、平成22年度は月額1万6千円の半額実施、平成23年度以降は月額2万6000円の満額実施と言った具合に年度別の実施を謳っていて、必ずしも4年間の実現を原則としているわけではない。
だが、この年度別実施の中身自体を変更させて、来年度は3歳未満の子どもを持つ世帯に限って7000円上積みの2万円と決め、当初の来年度以降2万6千円を6千円切り、3歳以上から中学卒業までの子供は1万3千円のまま、1万3千円不足させる計画倒れとなっている。
例え年度別実現であっても4年間実現であっても、マニフェストは国民にこういった政策を行います、政権を担当させてくださいと国民に示す約束書である。国民の側はそのように約束の提示を受けてその約束を信じて選挙で政権担当させる党選択の基準とする。
いわば双方共にマニフェストに書いてある約束を基準に行動を起す。国民の信任を受けた党は組織した政権をマニフェストに従って運営し、国民はマニフェストに従って政権が運営されるか見守る、その約束事が選挙によって国民と交わされることになったのである。
マニフェストに掲げた各政策は言ってみれば国や社会を創り上げる設計図である。どういった国を創るのか、どういった社会を創り上げるのか、その設計図であり、マニフェストに掲げた個々の政策は国家や社会の個別的骨格を創り上げていく設計図であって、その個別性が有機的全体性を取ることで国家や社会という全体像が形作られる。
目や鼻や手や、その他の各器官が相互に有機的につながって人間の全体的生命活動を構成することと同じ関係を持つはずである。
各政策がその約束した個別性を失い、後退、もしくは矮小化されたとき、国家や社会という全体的な有機性も損なわれることになる。もし損なわれないとしたら、元々の各政策は国家や社会という全体の構成に有機的に機能しない、そこまで計算していなかった役に立たない政策だったということになるから、国民に各政策を提示する段階で、各政策を総合してどういった国を創り上げることになるのか、どういった社会を創り上げることになるのかは既に計算に入れていたはずだから、各政策の後退や矮小化は逆に当初計算していた国や社会の造形に狂いを生じさせることになって許されないはずだ。
また、マニフェストの各政策はそうまでして万全を期さなければならないことになる。
いわば子ども手当一つ取っても、社会全体、国全体の造形に有機的につながって役に立つ政策でなければならないということである。
そのように国や社会の全体的活動に有機的に寄与する関係を持たせているはずのマニフェストの政策が名前は同じでも当初の設計図の姿を変えて、別の設計図となっている。
少なくともどうあるべきかと当初予定していた国や社会の全体的な造形にマイナスに働いていることになり、手抜きの形を取り、棚橋議員の言葉を借りると、「詐欺フェスト」と言うことになる。
このことは家の土台を当初の建築基準に適合した資材から建築基準以下の資材に変えるようなものだろう。もしこの逆で、より丈夫な土台に変えるとしたら、建築主との約束である当初の設計図に欠陥があったことになって、決して許されない事態となる。
土台は家全体を支える重要な役目を担っていて、家全体の機能性や居心地や快適さ、強固さ等々と有機的につながっている。当然、土台を建築基準以下に落とすことは手抜きを意味する。
以上、このように見てくると、菅首相は「これは政権交代というものが、あのー、完全な形であったかどうかは別にして」と言って不完全さを許しているが、マニフェストが各政策によって個別的にだけではなく、どういった国を創り上げるのか、どういった社会を創り上げるのか、その全体性に有機的につなげていく機能をも担わせた個別の各政策でなければならない以上、不完全さを許すのは自己に甘い、政権担当の厳しさを欠いた身勝手な議論となる。
要は例え年度別の実現を約束した政策であろうと、4年間の期限を区切って実現を約束した政策であろうと、元々の設計図を基準とした約束の実現でなければならないということである。元々の設計図を基準に国民が信任した以上、また、政権担当側も元々の設計図を基に国をどう創り上げるか、社会をどう創り上げるかを計算した以上、当初の設計図であるマニフェストを変更も、そこから離れることも許されないということである。
逆説するなら、マニフェストの各政策を構築することによって計画立てた国や社会の造形が計画立てたどおりに実現させることができるのかどうかが政権交代によって試されているということである。だが、菅内閣は国や社会造形の設計図であるマニフェストを早々に変更、マニフェスト変更が当たり前の姿となりつつある。
どう見ても国民との契約を一方的に破る身勝手な姿勢とやはり看做さざるを得ない。
菅内閣はマニフェストを変更する場合は国民によく説明すると言っているが、国民に政権選択させた基準を曲げさせることを意味すると同時に国や社会の造形の変更を迫ることになるのだから、説明ではなく、棚橋議員が要求していたように解散して民意を問うのが正当性を得る唯一の方法であるはずだ。
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