子ども投げ落とし報道・切り口の違い・その2

2007-01-23 09:08:51 | Weblog

以下、『子ども投げ落とし報道・切り口の違い・その1』の続きです。 
* * * * * * * *
 みの、吉岡容疑者が過去起こした事件を列記したボードを手で叩き、「男の子、頭と足骨折して、重傷ですよ。今、集中治療室ですって。ねえ、お父さんが手を握るとね、握り返してくる。どこに怒りをぶつけていいのか分からない。こいつのためですよ。こいつのためですよ(とボードに張った吉岡容疑者の写真を手で叩く)。どこに?こいつにぶつけるしかないじゃないですか。でもできないよ。世の中ですから。社会ですから。どこにぶつけたらいいんですか、みなさん?」

(「こいつ」と名指しする。怒りのみのもんたの真骨頂を最も凝縮した形で発揮すべく口にした一言だろう。怒りを持って激しく糾弾するの図だが、そのことがそのままみのもんたを正義の立場に置く。見事なまでの正義の人と化す。)

 父親「昨日まで元気だった息子にまさかあんななってるとはね――」

 男性解説者(衝撃的事件であることを演出したいためだろう、声をことさららしく抑えた、昔の活弁に近いゆっくりとした語り口調で)「集中治療室に横たわる3歳の我が子との対面。父は必死に呼びかけました」

 父親「璃音、璃音って何度も何度も泣きながら声をかけましたね。手を握ったときにですね、まあ、軽くでしたけど、握り返してくれた形なんですけどもね――」

 男性解説者「父の呼びかけに僅かに答えてくれたという息子璃音君。しかし父の思いは――」

 父親「何で息子なんだろうって。今もうほんま、それしかないですよね」

 男性解説者「なぜ自分の息子が歩道橋から投げ落とされたのか。父はこの男に問いたいと言います。吉岡一郎容疑者は41歳。実はこの男、過去にも6度事件を起こしていた要注意人物。いずれも幼い子供ばかりを狙った事件でした。そしてまたしても起きてしまった子どもへの犯行。『職場がいやだった。悪いことをすれば、戻れなくなると思った』」

 (以上見ただけでも、個人性のみに集中した取扱いとなっている。)
 ――CM――
カメラは近鉄八尾駅を写し、事件が起きた歩道橋へと移動していく。

 男性解説者(相変わらず抑えた声で)「人で賑わう近鉄八尾駅の歩道橋。この場所で事件は置きました。西田璃音ちゃんはおばあちゃんと二人で買い物に出かけていました。その帰り、歩道橋に差し掛かったとき――」

 蓮見孝之リポーター「目撃者の話によりますと、吉岡一郎容疑者は不意に近くにいた子どもを両手で抱え、そしてこの歩道橋の階段を駆け上がります(と自分も同じように階段を駆け上がっていく)。そして高さ1メートル20センチぐらいあるでしょうか、この手すりの上から歩道橋の下に落とすようにして落としたと言うことです」

 目撃者のおばさん、自分の口の周囲を指で触れながら、「もうこの辺が血ーだらけで、目ーここ(と目を指差し)、まぶた?青白いと言うか、黒っぽい感じになっていたから――」
 若い男性目撃者「子供さんとおばあちゃんが凄いかわいそうでしたね。特にもうおばあちゃんが泣きじゃくっておって、子どもも泣いておったんですけどね。お孫さんねえ、目の前でそうやって放り投げられて――」

 男性解説者「事故当時、交通の多い時間帯にも関わらず、奇跡的に車との接触はありませんでした。璃音ちゃんは血まみれの顔で泣き声を上げ続けていました。そして現場近くの階段には璃音ちゃんを投げ落とした男が座っていました」
 別の目撃者。声のみ。「何か男の人が追いかけて、それでまあ、口論になったやね。一回殴られたらしいけど」

 質問者の声のみ。「男にい?」
 目撃者「うん。そんでもう、見たときにはおまわりさんと一緒に連れられておった、手錠はめられて」

 男性解説者「むしゃくしゃしていて子どもを投げ落とした現場へ駆けつけた警察官によって殺人未遂で現行犯逮捕されたのは吉岡一郎容疑者41歳。そして逮捕から一夜明けた昨日、吉岡容疑者が過去にも事件を起こしていたことが明らかになりました。吉岡容疑者が通う障害者の施設の理事長が会見を開き、事件当時の吉岡容疑者の様子を語りました」

