井戸敏三兵庫県知事「関東大震災発生待望論」に見る知恵不足

2008-11-13 09:17:39 | Weblog

 東京一極集中は日本人全体でつくり上げた社会体制

 11月11日「asahi.com」記事によると、≪井戸・兵庫県知事「関東大震災が起こればチャンス」≫と近畿ブロック知事会議(11日和歌山市開催)で関東大震災発生に期待を寄せたそうだ。

 私もその一人だが、いくら宝くじを買っても当たらない人間がいる一方で、かなりの確率で当選する人間がいる。人それぞれの当選の確率は期待実現の確率だから、もし井戸知事の期待実現の確率が高ければ、関東圏の住人は早々に首都圏直下型地震に備えた方がいい。大地震の前に1万や2万の定額給付金など役に立たないだろう。

 上記「asahi.com」記事は井戸知事の「発言要旨」を次のように伝えている。

 <まず、東京一極集中をどうやって打破するかという旗を揚げないといけない。物理的には、関東大震災なんかが起これば相当ダメージを受ける。これはチャンスですね。チャンスを生かす、そのための準備をしておかないといけない。機能的には、金融なんです。金融とマスコミが東京一極集中になっている。東京にいった企業をもう一度、関西に戻せというカムバック作戦を展開していく必要がある。(中略)そういう意味では、防災首都機能を関西が引き受けられるように、あるいは第2首都機能を関西が引き受けられるような準備をしておかないといけない。>――

 「関西経済の活性化を論じる中で」の発言だと記事は解説しているが、発言の意図は人の不幸を踏み台にして自分の幸せ――「関西経済の活性化」を図る類の発想となっている。

 関東大震災が発生して「ダメージ」(被害)を引き起こすことを前提に、それを「チャンス」だと条件づけているからだ。

 東京都の石原慎太郎都知事も同じことを言っている。「ま、役人の浅知恵だね。他人の不幸をチャンスとして(鼻で笑いながら)、喜んじゃあいないんだろうけど、そういう表現てのは、ま、日本人の感性にやっぱり馴染まないよね」(11月12日NHK「ニュースセブン」

 「馴染まない」のは 「日本人の感性」に限ったことではないだろう。「日本人の感性に」と限定して「馴染まない」とするこの言葉には「日本人の感性」は特別だとする優越意識を潜ませている。「日本人の感性」が特別なものではないことは石原慎太郎自身が証明していることではないか。
 
 井戸知事の「関西経済の活性化」が地震発生を前提としているから、「そのための準備」は地震が発生しなければ、絵に描いた餅で終わることになる。例え「防災首都機能を関西が引き受けられるように、あるいは第2首都機能を関西が引き受けられるような準備をして」おいて、いざ首都直下型大地震が起きよと待ち構えたとしても、真夜中のお百度参りを百万遍貫徹したとしたしても、起きないことには東京一極集中はさらなる肥大化の方向に向けて増殖し続けることになるだろう。

 それを阻止するためには、かなり過激な唆しとなるが、明治維新前の薩長が天皇を利用した前例に倣って天皇を拉致・誘拐して大阪城にでも閉じ込め、「天皇は関西にあり」とでも宣言すれば、大阪は一極集中の拠点となり得る可能性は生じるが、それだけの過激性も覚悟も井戸知事は持ち合わせてはいまい。

 11日の夜になって井戸知事は「発言の真意」申し開きの釈明記者会見を開いている。

 「東京一極集中へのリスクの高まりと、リスクへの備えを(事前に)引き受けるのが関西のチャンスになるという意味だ。・・・・・言葉づかいが適切でなかったことは反省しなければならない」(同「asahi.com」記事)

 記事は釈明したものの、「発言は撤回しなかった」と解説している。

 当時東大理学部助手だった人物が東海地震説を唱えた1970年代半ば頃だったと思うが、知り合いの大工が不況でまるきり仕事がないことを嘆いて、「地震が起きれば、いくらでも仕事が出てくるんだが」と言っていたのを聞いたことがあるが、大工にしたら仕事の創出を地震の発生に縋るくらいだったから内心では切実な地震待望論だったろうが、同時に起こるであろう他人の不幸(死や身体障害といった生命の消滅、損壊、家の倒壊や消失等による財産の喪失)にまで考えが及ばない点は井戸県知事と同じだが、違う点はそれぞれが置かれている立場であろう。

