非正規労働者は今回の虫けら同然の虐待・待遇を怒りを持って記憶し、チャンスを見て復讐せよ
最初に12月15日の当ブログ記事≪ド素人経済考(2)/失業派遣社員の雇用機会に「平成の北海道開拓団」≫で「北海道開拓団」の建設財源を政府予算と企業の融資からとしたが、直接的財源は定額給付金を廃止して、その2兆円の中から、必要金額を捻出したらどうだろうか。東京湾アクアラインの総工費は約1兆4,409億円だということだが、定額給付金2兆円の半額を使ったとしても、相当に使い勝手が出る額となると思う。
非正規社員が解雇されても引き続いて社員寮に住めるよう、政府は補助金を代償に人材派遣会社に求めてはいるが、既に社員寮に入居していて解雇と同時に社員寮から退去させられた、あるいは解雇通知を受けて引き続いて社員寮に住めずに解雇と同時に近々社員寮から退去して住む場所を失うこととなる派遣社員の住まいの受け皿に厚労省所管の独立行政法人雇用・能力開発機構が運営し、21年度までに全廃される雇用促進住宅(約14万戸)の13000戸もの空室に政府が受入れることとしたニュースをマスコミ各社が連日伝えている。
昨日17日朝のNHKのニュースも鉄筋コンクリート建て築45年の3LDK、家賃28000円の部屋を紹介していた。畳は新しく替えるものの、壁等のキズは入居後に入居者の希望があれば修理する意向だと厚労省側の対応を伝えていた。
実情は21年度に廃止する手前なるべく金をかけたくない気持がそうさせた、住む場所さえ確保できれば、文句を言う者はいまいと高を括った入居後への後回しといったところではないのか。
いずれにしても住む場所を失う非正規労働者が真冬の寒さへと向かう中で路頭に迷うことなく政府や自治体の補助を受けて雨露を凌ぐことができる場所を確保できるということなら、職と住まいを失うショックは地獄にでも落とされた思いだろうが、地獄に仏といった当座の一安心を与えてくれるに違いない。雇用促進住宅14万戸のうち13000戸の空室が与えてくれた僥倖とも言える。
だが、例え解雇非正規社員にとっては僥倖であっても、政府予算のムダが許されない有効な使い道から考えた場合、14万戸のうち13000戸も空室を抱えていた事実は見過ごせない問題ではないだろうか。知る人は知っていたのだろうが、一般的には非正規社員の突然解雇で世間にあからさまに顔を曝すこととなった13000戸の空室である。
14万戸のうちの1万3千戸は10%に満たない空室率ではあるが、2万8千円の月家賃12ヵ月分の33万6千円の年間家賃×13000戸は年間43億6千8百万円の収入を生み出すべきを生み出さない状態のままとなっていた。
その間、管轄主体の独立行政法人雇用・能力開発機構と尚一層天下りを増やして利益を遣り取りすることができるように下請けの形とした組織に違いない、実際の管理・運営を担わせた財団法人雇用振興協会に天下った元官僚たちは13000戸といった空室がもたらすはずの幻の利益など何のその、多分気にもかけなかったに違いない、高額の給与・ボーナス、高額退職金を確実な形、確実な実感で自らの利益としてきた。
確かに21年度廃止だから、退去した部屋はそのまま空室としたという事情を含んだ13000戸といった事情もあるだろうが、21年度廃止自体が利用価値の喪失・採算割れを前提とした措置であろう。
「雇用促進」を掲げた住居施設なのだから、入居対象者は職探しの失業者といったところなのだろうと思ってインターネットで検索してみると、雇用促進事業団関連だと思うが(作成者の名前も作成の期日も記入してないPDF記事)、1968年(昭和43年)7月に帯広市で建設に着工、翌1969年(昭和44年)11月に最初の「雇用促進住宅」が完成したらしいが、「雇用促進住宅-Wikipedia」は「設立の経緯と役割」に関して次のように解説している。
<雇用促進事業団は移転就職者用宿舎(雇用促進住宅)の建設を開始したが、設置当時は炭鉱の合理化により大勢の離職者が発生し、炭鉱の閉山により移転を余儀なくされた雇用者に当面の居住の地を提供する役割を果たしていた。その後、炭鉱だけではなく造船業界を始めとする構造不況業種からの移転就職者のための役割も持っていた。>・・・・・・
