既に多くの人が言っていることだと思うが、私も一口乗って。――
先月10月30日(08年)に「新しい経済対策」と称して麻生総理大臣が記者会見し発表した中で、「定額減税については給付金方式で、全所帯について実施します。規模は約2兆円」と「定額減税」打ち出した。
対象は「全世帯」。
ところが与謝野馨経済財政担当相が10月31日の閣議後の記者会見で「経済対策ではなく社会政策として議論が始まった。・・・・高い所得層への定額減税に社会政策的な意味があるのかという根本的な問題に答えないといけない」(「時事通信社」記事)
(テレビ出演)「高い所得層の人にお金を渡すのは常識からいって変だ。所得が2000万円も3000万円もある人に渡したら、バラマキと言われる」(「毎日jp」記事)
給付には所得制限が必要との考えを示して麻生首相の「全世帯給付」に疑義は挟んだ。野党からも「究極のバラマキ、」、「選挙対策」の批判が上がったこともあってのことだろう、11月4日の記者会見で「豊かなところに出す必要はない」と10月30日の「全世帯」からたった5日経過しただけで「所得制限」へとあっさりと政策変更、リーダーシップの欠如、主体性の欠如をお色直しのご披露に及んだ。
しかし所得制限方式だと所得調査が個人情報保護法に触れるとか事務を行う自治体窓口の負担が計り知れないとかの指摘が出て、高額所得者の(多分好意の)辞退方式が持ち上がった。
但し辞退方式も閣僚によって賛否様々の様相を呈した。
与謝野 馨経済担当相「高額(所得)者は(給付金を)辞退するというのは、それは制度ではないんで、そういうことはあり得ないだろう」
中川昭一財務相「低所得者の方々にできるだけ早くですね、給付をしたいということを考えれば、(辞退は)やむを得ない」
野田聖子消費者担当相は「最初の総理のご発言、全所帯(給付)で良かったんじゃないかと思っております」
山崎正昭参院幹事長は「総理の発言は重いわけですから、しっかりとした説明を国民にすべきだ」
細田博之幹事長は「スパッと、これだと、これが案であるということを明確に決めなければならないんじゃないか」
(7日の総務会)「このままでは閣内も不一致、政府与党内も不一致、自民党内も不一致になってしまう」
「ばらばらな発言をこのまま許してもいいのか」
記者に「閣内不一致ではないか」と問われて、
麻生首相「僕はいろんな意見が出されて、結構だと思いますけど。別に、(給付金が)私のところにくるわけじゃありませんと、はなから思ってますから。公平性と迅速性っていうのは、ずっと申し上げている」(以上「FNN」記事から)
麻生首相は「公平性と迅速性」を最重要の給付条件としている。お仲間の中川昭一財務相も「できるだけ早くですね」という言葉で、麻生べったりの「迅速性」を条件に掲げていた。
「公平性」の場合、高額所得者の自発的辞退で果たして担保されるのだろうか。好意の辞退とならず、悪意の請求へと変らない保証はどこにもない。税金は貧乏人よりも俺たち高額所得者の方が多く払っている、給付もそれに応じるべきだを自己正当化の理由に胸を張って請求する者も多く出るに違いない。
昨11月10日に全国市長会長の佐竹敬久秋田市長が秋田市役所で記者会見して、多分全国市長会長の立場としてだろう、「所得制限方式」に反対のメッセージを麻生以下に向けてぶち上げた。
「市町村が事務を担うことになれば、全国で大変な混乱が起きる。・・・(高額所得者に)辞退を促したり、見なしの所得制限で対応する案もあるようだが、あいまいな形では市町村は耐えられない。所得制限なしが望ましい。・・・(市町村窓口での支給となれば)一時期に大勢が手続きに訪れる。すべての業務を放り出しても職員は足りず、政令市ならもっと大変だ。混乱は確実で、国が一切の責任を負うことを明確にしない限り、市町村は乗れない。・・・・・定額減税に加え、低所得者対策を行うのが本来のやり方。・・・・・国が国家公務員を総動員して支給するなら勝手だが、現場の実態を無視したやり方は困る。国会で軽々に決めるべきでない」(河北新報≪定額給付「所得制限で大混乱」秋田市長、見直し求める≫2008年11月10日月曜日から)
高額所得者にも定額減税方式で一律に支給し、その上で低所得者対策を行えと、「公平性」の担保をそこに求めている。
このことによって「公平性」が確保できても、有り難味は年度内を越える可能性が生じて、麻生政権が最も拘っている「迅速性」が担保されかねない。3月以降に総選挙がずれ込むと決まっているならいいが、政局次第でいつ総選挙とならないとも限らない状況にある。
だからだろう、麻生首相はあくまで「迅速性」に拘った。北朝鮮に対して「対話と圧力」が対語化しているように「公平性」を「迅速性」の対言葉として掲げてはいる。
そのことが昨11月10日の「毎日jp」記事≪首相VS記者団:定額給付金「基本的には『早く』『公平に』」 11月10日午前11時53分~≫が詳しく伝えている。
<Q:定額給付金の所得制限については前向きな意向でしたが、それに変わりはないですか?