 理事長「繁華街に連れていって、それであの、子どもを眺めたり、見たりするのが多いので、
頻度としたら、半年に1回ぐらいだと思います。目的はあのー、いつも子どもを見たがったと――」
 男性解説者「吉岡容疑者が逮捕されるのは今回の事件で7回目。最初は1987年大阪市内で幼児を誘拐。1998年にも大阪豊中のショッピングセンターで2歳の女の子を連れまわし、その後、吉岡容疑者のアパートで女の子は無事保護。未成年者略取誘拐の現行犯で逮捕されました。施設に入所したあとも、2000年にも2歳の男の子を連れ去る事件を起こして懲役1年の実刑判決を受けました」

 施設理事長「親がどれだけ悲しむかということについては、こちらの話の中では『わかりました』と。『ほんま、申し訳ない』という形では答えています」
男性解説者「服役後、施設はさまざまな対策を取っていたと言います。例えば、外出時は誰か付き添う。必要以上のカネを持たせないというものでした。しかしその対策の甲斐もなく、今回7回目の事件が起きてしまったのです。『職場がいやだった。悪いことをすれば戻れなくなると思った。璃音ちゃんに悪いことをした』」

 理事長「まったくあのー、想定外だったなので、考えてもいなかっと、正直なところです」

 父親「そんな状況で許せるような問題じゃないですからね、だからもう、とにかくもう、どこに怒りをぶつけていいのか分からないですしね」

 みの「みんなはどうしたらいいと思いますか。他人事じゃなくて、自分の事と思って考えてください。過去に6回事件を起こしている。いいですか(と、6回の事件と判決を列記してボードに貼り付けたフリップを手で叩き、怒りを込めた強い口調で)、有罪、不起訴、不起訴、有罪、実刑、実刑ときています。今回7件目です。今回何をやったと思いますか?(歩道橋の絵)吉岡容疑者、歩道橋の近くでお菓子を売っていた。璃音ちゃんが来た。えっ?突然ばっと来て、璃音ちゃんを両手で抱えて歩道橋に向かって走る。いきなり高さ6メートル投げ落とす。車が通っている道路ですよ。そして階段に座り込む。璃音ちゃん今集中治療室です。もう一回いいですか。過去(再びフリップに手を当て)、過去、これだけ事件を起こしている。有罪、不起訴、不起訴、有罪、実刑、実刑。そして今回はお菓子売ってた璃音ちゃんが来た。抱える。投げ落とす。いいですか。7回目です、これ。(怒りの声を急に落とし、普段の穏やかな声で)今回は大沢弁護士さんにおいでいただきました。(大沢弁護士に近づき)おはようございます」

 (相変わらず個人性と刑の面からのみ、事件を論じている。刑の非有効性が再犯につながっているとしているから、二度も「有罪、不起訴、不起訴、有罪、実刑、実刑」と繰返すことになり、結果として吉岡容疑者を必要以上に犯罪的人間であるとする演出となってしまっている。)

 大沢孝征弁護士(検事出身だと言う)「おはようございます」

 みの「最初この番組では実名とか、顔写真とか、まあやめようと。まあ、俗に言う障害と言うんですか、持ってるということです。しかし今回は名前も実名も写真も出させていただきましたけど。最初から出すべきだと思っていました」

 (それほどまでに許せない罪を犯した「要注意人物」だとしていることの現れであろう。少なくとも凶暴性を秘めている人間と見ている。)

 大沢弁護士「そうですね」

 みの「今の状況では我々はどういうふうに把えていいんですか?先ずそれをお伺いしたいんです」

 大沢弁護士「まあ確かにね、みのさんがおっしゃるように7回目ですよね。このことだけど、このパターンを見て欲しいんですよ。人間のやることって、そうそうあるパターンから外れないっていうことが、ある程度我々の世界では常識なんです。連れまわしなんです、殆ど。それ以上凶暴なことをしていなっていうのが、彼の今までの経過だったんですよ。もう40歳を越えていて、それまでと違う犯罪パターンを行うってことはあんまりないんですよ。だから、通常の場合であれば、子どもに興味を持つ、連れまわしちゃうかも知れいなっていうことで、ずっと福祉施設の方ではついてまわっていたわけででしょ?ところが、まさかこんなふうな、要するに子どもをさらって、子どもを投げ落とすような凶悪な行動に出るっていうのは予測が不可能だったと。だから、そうそうこの福祉側を、施設側を責められない状況にある。ただ、我々が知っとかなきゃいけないのは、そういう傾向のある人間の場合に突然こういうことを仕出かす可能性があるんだってことも、この事件の教訓として知っておかなくちゃいけない。ええ、まあ、それから、こういう難しい、ちょっと知的障害のある人を更生させるっていうことは非常に苦労が伴う善意がないとできないってとこがあるんですね。ただ、まあ、こういう分野は国の施策の最も弱い点、あの刑務所から出た人たちをどうするかについてカネも使わなければ人も使わないというのが国のやり方なんです、今は。で、殆どが民間の保護司さんもそうですし、こういう更生施設の人たちもそうですが、そういう人たちの善意に頼り切っているのが実情なんですよ。本当にそれで社会を守り、まったく、その、エー、自分の問題のない子供さんたちが安全に行くってことを考えたらですね、こういう人のためにある程度科学的な、あるいはその、人もおカネもかけた施策っていうものをもう少しやってもらわないといけないんじゃないかと。えー、民間の善意にばかりに頼りきっている今の国のあり方自体に大きな問題があると、僕は思います」

