菅内閣が8月10日の閣議で中井拉致担当相演出の金賢姫来日劇に関して、「十分な成果があった」との答弁書を決定している。
《「大臣独特の皮肉」 金元死刑囚めぐる中井担当相発言》(asahi.com/2010年8月10日23時50分)
記事が触れている答弁書の内容は二つあって、一つは記事題名が示している「大臣独特の皮肉」――
中井拉致担当相が8月10日、金賢姫訪日の菅首相への報告の際、記者団に次のように発言したという。
中井「あなたたちが『何も成果がなかった』と言っていることの報告に来た」
この発言を何人の記者か、聞いた記者すべてか書いてないが、報道した。
「中井氏が『何ら成果のなかったことの報告に来た』と発言した」――
この報道を自民党の佐藤正久参院議員が国会の場で糾(ただ)すのではなく、文書(質問主意書)を用いて糾した。この質問趣意書に対して、菅内閣は「大臣独特の皮肉である」との内容の答弁書を閣議決定したということである。
つまり実際には成果があったことになる。記事はこれを二つ目の内容として取り上げている。
「日韓両政府が拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示すことができ、十分な成果があった」
そのように答弁書に答えていると。
しかしこの二つ目の内容を裏返すと、日韓両政府は拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢をこれまで示すことができなかったが、金賢姫来日によって、その姿勢を示すことができたということになる。
実際には韓国はいざ知らず、少なくとも日本政府は拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示してきたはずである。にも関わらず、金賢姫来日で、その姿勢を示すことができたとし、そのことを以って、「十分な成果があった」とする。
一から十まで間違っていないだろうか。
「拉致問題の真相究明、被害者の救出」に於ける「成果」とは、単に努力する姿勢を示すことではなく、最終的な成果である真相究明、被害者救出を含めた全面解決であり、そのことに結びつくと確信できる段階的な進展の一つ一つを以ってそれぞれに成果とすべきであって、「努める姿勢」は成果の対象とすることはできないはずだ。
だが、成果の対象としている。もし成果の対象とすることができるなら、拉致被害者家族は、見事な倒錯意識としかならないが、「政府の努力している姿勢だけは買える」と大いに評価し、満足しなければならないことになる。
要するに5人の拉致被害者とその家族の帰国以後、拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示すだけで終わっていた。そのような姿勢を示すことを「十分な成果」としているようでは、今後とも姿勢を示すだけで終わる可能性は高い。
但し当の中井拉致担当相一人だけは張り切っている。《生存情報を調査と中井担当相 田口さんとめぐみさん》(47NEWS/2010/08/06 19:43【共同通信】)
金賢姫元北朝鮮工作員が田口さんと横田めぐみさんは「生きている」と重ねて主張したとして、
中井「彼女の発言を追跡する作業に入っている」
記事は、〈6日、共同通信とのインタビューで、北朝鮮による拉致被害者田口八重子さんの生存情報に関し、信ぴょう性が高いとして調査していることを明らかにした。〉と書いているが、「追跡する作業に入」る以上、単に信憑性が高いと言うだけではなく、確度の高い、且つ解決に向けて利用価値の高い情報と判断したからだろう。
中井拉致担当相の3日の衆院拉致問題特別委員会での発言。
中井「2003年まで元気で平壌に住んでいたという情報があったのは事実だ」
中井「死亡した証拠を(北朝鮮側に)求めるのと、生きている証拠を持って交渉するのではまったく中身が違ってくる」
生きていることは事実であるとすることのできる物的証拠を交渉のカードとしなければならない。「彼女の発言を追跡する作業に入っ」たばかりで、そのような物的証拠をまだ手に入れない段階であるにも関わらず、「十分な成果があった」とする。
