消費税(麻生政策)が先か、ムダ遣い排除(民主党政策)が先か
30日午後6時から麻生首相が記者会見して「国民のための経済対策」を発表した。これが悪足掻きなのかどうかは総選挙が決める。
その中で自公政権が今後とも維持されるという保証もない中で3年後に消費税を上げるとぶち上げた。「首相官邸HP」からの引用だが、次のように語っている。
「次に、財政の中期プログラムについて申し上げさせていただきます。今回の経済対策の財源は、赤字公債を出しません。しかし、日本の財政は、依然として大幅な赤字であり、今後、社会保障費も増加します。国民の皆さんは、この点について大きな不安を抱いておられます。その不安を払拭するために、財政の中期プログラム、すなわち歳入・歳出についての方針を年内にとりまとめ、国民の前にお示しします。
その骨格は、次のようなものであります。
景気回復期間中は、減税を時限的に実施します。経済状況が好転した後に、財政規律や安心な社会保障のため、消費税を含む税制抜本改革を速やかに開始します。そして、2010年代半ばまでに、段階的に実行させていただきます。本年末に、税制全般につきまして、抜本改革の全体像を提示します。簡単に申し上げさせていただけるのなら、大胆な行政改革を行った後、>経済状況を見た上で、3年後に消費税の引き上げをお願いしたいと考えております。
私の目指す日本は、福祉に関して、中福祉・中負担です。中福祉でありながら、低負担を続けることはできません。増税はだれにだって嫌なことです。しかし、多くの借金を子どもたちに残していくこともやめなければなりません。そのためには、増税は避けて通れないと存じます。勿論、大胆な行政改革を行い、政府の無駄をなくすことが前提であります」・・・・・・・・
二つの条件がついている。一つは>「経済状況を見た上で」。二つ目は>「大胆な行政改革を行い、政府の無駄をなくす」となっている。
民主党の消費税に関わる政策は「消費税の引き上げを論ずる前に税金のムダづかいを排除すべき」と「ムダ遣い排除」を主目的としているのに対して、麻生消費税増税政策は>「経済状況」を最初に持ってきて、>「大胆な行政改革を行い、政府の無駄をなくす」は最後に持ってきていることからも分かるように「ムダ遣い排除」は副次的となっていると言える。
民主党は「ムダ遣い排除」が主目的だから、麻生首相の記者会見での「3年後の消費税の引き上げ」に対して民主党の直嶋正行政調会長が早速「無駄遣いを根絶せず、国民に負担増を求めるのは筋違い」「47NEWS」≪反発野党反発、与党に驚きも 首相の消費税発言≫(2008/10/30 22:27 【共同通信】)と批判している。
確かに政府財政は地方分を含めて1200兆円を超える巨額に達し、700兆円前後もの赤字国債を抱えていて予算運営が硬直化している手前、消費税増税は避けて通ることはできない状況になってはいるだろうが、その一方でムダ遣いの横行・蔓延が跡を絶つことなく存在している。
このように自民党政府と官僚が巨額の財政赤字、赤字国債を抱えながらムダ遣いがなくならないのだから、ある意味自分の懐が許す範囲でとどまらずに借金をしてまでしてムダ遣いに走る人間の姿を取っていると言える。当然の勢いとして何らかの新しい収入の機会を得れば、それが自分が額に汗して手に入れた収入・カネでないとなれば尚更のこと、そのカネの一部はムダ遣いに利用されることになるだろう。
このことはムダ遣いする者の必然的な動向としてある構図であるはずである。
政府予算にムダが多いのは官僚と一体となった政権維持と、そのことと相互対応する議員身分維持のための利益誘導が必然化させたムダとそれに乗っかった官僚のムダであって、それが長期政権となってムダ遣いが慣習化して自民党政治そのものと官僚自身そのものがムダ遣い体質となったことが原因となっているはずで、いわば消費税増税による新たな歳入の余裕が却ってムダ遣い体質を改める機会を取り上げ、逆にムダ遣いの慣習を今以上に野放しする絶好の機会にしかねない側面を抱えかねないということである。
となれば、どのような困難を抱えようとも民主党が言っているようにムダ遣い根絶・ムダ遣い排除を主目的として、それを果してから、消費税増税に向かう手順を取るべきではないだろうか。
1988年に消費税を日本で最初に導入したのは竹下内閣で、国民世論は大反対し、野党反対の合唱の中、政府は強行採決して可決・成立させた。
麻生首相は世論調査等の国民の民意なるものが常に正しい姿を取るわけではない譬えとして消費税導入当時の野党と国民の反対を引き合いに出すが、10月30日の当ブログ記事≪マスコミは問題にしたが、質問者は問題としなかった麻生即席ラーメン「400円」≫で民主党の女性議員・牧山弘恵議員の午前中の質問を取り上げたが、昼の休憩を挟んで午後の質問に対する答の中で麻生首相はやはり消費税を導入時の民意を引き合いに出している。
