談合と権威主義の関係

2007-01-28 10:16:34 | Weblog

 「脱談合宣言」したあとの大手ゼネコンの名古屋市発注地下鉄工事談合。二つの工区に2社が相互に入札参加して、談合しているという情報が寄せられたら、していないと見せかけるためにそれぞれの工区を差し替える用意周到な事前調整。重複入札工区はほぼ同じ工事額で、どちらが請け負っても損しない仕組みになっていたというから、談合へのしぶといまでの執着・執念は見事という他ない。

 「事前に談合情報があり、当時のゼネコン関係者が『市側の意向で、情報後に落札予定のJVを変更した』と証言」(『談合情報、逃げ道用意 重複入札、工区差し替え 地下鉄JV』/『朝日』朝刊07.01.26)が事実としたら、名古屋市も加わっていた官製談合ということになる。

 これらの醜態が証明していることは、「脱談合宣言」は、旧道路公団の官製談合であった橋梁建設談合で摘発を受けて浴びることとなった世論の厳しい批判をいっときかわすためのポーズに過ぎなかったということの証明であろう。

 旧道路公団橋梁工事談合・水道談合・汚泥施設談合・都の河川敷工事談合・成田空港談合・ゴミ処理施設談合・防衛施設庁空調設備談合・防衛施設庁岩国滑走路談合・林道事業談合・和歌山、福島、宮崎の各県発注の公共工事談合etc. etc――ちょっと調べただけでこれだけ挙げることができる。枚挙に暇なしとはこういったことを言うのだろう。

 このような事実と上記指摘した「脱談合宣言」の舌の根も乾かないうちの名古屋地下鉄談合の巧妙化の事実から判断できることは、日本の殆どすべての公共工事が談合によって行われてきた談合日本ではなかったかという疑いである。

 日本人は和を尊ぶとか、和を重んじるとか言う。和の社会だと。日本人は古くから人間同士の和を尊ぶ集団であるとか。談合は果して日本人が古くから尊ぶ「和」の精神から生じているのだろうか。そうだとしたら、法律で禁じるのは日本人の精神性を逆撫でする反道徳的・反倫理的行為となる。

 1937(昭和12)年3月刊行の『国体の本義』の「四、和とまこと」には、「和」について次のように書いてある。

 我が肇国(ちょうこく/初めて国を建てること・建国)の事実及び歴史の発展の跡を辿る時、常にそこに見出されるものは和の精神である。和は、我が肇国の鴻業(こうぎょう/大きな事業)より出で、歴史生成の力であると共に、日常離るべからざる人倫の道である。和の精神は、万物融合の上に成り立つ。人々が飽くまで自己を主とし、私を主張する場合には、矛盾対立のみあつて和は生じない。個人主義に於ては、この矛盾対立を調整緩和するための協同・妥協・犠牲等はあり得ても、結局真の和は存しない。」云々と、「和」を天皇の祖先たちが建国の偉業の過程でつくり出した最高の精神価値であり、それが日本の「歴史生成の力」となったのは「和」を「人倫の道」としていたからで、「万物融合」を源としていると絶対価値化し、西洋の「個人主義」を否定している。

 さらに次のようにも解説している。

 「我が国の和は、理性から出発し、互に独立した平等な個人の械械的な協調ではなく、全体の中に分を以て存在し、この分に応ずる行(おこない)を通じてよく一体を保つところの大和である。従つてそこには相互のものの間に敬愛随順・愛撫掬育(きくいく/養いそだてる事が行ぜられる。これは単なる機械的・同質的なものの妥協・調和ではなく、各々その特性をもち、互に相違しながら、而もその特性即ち分を通じてよく本質を現じ、以て一如の世界に和するのである。即ち我が国の和は、各自その特質を発揮し、葛藤と切磋琢磨とを通じてよく一に帰するところの大和である。特性あり、葛藤あるによつて、この和は益々偉大となり、その内容は豊富となる。又これによつて個性は弥々伸長せられ、特質は美しきを致し、而も同時に全体の発展隆昌を齎すのである。実に我が国の和は、無為姑息の和ではなく、溌剌としてものの発展に即して現れる具体的な大和である。」――

 「大和」は「だいわ」と読ませるのだろうか。倭に大和という字を当てて、日本を意味させたことから「大和/だいわ」を持ってきたのだろうか?