《「横田さんと田口さん生存、金元死刑囚が明言」中井大臣》(asahi.com/2010年8月4日13時34分)も同じ内容を伝えている。
8月4日の参院予算委員会で自民党の山本一太の質問に答えた発言――
中井「あえて踏み込んで申し上げると、『横田めぐみさんと田口八重子さんが生きている』とはっきりお答えいただいた。このことは横田家と他の家族の方々に勇気と元気と希望を与えた」
二人の生存情報を信憑性が高いとする中井拉致担当相の確信は次の二つの記事を読むと頼りなくなる。
《北朝鮮・拉致問題:「6、7年前まで田口さんは元気」--中井担当相》(毎日jp/2010年7月22日)
7月22日の記者会見で田口八重子さんついて。――
中井「6、7年前まで元気でいたという情報に接している。(但し)今どこにいるというところまで、情報を追跡できているとは聞いていない」
田口八重子さんに関しては既に追跡作業に入っていた。「6、7年前まで元気でいたという情報」を確度の高い、且つ解決に向けて利用価値の高い情報だと分析したからだろう。だが、確度の高い、且つ解決に向けて利用価値の高い情報と看做したにも関わらず、そのことを裏切って場所の確定まで追跡できていない。
何とも頼りない話ではないか。
《めぐみさんの両親 記者会見》(NHK/10年7月22日 8時54分)
〈キム・ヒョンヒ元死刑囚との面会を終えた拉致被害者の横田めぐみさんの両親は、記者会見し、初めての面会の様子について明らかにし〉たことを伝える記事となっている。
父親の滋さん「特別新しい情報はなかったが、彼女は、めぐみが日本語を教えていたスクヒという女性工作員を通じて1回だけ直接めぐみに会い、しょっちゅう顔を見たわけではないとのことだった」
母親の早紀江さん「スクヒさんが中国かどこかに出かけて戻ってきたときに、『めぐみさんのところにいっしょに行かないか』と言われ、1回だけ会ったとのことだった」
但し、〈そのときのキム元死刑囚とめぐみさんの具体的なやりとりについては話はなかった〉と記事は書いている。
具体的な直接の目撃情報は何も話さず、〈仲間の工作員を通じて聞いた北朝鮮でのめぐみさんの暮らしぶりについて〉の間接情報を具体的に披露した。
「1回だけ会った」と言っているように、直接情報よりも間接情報の方が遥かに上まわることが分かる。
だが、中井大臣は信憑性高い生存情報だと言っている。
母親の早紀江さん「私たちと暮らしていたころのめぐみは面白くてにぎやかでしたが、彼女は、あちらでのめぐみの印象についておとなしくて控えめで優しい人だったと話してくれました。北朝鮮ではおとなしく従順な女性が好まれるということで、その点ではよかったのではないでしょうか」
「めぐみは猫が好きで言葉の表現がものすごくおもしろくて、みんなをわっと笑わせていたということで、日本で私たちといっしょにいたときもおもしろい話をしていたのを思い出しました。どこに行ってもそうしているのかなとほっとしました」
〈キム元死刑囚の印象について〉――
「彼女も私たちもお互いものすごい人生を歩んできたが、時間を経て会ったときに表現しようのない懐かしさを感じた。今、私たちがいちばん知りたいと思っていることはご存じないと思うし、私たちも知ることができなかったのは残念だが、絶対生きていると言ってもらって、勇気をもらった気がします」
中井拉致担当相が金賢姫に「『横田めぐみさんと田口八重子さんが生きている』とはっきりお答えいただいた。このことは横田家と他の家族の方々に勇気と元気と希望を与えた」はずだが、「私たちがいちばん知りたいと思っていることはご存じないと思うし、私たちも知ることができなかった」と言っている。
この矛盾は生存情報が北朝鮮に洩れた場合、何らかの危害を加えられる等の異変が生じることを恐れて秘密に付していたか、あるいは中井大臣の生存情報にしても、「横田家と他の家族の方々に勇気と元気と希望を与えた」にしても、単なるハッタリに過ぎないかのどちらかによって生じたのではないだろうか。
