内閣総理大臣談話が波紋を広げている個人補償は是か非か

2010-08-11 09:51:22 | Weblog

 昨8月10日に菅首相が日韓併合からちょうど100年目の節目に当たるとして、改めて韓国に対する植民地支配を謝罪し、同時に今後の100年を見据えて未来志向の日韓関係の構築を訴える談話を発表した。

 これは1995年の「村山談話」をほぼ踏襲する内容だということだが、「村山談話」がアジア全体に対する謝罪であるのに対して、日韓併合から100年目ということだから、当然のこととして菅首相談話は韓国及び韓国民のみを対象としている。

 但し、この談話に賛成する意見がある一方、韓国政府が1965(昭和40)年締結の日韓基本条約で請求権を放棄した日本の植民地を巡る個人補償問題を蒸し返す恐れがあるとして与党民主党内だけではなく、自民党内にも反対する意見がある。

 その賛否の意見を《【日韓併合首相談話】閣僚懇でも異論「相談あってしかるべきだった」 評価割れる》MSN産経/2010.8.10 12:46)から取り上げてみる。

 玄葉光一郎行政刷新担当相(民主党政調会長)(閣僚懇談会)「与党、民主党の中にはさまざまな意見がある。早い段階でより詳細な相談が(党側に)あってしかるべきではなかったか。すべての段取りができあがって、固まってこういうふうに言われても、大きな変更はできない」

 同(記者会見)「(談話に)積極的かそうでないかと聞かれれば、積極的ではない」

 原口一博総務相「国際法上、新たな義務を日本に課すものではない。もしそこを一歩でも踏み出しているのであれば、私は体を張ってそれを阻止しなければと考えていた」

 「新たな義務」とは断るまでもなく個人補償の義務を言う。

 前原誠司国土交通相「『100年に一度』は今年しかない。菅首相がイニシアチブを発揮し、このような談話をまとめたことは、時宜にかなってよかったと思う」

 北沢俊美防衛相「未来志向という観点で、よく練られた談話だ」――

 自民党では安倍晋三、山本一太、その他大勢といったところだが、安倍元首相の反対の弁を、《安倍氏、首相談話を批判 韓併合100年で》47NEWS/2010/08/10 14:16 【共同通信】)から取り上げてみる。

 安倍「歴史の評価は歴史家に任せるべきで、政府が声明を出すことには慎重であるべきだ」

 相変わらず馬鹿なことを言っている。歴史家が常に正しい歴史の評価をするとは限らない。歴史家によっても、歴史の解釈が異なる場合もある。にも関わらず、「歴史の評価は歴史家に任せるべき」だとするのは歴史家を絶対的存在とすることになる。どんなに間違った評価・解釈であっても、受入れなければならなくなるからだ。北朝鮮の金正日がどんなに間違った独裁者であっても、北朝鮮国民は受入れなければならないように。

 安倍晋三が「歴史の評価は歴史家に任せ」たいのは、評価の違いがあることを狙って言っている狡猾さからではないだろうか。自分たちの歴史認識に都合のいい歴史の評価をする歴史家も存在するから、例え都合の悪い評価・解釈する歴史家が存在したとしても、黒白を明確に決着づけることはできない。結果、半分は自分たちは正しいとすることができる。

 大体が自分自身が歴史家でもないのに、A級戦犯を「日本の国内法で裁かれていないのだから、犯罪人だとか犯罪人でないだとか言うのは適当ではない」とか、A級戦犯の戦争責任について「具体的に断定することは適当でない」 などと歴史家顔負けのA級戦犯を無罪としたい衝動露な歴史評価を大展開している。

 安倍晋三は談話発表が持ち上がった背景と菅首相が取り上げた文化財の韓国への引渡しに関して次のように言っている。

 安倍「仙谷由人官房長官が自分の思いを満たすために出した」

 安倍「さまざまな個別補償に飛び火するのは間違いない。禍根を残す」――

 「個別補償」とは各国従軍慰安婦や強制連行者に対する個人補償を指す。

 「仙谷由人官房長官が自分の思いを満たすために出した」とは、7月7日の日本外国特派員協会での講演と講演後の記者会見の発言を根拠としている。

 《官房長官、戦後補償に前向き 韓基本条約は無視》MSN産経/2010.7.7 20:46)

