知性溢れる美しいばかりの軽量外務大臣麻生太郎はイラクの混乱を「ドンパチやって占領した後のオペレーションとして非常に幼稚なもので、なかなかうまくいかなかったから今ももめている」と鋭いばかりに分析して見せた。自民党は野党に対して、「反対してばかりいないで、反対なら、対案を出せ」といったことを常套句としている。その常套句をそっくり麻生太郎に返そう。「もめ」なくて済む対案を出せ。
軽量麻生は単に混乱状況に陥っている現在のイラクの表面のみを把え、表面どおりになぞる解説をしただけのことで、それ以上を出ていない。いわば言おうとするなら、誰だって言えることを外務大臣でありながら言ったに過ぎない。どうこうすればいいという考えがあって言ったことなら、安倍晋三共々拉致問題で、「圧力と対話」を繰返すバカの一つ覚えからとっくの昔に脱け出して、もう少しましな政策を展開できていただろう。
本来なら外務大臣でなければ言えないことを言うべきであるが、そこは安倍晋三共々日本の軽量中の軽量大臣である、背伸びしても、精々「ドンパチ」程度なのだろう。
ブッシュが軍事力で独裁者サダムを倒したのは間違っていない。アメリカの軍事攻撃以外に独裁者サダム・フセインを誰が倒し得ただろうか。あの軍事攻撃がなかったなら、今頃はサダムは自らの後継者を息子のウダイかクサイに決めて、サダム一族の王朝独裁支配が息子の代・孫の代まで強固な安泰状況で維持できるよう、自国軍を一層強化・整備すると共にますます国民を締め付けていたに違いない。
ウダイは自らが望むイラクの名誉とする勝利の結果を出さないスポーツ選手に対して暴行・虐待を加えるような暴力的人間である。ウダイが後継支配者となったなら、サダム・フセインの独裁的恣意性はそこにウダイ特有の暴力的恣意性が加味されて見事なまでの形で引継がれ、なお陰湿・堅固な暴力と恐怖による国民支配・国民統制(=自由の抑圧)に向かったことだろう。
イラク国民はサダム・フセインの独裁政治に30年間無力であったように、世襲された独裁恐怖政治に30年に倍する期間無力であったに違いない。
イラクのすべての事柄はイラク人自身の問題である。アメリカの問題である前に、あるいはブッシュの問題である前に、何よりもイラク人自身の問題であることにイラク人は愚かにも気づいていない。
アメリカがサダムを倒し、イラクの将来が別の形でイラク自身の問題へと移行後も、イラク人の多くは「アメリカ軍は占領軍、信じていない」と言い続けてアメリカ軍に対するテロを起こし、それがさして効果がないと分かると、外国民間人の拉致・誘拐に戦術を変えて身代金要求や軍の撤退を要求する愚かさを演じ、イラクの民主化どころか、却って混乱の泥沼に自ら引きずりこんでいった。
反米・反戦マスメディアにしても、サダム後のイラクがイラク人自身の新しい問題だと突き放すこことができず、そう考えることもできず、アメリカ軍に対するテロの続発に便乗してイラク人同様の愚かさで、「大義を誤魔化すな」とか「問われ続ける大義」とか大義のみに拘り、大義一点張りから一歩も踏み出さないバカの一つ覚えの教条主義を振りまわすことしか知らなかった。「自衛隊の派遣にも反対、人道目的でも占領軍だ」とするイラク人指導者の声の紹介を通して、間接的に一切の外国軍隊の存在性を否定した。自衛隊のどこが「占領軍」だと言うのだろう。
『朝日』の編集委員・定森大治なる人間は小賢しくも『イラクのインティファーダ』と題して、「これはもうれっきとした民衆蜂起である。イラクの治安を守るはずの米軍がパレスチナを占領するイスラエル軍と同じようになってきた」とさえ言い放っている。「民衆蜂起」はイラクなりの民主主義国家建設に向けて発揮されるべきエネルギーでなければならないことにイラク人共々気づかずに、破壊と消耗を生むだけの愚かなエネルギー発揮でしかない「民衆蜂起」の肩を持っている。そして今以てイラク人は「インティファーダ」をスンニ派はシーア派に向けて、シーア派はスンニ派に向けて性懲りもない熱意と愚かさでせっせ繰り広げている。