 大工は女房子供のいる一生活人に過ぎないが、井戸県知事は県民の生活を預かる公の立場に立っている。阪神・淡路大地震の不幸に一度見舞われている県民もいるだろうし、再び見舞われない保証はない。

 井戸知事は自らがアイデアとした「関西経済の活性化」の「備え」「関東大震災」発生を前提とし、それを「チャンス」だと条件づける心得違い以外にも重大な間違いを犯している。

 首都圏直下型地震が発生して日本の首都東京が壊滅的な打撃を受けたとしても、復興を成し遂げたとき、再び東京は一極集中化し、例え関西が東京復興まで「防災首都機能」、あるいは「第2首都機能」を引受けたとしても、一時的な局面で終わりを遂げ、すべては徒花(あだばな)となるだろうということである。
 
 なぜなら人間や物事を価値づけるに家柄や地位、学歴、才能、財産その他を上下・優劣・多寡で計り、常に比較上位に対してより多くの価値を、ときには絶対的な価値を付与して権威づける日本人の権威主義が日本の都市に於ける最上・最大の権威を日本の首都である東京に置いて、そこから一歩も出れないでいるからだ。

 いわば日本人全体で作り上げた「東京一極集中」であり、その権威主義は例え東京という都市が地震によって見るも無残に壊滅しようが、復興を果たしさえすれば、再び日本人全体の力で東京に再び権威を復権させ、東京一極集中を再度確立することになるだろう。

 個々の大学生の資質や才能のそれぞれのよさ、利点、あるいは可能性を評価の基準とせずに東京大学という大学そのものに、あるいは東京大学という名前そのものに最大の権威を与えてすべての大学の頂点に立たしめて権威づける上下・優劣の権威主義性を学生の人間的価値を計測する価値判断にまで広げているように東京という都市そのものに、あるいは東京という名前そのものに最大・最上の権威を置いている。

 トヨタ自動車も同じである。発祥の地愛知県の豊田市に本社を構えながら、東京にも本社を構えている。官公庁との交渉窓口が必要だと言うだけのことなら東京支店でもいいはずだが、一つでいいはずの本社を二つも置き、その一つを東京に置いているのは日本の都市の中で東京に最大の権威を置いていて、その権威性を纏わせる意味からの東京本社であろう。

 松下電工改めパナソニック電工は関西を発祥の地とし、発展拡大の地としながら、なぜ東京に本社を構える必要があるのだろうか。東京に本社を置くことで大企業としての格好がつくからだろう。日本では大企業の体裁を整える重要な条件に東京に本社を置くことが必要事項となっている。東京という都市、名前に権威を持たせているからだろう。

 だが、そのことは同時に東京という権威の下に自らを立たしめて、その権威を身に纏わせ、自らの権威の一部とすることでもある。東京大学出身者が東京大学という学歴を誇って自らの存在性を優秀だと権威づけるように。

 かくも権威主義が日本人を捕捉している。その権威主義からの脱却を図らなければ、首都圏直下型大地震が起ころうと起こるまいと「東京一極集中」は日本の風景であり続ける。「東京一極集中」のみならず、都市を上に置き、地方を下に置く権威主義的価値観としてある「都市集中」も、大企業を上に置き、中小零細企業を下に置く権威主義的価値観が生じせしめている「大企業上位」も日本の風景であり続ける。

 犯罪を犯した会社人間は刑務所の中でも例え異なる会社勤めであっても会社世界での部長とか課長とかの地位に準じて上下の序列・待遇が決まるということだが、これも人間の価値を地位等の上下・優劣で図る権威主義性を纏っているからこそ可能となっている日本の風景であろう。

 こういったことに気づかないまま、「東京一極集中へのリスクの高まりと、リスクへの備え」をいくら言っても、何も始まらないに違いない。東京に本社を置くことは日本では最大のステータスシンボル、最大の権威獲得なのだから、井戸知事が地震が起きるぞ、起きるぞと狼と少年の役割を熱心に演じて「こっちの水は甘いぞ」といくら誘いをかけたとしても、東京から本社を引き上げる企業など出てはこまい。 


 (参考引用)井戸・兵庫県知事「関東大震災が起こればチャンス」asahi.com/2008年11月11日)