 7月7日の日本外国特派員協会の講演で日韓、日中間の戦後処理問題について問われた際の発言。

 仙谷「1つずつ、あるいは全体的にも、改めてどこかで決着というか日本のポジションを明らかにすべきと思う。(但し)この問題は原理的に正しすぎれば、かえって逆の政治バネが働く。もう少し成熟しなければいけない。大胆な提起ができる状況にはないと私は判断している」――

 「原理的に正しすぎれば、かえって逆の政治バネが働く」以下の発言について、記事は、〈幅広い国民的合意が必要だとの認識も示した。〉としているが、個人補償を日本の裁判で訴えている元韓国従軍慰安婦等の主張を正当と看做す自分自身を含めた政治的立場の意見を取り入れた場合、このことに反対の政治的立場からの激しい反撥が起こることの予想であり、そのことに対して、「もう少し成熟しなければいけない」と言っているが、安倍晋三がその代表者の一人だが、ホンネのところでは日本の戦争を日本の国家・日本民族を絶対としたいばっかりに、優越民族としたいばっかりに、それを否定することになる侵略戦争と認めていない「未成熟者」が政治家の中にもゴロゴロいるのだから、成熟への期待、〈幅広い国民的合意〉の可能性は限りなくゼロに違いない。

 講演後の記者会見――
 
 仙谷「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか。(日韓関係の)改善方向に向けて政治的な方針を作り、判断をしなければいけないという案件もあるのではないかという話もある」

 記事はこの発言を、〈政府として新たに個人補償を検討していく考えを示した。〉こととしている。

 いわば1965(昭和40)年締結の日韓基本条約が個人補償の請求権を放棄していることの法律的正当性を以ってすべてを完結させた場合、日本の戦争が起因となって戦後解決されずに引きずってきた日韓間に突き刺さっているトゲを突き刺さったままに放置することとなりかねず、真の日韓関係の改善に向かわない。トゲを抜く政治的な判断がそろそろ必要ではないのかの言いであろう。

 仙谷官房長官が具体的にはどういった政治的方策を考えているのか、《官房長官、見え始めた「超リベラル」 戦後補償の狙いは慰安婦賠償か》MSN産経//2010.7.8 23:04)が「狙い」について書いている。

 記事は冒頭、〈菅直人内閣の要である仙谷由人官房長官が、新たな戦後個人補償の検討を表明するなど「超リベラル」な志向を見せ始めた。東大在学中は全共闘で活動し、社会党時代は田辺誠、土井たか子両委員長と親密だった仙谷氏。民主党に移った後はリベラル色を極力封印し、現実路線を標榜(ひょうぼう)してきたが、本質は変わらないようだ。〉と、「阿比留瑠比」のネーム入りで解説している。

 仙谷官房長官の言動に対する〈戦後補償問題に詳しい現代史家の秦郁彦〉の指摘。

 「結局、元慰安婦への賠償法案がやりたいんじゃないか。民主党がやろうとした外国人地方参政権、夫婦別姓、人権侵害救済機関の3つは棚ざらしだ。むしろ争点になっていない慰安婦の件の方が危ない…」

 そして次のように解説している。

 〈仙谷氏は個人補償の対象をあえて明確にしなかったが、日本外国特派員協会の講演でフィリピンや韓国の慰安婦補償請求訴訟などに深くかかわってきた高木健一弁護士を「友人」として挙げており、狙いは元慰安婦に国が謝罪と金銭支給を行う「戦時性的強制被害者問題の解決促進法案」にあるとみられる。民主党は平成20年まで9年間法案を常に国会提出しており、仙谷氏も主導した一人だ。

 日韓両国の個人補償請求問題は1965(昭和40)年の日韓基本条約とそれに伴う協定で「完全かつ最終的に」解決されている。にもかかわらず仙谷氏は「当時の韓国は軍政下だった。法律的に正当性があると言ってそれだけでいいのか」と述べ、「政府見解」に異を唱えた。〉

 さらにこう付け加えている。

 〈菅内閣は「北朝鮮との国交正常化を追求する」としているが、仙谷氏の解釈に従えば、軍事をすべてに優先させる「先軍政治」を掲げる北朝鮮と国交正常化しても無効ということになるのではないか。〉――

