アメリカ社会の一つの大きな象徴であるクルマをアメリカ企業として担ってきたGM、クライスラー、フォードのビッグ3がアメリカ発の世界同時不況を受けて経営難にに陥り、アメリカ政府の金融支援を受けることができて再生への道へ進むことができるのか、それができずに破綻の道を受け入れざるを得ないのか企業生命の岐路に立たされている。アメリカのビッグ3は世界のビッグ3としての歴史をも担ってきただけに、時代の移り変わりを感じないわけにはいかない。
環境に負荷を与え、ガソリン価格に影響を受けやすい大型車開発優先が災いして、燃費優先・環境対策仕様・低価格の日本の小型車に圧倒されて影を薄めつつあった。
12月2日の『朝日』朝刊記事≪環境元年 第6部 文明ウオーズ2 クルマ100年 悩む米国≫が<エコ技術「日本に負けた」>と副題を用いてビッグ3の現況――ハイブリッド車や電気自動車といった環境対策車の開発の遅れを伝えている。
その原因がここに来てのGMの資金難による開発資金の減少、二酸化炭素を出さない「究極のエコカー」と銘打った水素を使った燃料電池車は試作車を全米で約80台を試験的に走らせているものの、その商用化が現在の不況下の販売停滞に間に合わず、2015年以降であるといったことにあると解説している。
人間はその多くが大型車志向を内心に抱えている。その大型車志向はカネが十分に許せばの条件を満たすことによって実現へと向かう。
アメリカ人だけではなく、日本人も同じだろう。日本のプロ野球の高額年俸を手にしているスター選手などは殆どがベンツ等の高級大型外車を自家用車としているのではないだろうか。
プロ野球の選手でなくても、ちょっと成功してカネが入ると、大型外車に乗りたがる。金持ち気分を味わえるからだ。バブル時代、東京では高級大型外車が街にあふれていたと言うし、ドイツ車BMWは「六本木カローラ」と呼ばれる程にバブル期の六本木では大衆車であったトヨタのカローラのように金を持った若者や壮年たちの大衆化を受けていたそうだ。
後付の感想に過ぎないが、アメリカ自動車産業の間違いは社会を形成するすべての人間の所得規模がピラミッド型を取るということに留意しなかったことだろう。いわば人口比で言うと、中低所得層が圧倒的に多いということである。
クルマを最大の移動手段としているアメリカでは新車を買えない中低所得層は中古車を買って移動の手段としなければならない。アメリカの大型車は新車であっても大型・高重量であるゆえにただでさえガソリンを食い、裕福な者はたいした経費ではないだろうが、中古車となるとガソリンをこぼして走るようなもので、中低所得者にとってはアラブの産油国の石油国有化後の石油の高騰に次第に負担となっていったに違いない。
日本はアメリカに安価な小型車を投入した。小型で車重が軽いだけガソリンは食わない。しかも環境対策に力を入れ出した。無理をしてでも一度買えば、以後中古大型車に費やした燃料負担は避けられるし、車自体も長持ちする。故障も少ない。結果として安い買い物となる。
このように移動手段として十分に充足させる新たな製品が登場したのに、誰が好き好んでガソリンを食う大型の中古車を買うだろうか。
中低所得者に彼らには結果的に高い買い物につく大型中古車を与えてそれでよしとするのではなく、小型車を用意すべきだったろう。中古となっても売れることから、中低所得者に負担を与えていることを考えずに、中古車となっても売れる儲けの上にアグラをかいてしまった。
上記『朝日』記事はビッグ3の苦境を伝えると同時に、欧州中心に進んでいるCO2の大きな排出源である自動車利用を見直す「脱クルマ社会」の動きが自動車王国のアメリカでも始まっていることを<ロスに路面電車復活構想>と題して紹介している。
日本の地方の商店街の大方がかつての賑わいを失い、過疎化・閉店化に向かいシャッター通りと化しているように、ロスアンゼルスの都心部を貫くブロードウエイ通りもかつての賑わいを失い、駐車場や空き店舗が目立ち、12軒あった劇場・映画館が2軒に減ったと、日本の地方都市と変らない寂れぶりを伝えている。
そのブロードウエイにサンフランシスコのようにかつては縦横に走っていた路面電車を2014年敷設を目指して復活させようと市民運動が起きているという。
路面電車やバスの不便なところはクルマと違って目的地にまで直接乗り入れることができないということだろう。地方へ行く程、導入空間の制約と共に路線は単一化し、目的地に到達するには時間待ちの乗り換えや長距離の徒歩を強いられることになる。
どこにでも自由に行けるクルマの便利さに負けて電車、バス共に利用者を失っていって、赤字となった路線が廃止の憂き目に遭遇し、特にクルマを運転できない高齢者に移動の不自由を与えているのが地方の現状・地方の姿であろう。
日本でも各地方で低床式のLRT(次世代型路面電車システム)の導入を図る動きが出ているらしいが、例え導入したとしても、自治体の限りある予算の問題から都市全体にかけて路線を縦横に走らせることは不可能なことを考えると、利用者がより多く見込める市の中心部を申し訳程度に数路線走らせる程度で完結させることとなって、バス同様に利用者それぞれの目的地により近い距離で乗り入れたい希望を満たすわけではなく、移動を果たすまでに乗換えや徒歩を必要とすることに変化はないように思える。