さらにはカタールのアラビア語衛星テレビのアルジャジーラが行った電話調査の「イラク人は占領に抵抗するために(民間人の)人質を拉致する権利を持つか」の質問に対して、「米軍は一方的に多数の無実のイラク人を殺している。拉致も一つの抵抗方法として止むを得ない」とした「イラク拉致『賛成』一時94%」との結果を反戦・反米マスメディアは自分たちの反対の意志を代弁させる形で紹介。「拉致・誘拐がアメリカ占領の終結に役に立つと思うか」という、その有効性を問う肝心な質問が抜けている電話調査であるにも関わらず、それを無視して調査に正当性を与えている。
もし電話調査の質問項目に「拉致・誘拐がアメリカ占領の終結に役に立つと思うか」という質問が加えられていたなら、イラク人はほんの数秒ぐらいは立ち止まって考えたのではないだろうか。
拉致・誘拐が役に立ったのはおたおたと周章狼狽して対応した日本人やフィリピン人、スペインに対してだけで、肝心のアメリカ人やイギリス人には役に立たなかった。だからだろう、拉致・誘拐は次第に姿を消し、最近は宗派対抗の自爆テロの応酬合戦と化している。それが国家建設の貴重なイラク人材の破壊につながることにも気づかない視野狭窄に陥った血眼なまでのテロの応酬である。自爆テロオリンピックなる祭典があるとしたら、イラクの自爆テロは予選なしでオリンピックに出場できる優秀な自爆テロを展開しているのではないだろうか。勿論表彰台にはイラク国旗が一番高い位置に掲げられることになるだろう。金メダル獲得である。
その自爆テロの応酬が激化し、手に負えない状況に陥ると、反戦・反米マスメディアは自らが認知し、正当性を与えたテロ行為でもあることを棚に挙げて、「アメリカ軍による力で抑えることの破綻は明白な事実で、イラク人によるイラク再建をもっと優先させるべきだ」といった論調を掲げ始めた。「イラク人によるイラク再建」なる言葉の論理矛盾に気づかないままにである。
「イラク人によるイラク再建」のプロセスを可能とするなら、サダムをイラク人自身が30年も待たずに打倒していたことだろう。「イラク人によるイラク再建」なるロジックはイラク人には存在しない。だからこそ、「イラク人によるイラク再建」をイラク人自身が妨害するという逆説と倒錯が起きているのである。
ブッシュの間違いを上げるとしたら、戦争の大義を大量破壊兵器に置かずにサダムという独裁者自身におくべきだったろう。大量破壊兵器の存在が否定された途中からではなく、最初から独裁者の排除によるイラク国民の抑圧からの解放と自由の獲得を目標とすべきだった。サダムが存在する限り、大量破壊兵器はついてまわるからだ。
それは北朝鮮の金正日が存在する限り、核問題が尾を引くのと同じである。核施設を廃棄したとしても、どこに秘密施設を隠しているか分からないし、また秘密裏に開発を再開始しないとも限らないからだ。
しかし大量破壊兵器のみを問題にしたのはブッシュだけの間違いではない。前国連総長アナンにしても、ブッシュの大量破壊兵器への拘りに同調・追従して、その存在の有無・発見にエネルギーを注いだ。
ブッシュはサダム政権を打倒してバクダッドを占領した時点で、「アメリカ軍はイラクが民主化されたなら、いつでも撤退する用意がある」と宣言すべきだったろう。「後はイラク人自身の問題だと」突き放すべきをそうすることができなかった。
この指摘が後付でないことを証明しなければならない。2006年9月6日の当ブログ記事『自民党総裁選・消費税論争の美しくない日本の風景』で既に一度引用しているメーリングリストの私自身のメール『「Re: [kokkai2] イラク戦争への反対は今から』(2003年5月18日 18:15)を再度用いることにする。一部分引用。
「私はアメリカのイラク攻撃を支持した人間の一人ですが、イラクのフセイン政権崩壊は既に既成事実となった出来事であり、その事実の上に事態を進展させる他はありません。フセイン政権崩壊後のイラクがどう転ぶかは、イク人自身の問題です。利権争い、主導権争い・宗派闘争・個人的名誉欲等に打ち勝って、平和で民主的な新生イスラム国家の基礎をつくれるか否かは自己決定案件であって、(アメリカの)最終的関与はアメリカの手から離れたところにあります。