 (みのもんたとしたら自分が煽る方向に乗って貰いたかっただろうが、意に反してそうはならなかった。再犯と刑の関連付けを一切行わなかっただけではなく、問題点が個人の犯罪性よりも社会にあることを示した。)

 みの「そう、見た目じゃ分からないんですよね」

(表面的に把えるだけの「見た目」で判断していたくせに、巧妙に誤魔化している。一種の偽装で、みのもんたの正義の人もこの程度のものでしかなく、このことだけでも『あるある大事典Ⅱ』を批判できないだろう。)

 大沢弁護士「そうです」

 みの「だから、じゃあ、我々はお父さんも言ってるんだけど、璃音ちゃんのどこに怒りをぶちまけたらいいんだ?今の日本の社会はこうだから、しょうがねえよ。とじゃあ、また起こる可能性もあるわけですよ。他で」

 (諦めの悪い男だ。みのの吉岡容疑者個人の問題と把えようとする意志の働きに対して、大沢弁護士はやはり社会の問題と把える意志を示す。)

 大沢弁護士「ということですよ。で、あの、今まで問題にされたのはよく小さな子どもに対して性的暴行のような連中が繰返し行っているってことが問題になりましたよね。それは警察の方で出所したら把握できるよう体制を取ろうじゃないかと、注意しようじゃないかってとこが、まあできるようになったわけですど、それも最近始まったばかりですからね。それは国の問題として、こういう一般の無垢の人たちをどう守るかっていうことを、しかも一遍、一旦行っちゃった人たちからどう守るかっていうことをもっと真面目に考えて、カネも時間もかけて欲しいというふうに僕は思っています」

 TBS杉尾秀哉「累犯障害者っていうのは非常に多いじゃないですか?そういう人たちを例えば矯正とか保護の仕方ですよね、それが非常に立ち遅れていることがあります」

 (「立ち遅れている」のは「最近始まったばかり」からきていることは断るまでもないことで、大沢弁護士の訴えの言葉を変えた単なる繰返しに過ぎない。)

 大沢弁護士「それはあります。それが矯正の中に入っているときから、矯正と言いながら、それがですね、管理しかしていない。本当の意味で中身を直そうっていうのがようやく最近プログラムが始まったばかりです。ですから、刑務所の中の処遇の仕方も、それから外に出てからの、あの対応の仕方も、もう少し総合的に考えてもらわないと困るっていう――」

 (「矯正」が「管理」という〝強制〟としかならなかったこれまでの日本人の創造性もツケとして回りまわっている面もあるだろう。「性犯罪再犯予防プログラム」とか「性犯罪者処遇プログラム」といった、いわゆる更生プログラムにしても、日本生まれではなく、欧米の制度からの導入だから、日本という管理社会・権威主義社会に機能させるだけの柔軟性を示せるかどうかが問題となる。管理の側面を残していたなら、管理から離れたとき、プログラムはその有効性を失うことになる危険性を抱えることになりかねない。)

 吉川美代子「そういういう専門家自体もいませんものね、本当に。少ないですよね」

 (やはり「始まったばかり」なのだから、「専門家」が少ないのは当然の状況で、杉尾秀哉と同じく後追いのなぞり解説に過ぎない。何か言わなければ解説委員として恰好がつかないと思ったとしても、お粗末過ぎる。もし纏めるとするなら、「今後そういったプログラムを一般社会の中で如何に有効に機能させるかどうかが問題となりますね」であろう。杉尾秀哉や吉川美代子の刺身のツマ程度のことしか言えない発言を聞くたびに、もう少し頭の訓練をした方がいいのではないかという思いにさせられるが、当方の思い上がりだろうか。)
 