A:もう昔からそんな話何回もしていて、これ3回目くらいじゃないのと思うけれども、まず全家庭に行くようにしましょうというのがもともとの話。あのときは定額減税するといっていたが、そうすると税金を払っていない人に行かなくなっちゃうと言った。だから全家庭にするようにというのが、それが基本。
そこに行くために方法を考えたらどうかということで、減税から定額(給付金)にいこうとなった。その方法がいいねって納得したの。それで高額所得者とか言った時に、笹川さんとかオレたちやら何やらにも来るのかと。普通、そりゃ違うだろうという話になった。それがもともとの発想。
それで所得制限をするには、それは法律でやるのかと。それじゃ時間と手間がかかるので、急いでいるんだから、今やる迅速性でいったらということで。所得制限するとかいったら法律でやるということになるから、その段階でその話はなくなった。新聞には書いてないだろうけれども、(質問者のメモを指さしながら)それをよく読み直してみて。二つ目は辞退するとか何とかで、自分でどの程度辞退するのか。金があってももらいに行く人がいるかもしれんが、じゃあ、市町村の窓口で「あの人の所得いくら」って把握できる? そういった意味なら自発的にやってもらうのが簡単なんじゃないの? そういった意味なら。もっとうまいやり方があるのなら考えればいい。あとの細かい話は与党で検討してもらっているので、オレに聞かれても分からない。基本的には「早く」「公平に」。貧しいところにこの種の金が行くのが基本じゃないの?>・・・・・・
「公平性」が必ずしも担保される保証がないまま、「迅速性」を全面に押し出している。
先月10月26日夜、麻生首相は公明党の要請で太田昭宏代表と都内のホテルでひそかに会談したと≪文芸春秋・日本の論点≫(08.10.30)インターネット記事が伝えている。
<会談には北側一雄幹事長も同席。席上、太田氏は「解散を延ばしても勝てる戦略がない」として、かねての考えである早期解散(11月30日投票)を迫ったが、麻生首相は、金融危機下の景気対策を理由に、首を縦に振らなかった」>とのことだが、「金融危機下の景気対策」優先は口実で、2カ月かそこらで、あるいは来年まで先延ばしたとしても、半年かそこらで自民党城を明け渡した首相にはなりたくない不名誉回避が最大理由の先延ばしなのは衆目の一致しているところである。
元々定額減税は公明党が総選挙対策と兼ねた来年7月の都議会選挙対策を目的に言い出したもので、麻生政権側は財政上の問題も含めて、財源に見合う景気対策効果に懐疑的だった。
また早期解散もやはり公明党が都議会選挙と衆議院選挙が間近に重なって都議会選挙をより優先させたい思惑に反して衆議院選挙の陰に隠れることを嫌って拘っていることだと言われている。
となると、麻生首相は自己保身のために太田公明党代表が強行主張する早期解散に乗れない償いにもう一方の公明党の主張である「定額給付」の年度内支給を確約、それが「公平性」よりも「迅速性」の優先となって現れているといったところではないのか。
年度内支給の「迅速性」のみ麻生首相の頭にあるから、「全世帯支給」から「所得制限」、「所得制限」から「高額所得者の自発的辞退」へと揺れ動くこととなった。
こう見てくると、民主党の小沢一郎代表が「最初は全員にやるんだ。いや、やっぱりおれ(麻生首相)がもらうのは変だから所得制限はするんだとか、いろんなそのとき、そのときでお話されておりますけれども。ただ政権の延命にきゅうきゅうとしているという感じしか、われわれとしては受け取れません」(上記「FNN」記事)と述べたというが、実質的には麻生政権の「政権延命」に力を借りる目的の公明党対策であり、公明党の都議会選挙をも含めた総選挙対策に資する「定額給付」といったところではないだろうか。
いわば、「定額給付」は自民党の選挙対策よりも公明党の都議会選挙+総選挙の色合いが濃いものではないかということではないか。
「定額給付金」に関わるこのみっともない混乱・狼狽え(うろたえ)に幕を降ろすには「迅速性」の看板を外して、「公平性」のより確かな実現のみを目指すべきであろう。消費税一時停止といった方法は無理ということなら、累進減税+無納税者対策としたらなら、「公平性」が担保可能な上に地方自治体も税務署も事務処理にそれ程の負担がかからないように思える。
いずれにしても、麻生首相は「政局よりも景気対策だ」と選挙を先送りにしてきたが、「定額給付金」一つをとっても給付対象を絞りきれずにバラマキとなっている体たらくを見ていると、「景気対策」も似たような結果以外の期待は不可能と言わざるを得ないのではないか。