前者だとすると、中井大臣自身が「あえて踏み込んで申し上げると」と前置きまでして、当事者に何らかの異変が生じせしめる危険性ある生存情報を自ら進んで洩らした新たな矛盾が生じるだけではなく、「彼女の発言を追跡する作業」に着手したなら、その結果を待って成果とすべきを、「拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示すことができ」たことを以って「十分な成果があった」とする矛盾も出てくる。
早紀江さんの言葉を言葉通りに解釈すると、一番知りたいと思っていた、どこそこに生きているとする生存情報に接することはできなかった。ただ、「言ってもらっ」た「絶対生きている」は相手に希望を与える意味の励ましの言葉、希望的観測であって、直接・間接のいずれかを含めた生存情報の類とは決して言えない。
中井大臣が言うように、「『横田めぐみさんと田口八重子さんが生きている』とはっきりお答えいただいた」なら、金賢姫は早紀江さんに対しても、「横田めぐみさんと田口八重子さんが生きているという確かな情報を持っています。中井大臣にもそうお伝えしました」と言ってもよさそうだが、この生存情報が北朝鮮に洩れた場合のことを考えて秘密にしているなら、中井大臣と示し合わせて秘密とすることで口裏を合わせるべきだが、中井大臣は国会で堂々と「あえて踏み込んで申し上げ」ている。
生存情報なるものが「絶対生きていると言ってもらっ」た程度の相手に希望を与える励ましの言葉、希望的観測が成果だったとすると、「拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示すことができ」たことを以って「十分な成果があった」としたことが頷ける正当性を帯びてくる。
このことしか成果とするネタがなかったということである。
何ら成果がなかったことを決定的に裏づける記事がある。《拉致から32年 救出呼 びかけ》(NHK/10年8月12日 18時51分))
市川修一さん(当時23歳)と増元るみ子さん(同24歳)が北朝鮮に拉致されてから32年が経過した8月12日に拉致された鹿児島県日置市の吹上浜で親族や警察官ら約30人が現場近くを通りかかった人たちに情報提供を呼びかけたという。
32年経過していく中で有力な情報提供がなかったことを考えると、新たな情報提供の呼びかけに有力な新情報が出る可能性は限りなく低く、何かしないではいられない気持がそうさせてもいるのだろうが、横田めぐみさんと田口八重子さの生存情報が中井の言うとおりに信憑性が高く、追跡作業に入ったことが事実なら、拉致解決の突破口となる一縷の望みをそこに込めて追跡作業を見守る姿勢を見せてもよさそうだが、情報提供の呼びかけからはそのような姿勢を窺うことはできない。
一方同じ日に東京の千代田区で増元るみ子さんの弟の照明さんなど10人余りが、通行人に呼びかけたという。
増元照明さん「同じ日の同じ時間帯に、2組の男女と親子(曽我さん親子)が同時に連れ去られたという、この大きな出来事を、皆さん忘れないでください。姉たち被害者は、今も北朝鮮で、声を上げることもできずに日本からの救いの手を待っています。政府は責任を持って私たちの家族を取り戻してもらわなければならない。国民の皆さんは、この国が自分たちを守ってくれるのか、拉致問題を通して考えていただきたい」
横田めぐみさんと田口八重子さの生存情報と追跡作業に現在のところ一縷の望みをつなぐしかない状況を考えると、「国民の皆さんは、この国が自分たちを守ってくれるのか、拉致問題を通して考えていただきたい」とまでは言わないはずだ。
この発言には国の対応に対する苛立ちが見える。その苛立ちには生存情報と追跡作業に対する一縷の望みはどこにも見い出し難い。
またこの苛立ちは鹿児島県日置市の吹上浜で情報提供を呼びかけた市川修一さんと増元るみ子さんの親族も共有しているはずだ。片方だけの苛立ちということはあり得ない。
こういった苛立ちの蔓延(はびこ)りが生存情報の信憑性が高い云々も、追跡作業に入った云々も中井大臣のハッタリ、金賢姫来日の成果ゼロであることを何よりも物語っているのではないだろうか。