 吉川美代子の発言を受けた大沢弁護士の「少ないですね」の発言のあと、別のテーマに移る。

 (大沢弁護士の登場がなかったなら、みのもんた以下の吉岡容疑者という個人を責めるだけの議論が番組を支配し、おぞましいだけの奇妙な内容となったのではないだろうか。それとも怒りのみのもんたの独壇場で終わるだけのことだったろうか。少なくとも大沢弁護士がみのの怒りを尻切れトンボにさせたことは間違いない。)

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子ども投げ落とし報道・切り口の違い・その1

2007-01-23 09:02:10 | Weblog

 大阪府八尾市で07年1月17日に3歳の男児が歩道橋から投げ落された。一命は取り留めたが、重傷だと言う。加害者は知的障害者で、過去6回、子供を連れまわすなどの事件を起こしていて、今回7度目だと言う。マスコミにとってはその犯人像、累犯度、加害対象が児童ということで、大々的に報道するには条件が揃った絶好のネタだから、執拗に食いつく展開を見せたのだろう。

 マスコミ自身は見過ごすことのできない衝撃的な重大事件だ、世に知らしめなければならないと一生懸命報道しているつもりだろうが、如何に衝撃的であるかを証明しようとして微に入り細に亘り、あるいは手を変え品を変えて掘り返す余り、結果として自分たちで事件を実像以上に大きくしたり、あるいは実像とは違った形に見せてしまうといったことが起きる。

 チャンネルを回してくれる視聴者を一人でも多く獲得しなければならない企業力学に縛られているからでもあるだろうが、いくらマスコミがセンセーショナルに糾弾しても、自らが所有している能力は糾弾のみで、そこから先が大事である糾弾が犯罪の防止につながっているわけではない。つながっていないからこそ、犯罪がなくならない状態が続いているのだが、それは社会自体が犯罪をなくす力がないからでもある。問題は糾弾だけという限界を弁えて報道の仕事をしているかどうかだろう。限界を弁えることによって、謙虚さを失わずにいられるのではないだろうか。

 マスコミが社会同様に犯罪をなくす力がない限界を弁えずに、さも自分たちがオールマイティの正義の人ぶって犯罪を糾弾する。しかし犯罪が次々と起きる状況にあっては本質的には糾弾を役目としているだけのことで、悪く言うとその場限りに大騒ぎするだけで終わらせているとも言える。大騒ぎが事件を実像以上に膨らませたり違った形に見せてしまう原因にもなっている。

 マスコミが報道を手段として大なり小なり事件の実像を変える危険な側面を抱えているとすると、それは一種の虚偽行為であって、事件を大袈裟に報道することで日々虚偽行為を繰返しているとしたなら、フジテレビの07年1月7日放送の『発掘!あるある大事典Ⅱ』が「納豆ダイエット」を取り上げ、架空データーを駆使してさも効果があるかのように報道した虚偽行為に対してどのマスコミも自分たちを正義の立場に置き真正面向から糾弾する資格はないのではないだろうか。それに大抵のテレビ局・新聞社がデーターの捏造やヤラセを行ってもいるだろう。

 パソコンを叩きながらだが、早朝の無料地上波『日テレ24』(07.1.19)と明け方からのTBSの『みのもんたの朝ズバッ』とで歩道橋からの幼児投げ込み事件の切り口・把え方の違いに気づいた。何かの参考になると思い、途中からの録画を文字に起こし、解説を少々付け加えてみた。
 * * * * * * * *
 『日テレ24時間テレビ』
 
 施設理事長「吉岡君がクッキー売り場から抜け出し、その子に近づいていったので――」

 女性解説者「施設側は会見で吉岡容疑者が以前から子供に強い関心を持っていたことを明らかにした」
 
 理事長「まあ子どもが非常に好きやと、その結果トラブルが起こったりすることがあると。繁華街に出て行って、それで、あの子どもを、あの割と眺めたり、あの見たりするのが多いようで、できるだけあの、繁華街に一人でやらないとか、そういう形で対応していました――」

 女性解説者「過去にも6回幼児を連れまわすなどして逮捕されていた吉岡容疑者――」

 新聞の『2歳女児誘拐 保護 大阪のアパート 一緒の男を逮捕』の見出しが映し出される。

 (言葉の説明だけで、わざわざ古い新聞記事など持ち出す必要はないと思うのだが。テレビ局はリアリティーを出すためと言うだろう。)