世界のマスメディアが大量破壊兵器が未だ発見されないことを以って、イラク攻撃の大義の不在をあげつらうばかりなのをやめて、イラクの将来はイラク人自身の問題であることをすべてのイラク人に伝えなければ、私欲や雑念から離れた国づくりの自覚を促すことはできないと思います」――
アメリカは2003年3月20日にバクダッドに航空攻撃を開始した。マスメディアが「大義、大義」とバカの一つ覚えで言い募っている最中だったが、攻撃の2ヵ月後に私はイラク人の問題だとしていた。
ブッシュのさらなる過ちは武装反米派の急先鋒のサドルの攻撃を受け反撃しながら、徹底的に壊滅して逮捕するか戦死させるまで追いつめずに、停戦による妥協を図ったことだろう。その結果、サドルのシーア派武装集団は現在敵対宗派であるスンニ派に対する最大の攻撃集団と化している。
私は以前自作HPで「サドルは自己の私兵集団でしかない『マフディ軍団』を、反米闘争の役目を終えたとして、イラク国軍への編入を認めたとしても、自己権力の温存・強化のために彼らの意志をサドル自身への忠節で統一し、軍隊の中の軍隊としてその集団性を維持し、その力を背景に自らの発言力を高めようとするに違いない。そして間違いなく、軍隊の中の軍隊を背景としたサドルは自己の政治意志・権力意志を実現させるために独裁者の道を少なくとも探り、機会さえあったなら、それを実行に移そうと行動を開始する可能性は高い」と書いている。サドルに胡散臭さを嗅ぎ取っていたからだが、嗅ぎ取っていたとおりになっている。
現在アメリカが為すべきことは、遅すぎる感はあるが、イラク人がどれ程に劣る国民であるか、どれ程に程度の低い人間集団であるか、気づかせることだろう。少なくともイラク人が非難しているアメリカ人よりもはるかに劣る国民であることを。
イラク人は自らの力で独裁者サダム・フセインを倒す力はなかった。その一つをとっても、どれ程に無能・無力であったかを証明できるが、アメリカの軍事力によってだが、サダム・フセインを打倒・排除し、イラク民主化の折角のチャンスを与えられながら、それを有効に生かす能力もなく、アメリカ軍を占領軍と非難して攻撃まで仕掛け、それだけでは足りずに宗派同士が主導権争いの自爆テロの応酬までして、大量の死者を出す生産に関しては効率よく大いなる能力を愚かしくも発揮している。
イラクが非難の対象としているアメリカの民主主義にも様々な矛盾を抱えているが、アメリカ人は宗派が異なるからと、あるいは人種が異なるからと、武器を持って宗派の異なる者同士がお互いに、あるいは人種の異なる者同士がお互いに戦いあうことも、自爆テロを仕掛けて大量に殺し合うこともしていない。ところがイラク人は同じイラク人同士でありながら、宗派が異なるという理由だけで、自爆テロを仕掛け合って国家建設の大切な人材を殺し合い、抹殺し合う、アメリカ人よりもはるかに劣る愚かしい残虐行為に明け暮れている。どこにアメリカを非難する資格があると言うのか。どのような民主主義も打ち立てることができないでいるのではないか。再度のサダムの登場がなければ、いわば自由と引き換えの国民統制を手段としなければ、秩序を回復できないと言うのか。サダムがいなければ、宗派を超えた国民規模の秩序を打ち立て得ないというのか。サダムを自らの力で倒せなかったように、自らの力で秩序を打ち立て、民主主義を獲得できない。屈服と宗派闘争の両極端の場面しか表現できないとは、何という非生産的で愚かな国民であることか。それ以外の場面にはイラクではイスラムのお教えは何ら役立たない無力の・蒙昧の宗教となっている。まったく以て愚かしい話である。何という愚かしい国民であることか。何という愚かしい宗教であることか。
アメリカの多くの有力な政治家が声を揃えて警告を発するべき。いや世界の著名な政治家が一大合唱して、その愚かさを知らしめるべきだろう。おまえたちはバカだと。いつまでもバカを続けるつもりかと。
それでも宗派間の武力闘争・自爆テロの応酬が収まらなければ、アメリカ軍を初めとしてすべての外国軍がイラクから撤退し、「イラク人によるイラク再建」は徹底的な宗派間の武力闘争・自爆テロの応酬による決着に任せるべきだろう。内戦の帰趨に任せると言うことである。
サダムの独裁政治とその抑圧から何一つ学ぶことができなかった愚かで程度の低いイラク人たち。