 当然「無効」となる。独裁体制は独裁者と独裁権力のみの権利・利益を追求するゆえに、個人の権利・利益は独裁者と独裁権力のみの権利・利益追求の阻害要件として立ちはだかることになることから、個人の権利・利益の否定を出発点とする構造にある。

 日朝国交正常化交渉の成立が金正日独裁体制の維持・発展にのみ利益する国交正常化条約となるのは独裁体制を取っている以上自明の理で、北朝鮮国民の福祉・生活に利益しない条約であるなら、金正日独裁体制が持続する間は問題は起きないだろうが、民主化されて北朝鮮国民が人権意識に目覚め、個人の権利を主張するようになった場合、独裁体制は個人の権利の否定の上に成り立っていることから、独裁体制と結んだ条約は個人の権利と対立する内容を含んでいる可能性が高く、個人の権利を成り立たせるためには、条約そのものを無効とする以外に方法はないだろう。

 このことを前以て予測して個人の権利として個人補償の項目を盛り込むべく図ったとしても、金正日は自身の利益に反するゆえに受け付けないか、受け付けたとしても、外国からの援助米を義務づけられたとおりに国民に配給せずに軍に横流しするように自身の独裁体制を維持する資金に回すに違いない。国民が飢え、餓死したとしても大量破壊兵器開発、核兵器開発を進める程にも個人を無視しているのだから。すべては独裁体制維持に国家のエネルギーの大部分を費やしているのである。

 このことを言い換えるなら、独裁体制下の国家に於いては国民は個人の権利について泣き寝入りの状態に置かれる。

 日韓基本条約が締結された1965年の韓国は朴正煕大統領による軍事独裁体制下にあった。その任期は1963年10月15日から暗殺されるまでの1979年10月26日まで続いた。1980年8月27日にその跡を継いだ全斗煥も軍事独裁体制を敷き、1988年2月24日まで任に就いている。

 戦後大韓民国が成立して初代大統領となった李承晩政権も独裁体制を敷き、国民を弾圧した。

 独裁国家に於いては戦前の日本のように国民は国家、独裁体制に奉仕する対象とされ、個人の権利の否定の上に国家と国民との関係が成立せしめられる。

 そのような個人の権利否定の朴正煕軍事独裁体制下の1965年に日韓基本条約は締結され、個人補償の請求権が放棄された。個人の権利否定の色彩を伴った個人補償請求権の放棄だったことは疑いようがない。そもそもからして独裁体制は独裁権力に対する視線は有していても、個人の権利に対する視線を有してはいない。

 だが、韓国は民主化を果たした。独裁体制の終焉は個人の権利の目覚めを伴う。それが各種個人補償と日本政府の謝罪を求める裁判となって現れた。

 自民党政権は個人の権利に目を向けない軍事独裁政権と国交正常化交渉を行い、日韓基本条約を締結した。個人の権利を考慮しない場所に立った条約であるという点に於いて、現時点に於いてその条約を正当化し得るだろうか。

 条約締結当時も韓国、日本双方の国で条約反対の主張、反対運動が起きているのである。

 当時の韓国政府が国と国との約束で個人補償の請求権を放棄している以上、今の韓国政権が個人補償をすればいいと言うだろうが、加害者はあくまでも日本である。この事実は消えない。個人補償を果たさないままの加害事実とするのか、個人補償を果たした加害事実とするのか、どちらかの選択の問題ではないだろうか。

 いわば誠意の問題として撥ね返ってきている。

 昨8月10日に閣議決定した内閣総理大臣談話の冒頭で菅首相は次のように言っている。

 菅首相「本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」(首相官邸HPから)
  
 そして次のように続けている。

 「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います」

 「当時の韓国の人々」は受け身の主語として扱われ、「国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」と被害を受けたことのみの言及となっている。

 加害者の立場にありながら、能動的主語とすべき日本は背後に隠して、日本が韓国の「国と文化を奪」い、「民族の誇りを深く傷付け」た表の主語とはしていない。していない分、腰を引いた謝罪となっている。いわば強い謝罪の意志を欠いた総理大臣談話となっている。

 にも関わらず、「歴史に対して誠実に向き合いたいと思います」と言っている。このことは「日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書」を「お渡し」するのであって、決して返還するとしていないところにも現れている。

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