 女性解説者「職員も普段から注意はしていたが、今回の行動は予想外だったという」

 理事長「かわいがることはあっても、その状態からそういう形に結びつくようなことについてはちょっと、こう、まったく想定外なので、管理不足もありまして、被害者の方にも大変迷惑をかけてしまって、本当に申し訳なく思っております」

 女性解説者「6回逮捕されながら、なぜ繰返し犯行を重ねるのか。障害者の犯罪を研究し、国へ福祉政策の提言を行っている山本譲司氏は一つの可能性に言及する。山本氏は国会議員だった7年前、秘書給与の流用事件で逮捕、当時服役していた刑務所で知的障害を持つ受刑者に接し、驚くべき現実を知ったという」

 山本著『累犯障害者』の本が映し出される。帯に「罪を犯さなければ生きられない マスコミが絶対に報じない驚愕の事実」のキャッチコピー。

 山本氏「刑務所を出所して社会に出ても行き場がないと。もう一回戻りたいと、刑務所に――」

 女性解説者「山本氏が接した中には刑務所に戻りたいという思いから再犯に走るケースがあったというのだ」

 山本氏「これをやれば刑務所の中に戻れる。放火をしたある障害者が言うのですよ。刑務所には入るんだったら、放火なんて大変重い罪だよ。死者も出るかもしれない。じゃなくて無銭飲食ぐらいにしたらと言うと、そんな悪いことはできないって言うわけですね。うん、だから、何ていうか、罪の重いか軽いもなかなか分かっていないところもあるなあーと」

 (「マスコミが絶対に報じない驚愕の事実」を記述した人間の割には平凡な証言となっている。放火が出火原因の名誉ある1位を常に占めているということだが、知的障害がなくても、死者が出る危険性を考えることもできずに放火する人間はゴマンといるという「驚愕の事実」の方が問題ではないだろうか。消防士の放火もこの世には存在する。知能がまともでありながら、数多く存在する愉快犯と比べたら、山本氏の言う「驚愕」が驚愕でなくなるのではないか。「社会に出ても行き場がない」という現実や「もう一回戻りたい」と仕向ける社会の方こそ問題となると思うのだが。「放火」は従に位置するその手段でしかない。)

 女性解説者「刑務所に戻るために罪が繰返される悪循環。吉岡容疑者も動機について『仕事がいやだった。悪いことをすれば警察に捕まり、仕事に戻らなくてもいいと思った』と話しているという。一方別の専門家は知的障害者の再犯を防ぐのは簡単ではないと話す」

 (シャバ(=社会)と刑務所があり、このシャバよりも刑務所の方が生きやすいと考える。それは社会がそう仕向けているからに他ならない。本人の心がけが社会にそう仕向けさているすべての原因だというわけではあるまい。社会自体がその一員に危害を加える場合が多々あるからだ。自殺者にしてもシャバとあの世があり、シャバよりもあの世の方が生きやすいと考える。)

 知的発達障害者刑事弁護センター・副島洋明弁護士「今の現状から見ると、多いと思います。通常の人のような知能指数になっていくっていうことはあり得ません。現行社会の中でやっぱり苦しいから、痛いから、色んな犯罪にある意味で巻き込まれたり、止むを得なくやってしまったりという場面で、再犯を、犯罪をやると。しかし(周囲の理解があれば/テレビ局の注釈)社会との共生・適応っていうものはできるようになっていく――」

 女性解説者「また最大の問題は世の中の理解不足だとも話す」

 副島弁護士「断ち切られて、福祉と一切つながらない仕組みになっていると、社会の底辺の中で追いつめられていく。また犯罪にもつながっていく」

 女性解説者「周囲は彼らをどうケアすべきなのか。知的障害を持つ人たちが通う都内の施設を訪れた」

 『昭島生活実習所』のカンバンが取り付けられた建物。「認知度ごとに自分のあった作業を行う」と言うキャプション。

 オバサン施設職員が作業中の知的障害者の後頭部を撫で、「早いねー」と褒める。

 女性解説者「作業する利用者たちに常に付き添う職員」
 自分の力で靴を履かせようとしたのだろう、格闘しながら靴を履こうとしている知的障害者に「頑張れ」の掛け声をかけるオバサン職員。

 女性解説者「彼らをケアする上で大切なのはいつも目を話さず、パニックにさせないことだと言う」

 昭島生活実習所・笠間秀行施設長「パニックになったときはそうそうコントロール自分でできなくなっていくんじゃないですか。そのときやっぱり怪我をしたりとか、好きで本人がパニックなってるんじゃないので、そんなとき『ダメですよ』とかね、言っても意味がないので、辛いのはやっぱり本人ですからね」