 「実に我が国の和は、無為姑息の和ではなく、溌剌としてものの発展に即して現れる具体的な大和である。」

 何と素晴しい理想世界だろう。安倍首相の「美しい国」とはこのような「大和」(大きな「和」を言うのではないだろうか。「特質は美しきを致し、而も同時に全体の発展隆昌を齎すのである」と『国体の本義』が言っていることと合致するのではないか。

 談合を『国体の本義』の「和とまこと」の項に書いてある「人倫の道」、「万物融合」、「理性」「分」、「敬愛随順・愛撫掬育」といった徳目から解くとすると、談合とは「人倫の道」に則った「万物融合」を成す行為であり、「理性」や「分」から発して、すべてが「敬愛随順・愛撫掬育」の精神を動機とした営みであって、これら一つ一つの誘因はすべて「和」の精神に集約できるとすることができる。そのようにして成り立っている社会が「大和」社会だと。

 かつてゼネンコン幹部が「談合は江戸時代以来の日本の美風だ」と言い放ったが、談合は今始まったことではなく、日本の歴史・伝統・文化として延々と引き継がれてきたものだということを図らずも宣言したことにもなる。事実その通りだろう。

 だが、現在の社会は「談合」を〝悪〟と位置づけて法律で禁止している。と言うことは、少なくとも談合が持つ「和」は現在は否定的価値とされていることを証明している。

 そもそも日本の社会は「和」を精神的原理として人間関係を成り立たせ、各種活動を成り立たせているのだろうか。

 日本人は民族的本質性として権威主義を精神性とし、行動様式としている。権威主義とは、機会あるごとに言っていることだが、上が下を従わせ、下が上に従う精神性・行動様式を言う。だからこそ、天皇制が成り立っていたのである。天皇を父と見立て、日本国民を天皇によって保護される存在と見なす赤子(せきし)に位置づける上下の権威を成り立たせることができた。そしてすべての赤子が押しなべて平等ということでは決してなかった。戦前に於いては華族が存在し、役人は一般国民よりも上に位置づけられたいたし(=官尊民卑/「政府や官吏を尊び、民間の人や物をそれに従うものとした」『大辞林』三省堂)、男と女では未分格差(=男尊女卑の差別)が存在していた。男女差別の美風は現在でも残っている。

 このような身分的な人間関係・存在様式は是非・合理を無視することによって可能となる階級であり、差別であろう。現在でも多くの夫婦間で夫が妻にすぐ手を上げて殴るといったことが日常的光景となっているとテレビで言っていたが、これも男尊女卑を基本とし、是非・合理を無視することによって可能となる僭越行為であろう。

 江戸時代に於いては士農工商の身分差別が存在した。農工商の比較下位権威者が最高権威者の武士に無礼を働けば、裁判なしのリンチを受けるような、是非・合理を無視した切り捨て御免の厳しい罰を無条件に覚悟しなければならなかった。

 いわば日本人が本質的に民族性としている権威主義性と「和」とは相容れない対立する立場に位置する価値観となっている。逆説するなら、日本人の権威主義性と「和」の存在様式とは決して「和」す関係にはない。大体が『国体の本義』が言うところの「全体の中に分を以て存在し」とは、実際には「分」(=上下の位置・地位)を弁えることを言い、これは権威主義の行動力学に相当する存在性であって、「和」の有り様とは矛盾する姿であろう。

 「分」を『大辞林』で見てみると、「②人が置かれた立場や身分。また、人が備えている能力の程度。分際」となっていて、身分を基本に置いた言葉であることが分かる。「武士の身分」を言う「士分」という単語があるが、「分」とは「身分」の「分」を示してもいる。

 是非・合理を無視することによって可能となる権威主義の上は下を従わせ、下は上に従う行動原理から「和」を解説するなら、権威主義が是非・合理を無視することによって可能となるというまさにその理由によって、同調・従属の「和」、事大主義(自己保存のため勢力の強い者に従う姿勢)の「和」と言える。そのような「和」は悪くすると、馴れ合いの「和」に簡単に豹変する。談合の和は官製談合であれ、民民談合であれ、馴れ合いの「和」が作り出しているものであろう。

 官が取り仕切って、公共事業の場で民と「和」して談合を行う。あるいは民と民が前以て示し合わせて談合を行う。このようなことを言い換えるなら、談合は日本人が民族性としている権威主義性の原理に則った馴れ合いの「和」が可能としているヤラセ行為だと言える。

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