 兵庫県の井戸敏三知事は11日、和歌山市で開かれた近畿ブロック知事会議で、関西経済の活性化を論じる中で、「関東大震災はチャンス」などと述べた。首都圏の災害時における関西の補完機能の重要性を指摘した内容だったが、他都市の被害を歓迎するように取られかねない発言に、参加した各知事からは「不適切だ」との声が上がった。

 井戸知事は11日夜、神戸市内で記者会見し、発言の真意について「東京一極集中へのリスクの高まりと、リスクへの備えを(事前に)引き受けるのが関西のチャンスになるという意味だ」と説明。「言葉づかいが適切でなかったことは反省しなければならない」と述べたが、発言は撤回しなかった。

 会議には近畿2府4県と福井、鳥取、徳島、三重の知事と副知事が出席。井戸知事は「東京一極集中を打破するための旗を揚げなければならない」と前置きしたうえで、「関東大震災なんかが起これば(首都圏は)相当ダメージを受ける。これはチャンス」と発言。さらに「首都機能を関西が引き受けられる準備をしておかないといけない」などと述べた。

 井戸知事は会議途中で公務のため退席。会議後の記者会見で、鳥取県の平井伸治知事は「阪神大震災の被災県である兵庫県の井戸知事だからこそ、表現については訂正するべきだ」。大阪府の橋下徹知事は「(首都機能の)バックアップ機能が必要だという真意は、全知事がわかっている。でも、不適切な発言ばかりやっている僕から見ても不適切だった」と疑問を呈した。

 井戸知事は旧自治省で大臣官房審議官などを経て、阪神大震災の翌年の96年に兵庫県副知事に就任した。01年に初当選して現在2期目。
     ◇
 〈井戸敏三・兵庫県知事の発言要旨〉

 まず、東京一極集中をどうやって打破するかという旗を揚げないといけない。物理的には、関東大震災なんかが起これば相当ダメージを受ける。これはチャンスですね。チャンスを生かす、そのための準備をしておかないといけない。機能的には、金融なんです。金融とマスコミが東京一極集中になっている。東京にいった企業をもう一度、関西に戻せというカムバック作戦を展開していく必要がある。(中略)そういう意味では、防災首都機能を関西が引き受けられるように、あるいは第2首都機能を関西が引き受けられるような準備をしておかないといけない。
     ◇
 「関東大震災が起きれば、(関西経済に)チャンス」。首都圏の大地震発生に期待を寄せるかのような兵庫県の井戸敏三知事の発言に、防災に携わるボランティアらからは批判の声が相次いだ。

 神戸市の阪神大震災の復興公営住宅で高齢被災者の見守り活動を続ける市民グループの東條健司代表(68)は「完全な失言。関西が政治や経済の中心になるために地震が起きて欲しいと思っているように聞こえる」と絶句した。国内外の被災地で支援を続けるNPO法人理事長の黒田裕子さんも「関東に地震が起きれば、関西がそれ見たことかと喜んでいるように聞こえてしまう」と残念がる。

 首都直下地震をシミュレーションした小説「M8」などの著書のある神戸市在住の作家、高嶋哲夫氏は「兵庫は地震の悲惨さを一番、身にしみている県であり、全国から支援を受け、やっと立ち直ってきた立場。ほかの地域の被害を利用しようというのは、口が裂けても言うべきではない」と批判する。

 神戸市幹部も「阪神大震災当時、真っ先に神戸に駆けつけてくれたのが関東のボランティアだった。そのことを考えると言葉を失う」とあきれる。

 一方、阪神大震災の犠牲者遺族らでつくるNPO法人元理事長、白木利周(とし・ひろ)さんは「不適切な感じはしない。地震が発生すれば大阪や兵庫が団結して復興に当たり、関西の活性化にもつなげるという意味だと思う」と理解を示した。

 しかし、東京都のある幹部は「震災を経験した県の知事にあるまじき発言。関西圏の繁栄を目指すのはいいが、あまりに視野が狭い」とあきれる。昨年4月には、石原慎太郎都知事が阪神大震災を巡って「(自衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから2千人余計に亡くなった」と発言。井戸知事が「失礼な発言だ」と反論した経緯がある。このため、都庁内には「今回の発言は、石原知事発言への意趣返しでは」と受け止める幹部もいる。

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