 女性解説者「接見した弁護士に対し施設で責任にある立場に置かれたことでストレスが溜まったと話しているという吉岡容疑者。同じような犯罪を防ぐためには今何をすべきなのだろうか」

 (『日テレ24』は明らかに知的障害犯罪者個人よりも、彼らを取り巻く〝社会〟を重点に扱っている。)
* * * * * * * *
 早朝の『日テレ24』が終わって、同じ07年1月19日の5時半頃からのTBS『みのもんたの朝ズバッ』

 女性解説者「1998年大阪豊中市で2歳の女の子を連れまわすなど、これまでに誘拐などで6回逮捕されています」
 吉岡容疑者が通う障害者施設の記者会見「繁華街に出て行って、それで、あの、子どもを眺めたり、見たりすることが多いので、今回のような、何て言うか暴力的と言うか、卑劣と言うか、こういう行動に出るようについてはまったく想定外だったので――」

 女性解説者「吉岡容疑者が通っていた障害者施設には1000円以上の現金を持たせないなどの対策を取り、事件当時も施設の職員が付き添っていました」
 被害者のまだ若い父親「何とかね、これを最後にね、まあ、警察を含め、何とかそういう対策を考えて欲しいと思います」
 女性解説者「吉岡容疑者は璃音ちゃんに悪いことをしたとも供述しており、警察が事件の背景を詳しく調べています」

 いよいよ怒りのみのもんたの登場。「や、しかし、どこに怒りをぶっつけていいのかって、お父さんが言ったって言うけど、本当にそうですねえ。どうしたらいいんでしょう、これは。結局新しい判決出ないんじゃないんですか?」

 (「新しい判決」とは、一般健常者に対するような厳しい判決のことだろう。そのような判決で再犯の抑止にしようと望んでいることを示している。)

 以前長年TBSの報道番組アナウンサーをしていて、現在解説委員だかを務めている吉川美代子「また実刑判決が出ても、また同じようなあれですよねえ・・・・」

 (みのもんたにしても吉川美代子にしても、再犯の可能性を個人性からのみ把えているから、刑の軽重に話が向かってしまうのだろう。この意識性を突き詰めていけば、再犯を絶対的に防ぐには一般社会と遮断した施設に一生閉じ込めておく〝刑〟(=まったく「新しい判決」)を与える以外にないということになる。一般社会に生きていても、ある意味遮断された生活を余儀なくされているなどといった考えを働かせる想像性など持ち合わせてもいないに違いない。『日テレ24』と違って、明らかに〝社会〟よりも犯罪者個人に重点を置いている。)

 荒俣宏「この形では無理って言うことですね」

 (刑を厳しくする「形では無理って言うことですね」といことなら、何が有効か話さなければ、前2者と同じことを言っているに過ぎなくなる。荒俣宏はこれ以外に発言していない。いくらギャラ貰っているのだろうかと余計な心配をしてしまった。)

 現在TBS報道局取材センター社会部長だとかいう杉尾秀哉「そこまで職員が付き添っていたわけですから、そのときも職員の人がいたんだけれども、ちょっと目を離した間にっていうことなんで、非常に難しいですねえ、ええ」

 (あった事実を書き入れた原稿を読むだけの解説者なら許される、単なる表面をなぞっただけの解説に過ぎない。「職場がいやだった。悪いことをすれば、戻れなくなると思った」という本質部分の動機を既に知っていたはずである。それが仕向けた事件であって、いくらでもある「ちょっと目を離した間」が仕向けた事件ではないし、問題とすべき事柄でもないだろう。)

 みの「でも、人権を考えると、今の方法ではそれ以上の方法はない」
 杉尾秀哉「でも、ただ今回の事件は相当重いと思いますけど」
 みの「でも、いずれ出てくるわけですよ」
 杉尾秀哉「まあ、まあ、そうですね。まあ、何らかの形ですけどね」

 (杉尾にしてもみのもんた同様に刑だけの面から論じている。重くすべきだとの意志を働かせて、再犯を刑のみで関連付けている。)
 
 ここで一旦この話題は打ち切りとなり、時間を変えて、再度同じ話題となる。新たに大沢弁護士の登場を待っていたのだろう。

 (以下は字数の関係で『子ども投げ落とし報道・切り口の違い・その2』として別記事にします。) 

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