とは言うものの、<1973年(昭和48年)10月からは、移転就職者に準ずる者(移転就職者以外の者であって、住居の移転を余儀なくされたことなどに伴い、職業の安定を図るために宿舎の確保が必要であると公共職業安定所長が認めた者)にまで入居対象が拡大された結果、移転就職者の入居割合は、1975年(昭和50年)度末の89%をピークに、1981年(昭和56年)度末では32%まで低下した。さらに2003年(平成15年)度には、その他職業の安定を図るため住宅の確保を図ることが必要であるとされた者も対象者に加えられた。>と解説している。
つまり最初の「雇用促進住宅」が完成した1969年(昭和44)年11月からたった4年後の1973年(昭和48年)10月には入居対象者を「移転就職者」から「移転就職者に準ずる者」にまで拡大しなければ部屋を埋めることができなくなっていた。このことは最初の建設趣旨・住宅提供趣旨に対する違反が4年後に既に始まっていたことを示す。
もし当初の趣旨を維持していたなら、1981年(昭和56年)度末時点で空室率は68%(移転就職者の入居割合32%)に達していたことになる。
この状況は入居期間にも現れている。上記「Wikipedia」によると、入居期間は2年間、入居手続きは公共職業安定所で行ったが、契約期間満了と同時に住宅を返還しなければならない2年終了後も運営する雇用振興協会は応募状況等を勘案して再契約することがあるとして2年以上の入居を許可、その結果、2年以上の長期入居者が1981年(昭和56年)度末で67%に達していたという。
いわば、当初の契約趣旨どおりに厳格に2年を守っていたなら、単純計算ではあるが、移転就職者のみで占める33%の入居率しか確保できなかったことになる。
この33%の入居率は上記の移転就職者の入居割合の32%にほぼ合致するが、移転就職者と「移転就職者に準ずる者」とがどの割合で占めていたかは不明であるが、中には健康の関係で仕事に就けずに生活保護受給者もいたとしても、すべての入居者が2年以上も職探しの状態(=失業状態)にあったとは考えにくいから、仕事を得ていながら、入居を続けていた。
雇用振興協会が言う「応募状況等を勘案して」は一旦空室となったら、新たな入居者がなかなか現れない状況のことなのは明らかである。
勿論空室率増加に対応した趣旨変えはある意味必要ではあるが、たったの4年で趣旨変えが必要となる見通しの破綻は時代を見る目――社会の状況に対する洞察能力にも関わってくる。政治家・官僚たちが時代を見る目、時代的な洞察性を欠いていたということではないだろうか。
全国各地に約1500団地あるという雇用促進住宅を4年の間にすべてを建設し終えたはずはないだろうから、最初の建設年の1968年(昭和43年)から4年経過後に入居対象条件を変える必要が生じながら、それを無視して1973年(昭和48年)以降も建設し続けて約1500団地・140万戸にまで達した。
日本で「マイホーム」なる言葉が飛び交い、「いつかはマイホーム」の合言葉で会社人間化していったのは日本の経済が1955年から1973年(昭和30~48年)のほぼ20年間というもの年平均10%を超える高度成長期に入ってからのことだという。
雇用促進住宅の建設趣旨変えが必要となった1973年(昭和48年)とマイホーム時代突入の高度成長最終年の1973年(昭和48年)が重なるのは国民の住宅に対する考え方の変化を受けた一致であろう。
多数の落ちこぼれが存在したものの、日本の国民の多くがマイホーム化を目指している時代に逆らって、経済発展を考えに入れない時代的先見性を発揮していたと言わざるを得ない。
多分気づいていたのだろうが、天下り機会創出のための自分たちの仕事作りとして一旦走り出したために、その機会を失いたくなく建設し続けたのかもしれない。だが、国費のムダな浪費であることに変りはない。
計算した利益が入らない状態を放置しておくことも当たり前のことだが、ムダな浪費に入る。
この不合理を埋め合わせて辻褄を合わせるために入居資格もない公務員の入居まで認めたのだろう。2008年4月21日の「msn産経」記事。
≪「雇用促進住宅」に公務員124人居座り≫(2008.4.21 00:20 )
<厚生労働省所管の独立行政法人「雇用・能力開発機構」が所有する雇用促進住宅に、入居資格のない国家・地方公務員が3月末現在で計124人も入居を続けていることが分かった。住宅には、昨年3月末時点で計302人の公務員が無資格で入居し、その後、会計検査院から「不適切な入居」と指摘されていた。機構側は退去を促しているが、地方では雇用促進住宅並みの安価な賃貸物件が少ないとの事情から、完全退去の見通しは不透明だ。