その上地方自体が過疎化の波に洗われているのだから、例え市の中心部を走らせたとしても、朝夕のラッシュ時のみの利用に傾き、それ以外の利用は少なく、やはりバスの運営と同様に経営は楽ではないに違いない。
利益がそれ相応に見込めないとなると、便数の増加は勿論、路線の拡充も覚束ない。
今年3月21日に当ブログに≪路面電車復活は単線方式で≫と題して、路面電車を走らせるなら、道路の中央ではなく、左右どちらかの端に単線で走らせたなら、場所を取らず、クルマの通行の障害にならないことと、乗換えや徒歩の不便を避ける目的でサイクルトレインのように自転車を乗せることができる車両形式にしたらどうかと提案した。
だが、単に車両内部を改造して自転車の乗入れを可能としても、人一人が通れる幅の従来どおりの乗降口なら、自転車を携えた乗入れに時間と手間がかかって不便であることに気づいた。例え乗降口の幅を広げたとしても、手ぶらの人間が順番に乗入れするよりも時間がかかることは確かである。自転車の乗入をスムーズにしてより便利にしたなら、路面電車の路線が例え少なくても、自転車を利用しさえすれば、目的地により面倒なく直接乗り込むという便利を叶えることができる。叶えることによって、逆に自転車利用者が増えるのではないだろうか。
その方法は最初に画像で示したように、貨物トラック荷台のウイングドアから考えついたのだが、車両のほぼ片面全体をウイングドアにして全開とし、自転車及び人の乗降をどこからでも自由にして乗入の時間短縮と手間の負担軽減を図ることである。運転席を従来どおりに車両前部と後部に設けてあれば、単線であるなら、運転席を前後に変えるだけでウイングドアは常にプラットホーム側に開くことになる。
車両自体が低床式でステップが地面から10センチ離れていても、自転車の乗入に支障がないばかりではなく、車椅子も前部の車輪の直径を20センチ程度にしたら、ほんのちょっと人手を借りさえすれば、それ程困難ではないはずである。
運賃はすべての路線を同一運賃とし、鉄道やバスに利用できる「パスモ」のようにカードにして、開いたウイングドアの下部に感知器を設置して降りるときかざすと、小さな音が鳴り、かざさないで降りる利用客が逆に分かるといった装置にしたらどうだろうか。勿論、無賃乗車が発覚した場合、条例で罰金を重くする必要がある。
市の中心部を走るのみの路面電車で、自転車も利用できるという方式では過疎地の高齢者の移動の用には足さないことになるが、経営を十分に黒字化することができたなら、黒字分を路線の拡大にとどまらずに過疎地の交通の便向上に向けた投資も可能となるのではないだろうか。
実現可能性は限りなく低く、たいして役にも立たないアイデアの提示で終わる可能性大だが、いつののようにご愛嬌までに。――
(上記『朝日』記事<ロスに路面電車復活構想>部分を参考引用)
CO2の大きな排出源である自動車利用を見直す動きは、欧州を中心に急速に進んでいる。自動車王国の米国でも、「脱クルマ社会」への模索が都市部で動きつつある。
ロスアンゼルスの都心部を貫くブロードウエイ通り。かつて最先端のブディックや劇場が並び、夜遅くまで人出が絶えない繁華街だった。それが今、だだっ広い駐車場や空き店舗が目立ち、12軒あった劇場・映画館も2軒に減った。夕方に多くが店じまいし、街は暗く、閑散としてしまう。
ここに路面電車を復活させ、街の再生を図ろうという市民運動が起きている。市民団体「ブロードウエイ再生財団」のジェシカ・マクレーン事務局長は「ガソリン価格の高騰と温暖化対策の必要性から市民の意識が変ってきた」。14年の敷設を目標に事業化調査を進めている。
ロスにも昔、サンフランシスコのような路面電車が縦横に走っていた。ところが、1940年代にバス会社に買収された。その大株主はGMや石油会社、タイヤメーカーだった。買収後、電車の路線は次々にバス路線に置き換えられ、60年代に撤廃された。
主な都市にあった路面電車はモータリゼーションの波に押され、多くは姿を消した。都市と郊外を結ぶ近距離鉄道も少なく、通勤はマイカー頼み。住宅が郊外に虫食い状に広がる「スプロール現象」があちこちに見られる。都心は居住者が減り、治安が悪化しやすい。自動車文明の「負の遺産」とも言える。
(【スプロール現象】「大都市郊外部が無秩序・無計画に発展する現象」/マイクロソフト『Bookshelf』)
米国の都市をマイカーを持たずに暮らせるのは、20世紀初頭に地下鉄が開通したニューヨーク、ボストンぐらいと言われる。自動車文明が押し寄せる前に地下鉄で都市交通の基盤が整備されたからだ。
ロスのように路面電車やモノレールなど小型の鉄道を整え、都市交通の改革を図ろうとする動きは少しずつ広がっている。ロスでは今年8月、シアトル、デンバーなど7都市代表が集まり、意見交換会があった。ポートランドからは都心を走る路面電車の一定区間を無料にしたり、自転車利用を促したりして車利用を減らした実績が報告された。
「よちよち歩きだが、クルマ社会に対するスローな革命を広げたい」。ロスの再生財団のマクレーン事務局長はいう。(編集委員・竹内幸史)