勿論、民意なるものが常に正しい意見として存在するわけではないことは承知している。何も消費税導入時の1988年まで遡らなくても、3年前の05年9月まで遡れば済むことで、小泉元首相の郵政選挙時の国民の民意・世論を例に取れば簡単に証明できることなのだが、麻生首相が反小泉政治の立場を取っていたとしても、同じ政党の人間である手前、譬えに挙げることができないだけのことだろう。小泉内閣では総務大臣や外務大臣まで務める恩恵を小泉純一郎から受けてもいる。あのときの小泉支持・自民党支持の国民民意は間違っていたなどとは口が裂けても言えまい。
だが、あのときの小泉支持・自民党支持の民意は格差のにっちもさっちもいかないしっぺ返しを食らうこととなった。
但し牧山弘恵議員は民意・世論なるものが間違った姿を取るケースもあることに気づいていないようだ。麻生総理の引き合いを牧山弘恵の午後の質疑から見てみる。
牧山「もう一点、テレビ中継が切れましたので、もう一度ご意見を伺いたいと思います。このパネル3についてでございます。総理はこのパネルをご覧になってまったく関係ないと言われてましたけども、このデータは衆議院による3分の2の再可決が正しいと思うかどうかというものです。ガソリン税がいいかどうかと、そういうことを聞いたものではございませんでした。衆議院による3分の2の再可決が正しいかと思うかどうかという世論調査を行ったものです。再可決による国民世論をまったく関係ないと言ったんでしょうか」
麻生「あのう、これ、ガソリン暫定税率のときの話を聞かれましたから、このテロの話とは関係ないんじゃないかと申し上げました」
牧山「ガソリン暫定税率のときに聞いただけであって、そのときに国民は3分の2による衆議院の再可決を正しいと思うかどうかという、そういう直近の民意でございます。やはりこういう直近の民意を、やっぱり、総理、耳を傾けていただきたいなと思うのですが、総理、如何でしょうか」
麻生「直近の民意に耳を傾けることは大切なとこです。しかし同時に、>例えば過去を振返ってみますと、いろいろなときに、消費税、確か竹下内閣のときだったと思いますが、あのとき直近の民意は反対、だったと思いますが、結果的に政府与党、消費税というのを取らせていただいて、スタートしたと存じますけども、結果としてはあの選択は正しかった。私どもはそう思っています。やっぱり消費税と言うものは必要な間接税と思っておりますんで、その意味で直近の民意だけですべて頼るというわけにはいかないものかと存じます」
麻生首相が消費税導入時の反対民意を持ち出して「その意味で直近の民意だけですべて頼るというわけにはいかないものかと存じます」と言っているのだから、牧山弘恵議員は効果があるならいいが、馬の耳に念仏程も効果がないと理解しなければならないにも関わらず、やはり期待を述べるだけの形式で次のように質問を終わらせている。
「国民の世論調査というものは大変重要な資料だと思います。私たちもこういった国民世論調査は本当に真摯に受け止めて、これから慎重に、こういった国民の世論を見ながら対応していったほうがよろしいと思います」
民主党が政権を獲った場合、自分たちに不利な世論調査を突きつけられたときどうするのだろうか。「よろしいと思います」では済まないだろう。
麻生は自民党が消費税を導入しようとしたとき、国民も野党も大反対したが、自民党は民意に逆らって導入を決定した。その決定は正しかったという。その主張の裏にはもし民意に従っていたら、国の財政を破綻させてしまったかもしれないという冷笑と民意に逆らうことの自信を隠しているに違いない。
だが、その認識には一つ欠けているところがある。先に自民党政府と官僚が巨額の財政赤字、赤字国債を抱えながらムダ遣いがなくならない姿を借金をしてまでしてムダ遣いに走る人間に譬えたが、消費税導入によって新たな歳入機会を得たことによる予算増加の余裕がムダ遣い体質にアグラをかかせることとなって官僚と一体となった自民党自身のムダ遣いの体質を改める機会を失わせ、ムダ遣いの慣習を慣習とさせたまま伝統・文化とする危険性への認識である。
ムダ遣いの体質を改める機会を持たないままムダ遣いの慣習を慣習とさせたまま伝統・文化としてきたからこそ、今日に於ける跡を絶つことのない目に余るムダ遣いの横行・蔓延なのであり、政府予算のムダ遣い・官僚のムダ遣い、そして政治家のカネの問題等々の噴出なのである。それを新たな消費税増税による歳入増加が拍車をかけかねない十分に考えられる懸念、恐れへの認識を欠いたまま、消費税増税を言う。
財政赤字や赤字国債に関係なしにムダ遣いがなくならないからと言って、政府歳入とムダ遣いが決して無関係ではないことだけは確かである。先に例を挙げたように、借金してまでしてムダ遣いをする人間にしても、収入は常に関係しているはずだからである。収入が多ければ、それを無視したムダ遣いも多額となるのが一般的だからだ。