厚労省によると、雇用促進住宅は全国各地に約1500団地あり、3月末現在で約14万世帯が入居している。このうち、雇用促進住宅に入居している公務員は計124人に上る。内訳は、国家公務員3人、市町村職員や教員など地方公務員121人。
入居対象は雇用保険の被保険者で、入居条件は公共職業安定所の紹介により失業者が就職する際、再就職先が遠隔地のために転居に迫られ、一時的な仮住まいが必要となる場合-などに限られている。家賃は1万1500円から10万2300円(平均約3万円)で、「民間の賃貸住宅より比較的安い」(厚労省職業安定局)という。
雇用保険料を負担していない公務員は入居の対象外だが、雇用・能力開発機構は「空き室対策」として一部で例外を認めてきた。だが、平成17年に公務員の無資格入居の問題が表面化していた。
雇用・能力開発機構は今後も文書や戸別訪問などを通じて「速やかな退去」を求めていく方針だが、「地方公務員の場合、周辺に民間アパートなど適当な物件がない」(同省)などの理由で退去が困難な事情もあるという。>・・・・・・
家賃が平均3万円で13000戸の空室と言うことなら、計算上の逸失利益は家賃2万8千円で計算したのと違って、43億では済まなくなってくる。
また公務員の不法入居に関しては安倍首相時代の2006年12月に首相任命の政府税制調査会会長本間正明が周辺同クラスの家賃が50万円前後の東京・原宿の国家公務員官舎(3LDK)に月約7万7000円の格安家賃で本妻とは異なる親しい女性と不法同居していた問題が持ち上がった。
入居契約を本間自身の名前で行ったのではなく、女を囲っていたから、それができなかったに違いない、大阪大学をダミーに使って契約するゴマカシを働いていた事実が明らかになっていながら、その人間性を無視して安倍首相は「見識を生かして、あるべき税制の姿を作っていく、議論していくことによってですね、まとめていただくことによって職責を果たしていただき、責任を果たしてもらいたいと思っています」(「日テレ24」インターネット記事/06年12月19日2:16)と辞任の必要なしとして庇ったが、野党からの抗議・批判が止まず、結局本人の申し出という形を取って辞任することとなった。
雇用促進住宅の場合は利用率の低さを誤魔化し、補填するための公務員入居なのだろが、法人の準公務員を含めた公務員同士で利益を交換し合っていた。あるいはうまい汁を吸い合っていた。
21年度廃止を言うからには、運営・管理に於いても赤字経営、あるいは採算割れとなっていたことの証明そのものなのだが、赤字経営・不採算割れは雇用促進住宅に限らない。グリーンピア、東京湾アクアラインや本四架橋、その他の高速道路、かんぽの宿、駐車場経営、地方空港等々枚挙に暇がない。
国費のムダの多くは政治家や官僚及び天下りとそれらと癒着する一部民間人を贅沢に食わせるために役立ってはいるだろうが、教育予算の対GDP比で見た場合の低さ、あるいは社会保障費の圧縮等々、様々な形で国民生活を圧迫する要因となっている。決してその責任を見逃していい13000戸の空室ではないはずであって、ムダの象徴と見なければならない。
今回解雇された非正規労働者及び再度来襲する就職氷河期の生贄となって(既に内定取消しが始まっている)期待した就職を望むことができずに低所得の社会的弱者の地位に甘んぜざるを得なくなる若者が再び出来するだろうから、自らが受けた、あるいは受けることとなる「企業の論理」なる情け容赦のない冷遇を怒りを持って記憶し、後に続く非正規社員のためにも不況時には価値を失い、好況時に価値が高まっていく価値循環構造を利用して景気が回復して再度期間社員、あるいは派遣社員として雇用価値が生じたとき、それが最も高まったときを狙って、そのときは企業の生産が最も高まる時期と重なるはずだから、自らの価値に付加価値をつけて自身が置かれた社会的地位を高めるためにかつての情け容赦のない冷遇に対する復讐を行うべきだろう。
具体的方法は給料が例えストップされても3か月は生活ができるカネを貯めて、他の企業の非正規社員と手を組んで生産が最盛期の時期に合わせて職場放棄の長期要求貫徹ストライキを打つことである。
企業は早急には回復できない新たな従業員の補充不能状態に陥って生産遅れが生じ、それが販売停滞につながることを恐れていやでも非正規社員の待遇改善要求を飲まざるを得なくなる。
同じ仕事をする正規社員と同等の給与、同等のボーナス、同等の失業手当、同等の退職金――満たすべき要求は多々ある。