「何時ごろに行くの?」
北松戸にいる夫から、そう問われ、
「なるべく早く。起きたらすぐ。朝の涼しいうちに終わらせたいし・・・」
「ありがとう。なら、早く寝な。」
利根町のお墓参りに行く話だが、私の夜更かしを知っている夫はくぎを刺す?様にそう言い、私も笑って「そうね」と答えた。
13日、私は朝6時に北関東自動車道水戸南に乗った。
利根町のお墓について、草取りをし、お水、お花、お線香をあげた。
先日、弁護団長の柴田先生がお参りをしてくださった折、夫が掃除してくれていたこともありきれいになっていたので簡単に済んだが、盆入りにすっきりとできてよかったと思った。(後日、私が行く前に、義姉、義妹がお参りしてくれたことを聞いた)
夫の両親が眠る前で合掌しながら思った。
ずいぶん通ったな・・・と。
墓石のないところなので
「できるだけ雑草を生やさないように」というのが、12年前の夫との約束だった。
私の車の中には「お墓掃除グッズ」がいつも積み込んであった。
夏場の雑草の勢いには勝てず、約束を守りきれないことが多かったが、それでも利根町の家に行くたび、私は夫の両親と会話する楽しみをもって(時には、ぐちを聞いてもらいながら?)この場所に足を運んだ。
「裁判が済んだらちゃんとお墓を造るからね」と夫と何度手を合わせるたびに思ったことか・・・。
今年5月が過ぎ、裁判は終わったものの、震災の影響もあって、なかなかお墓を新たに作る話を具体化できずにいたが、やっとここにきて石屋さんと話がついた。
それでも、待ち時間が長く、来年の彼岸までにはということで、夫も少し安心したようだ。
兄姉妹と連絡しあい、「お墓を造ること」を伝えた。
夫の家に寄ったが、もう、私の力では玄関が開かなかった。
本当に、
「裁判が終わるまでもって欲しい。ここは、親父とお袋との思い出が残る家。ここにいると、仏壇などなくてもいつも天井のどこかに親父とお袋が見ていてくれていると思えるんだ」と夫が言っていたように、ぎりぎり「無罪判決確定」までよくもってくれたと思う。
北松戸への引っ越しは已む無い選択だった。そして、そのタイミングも・・・。
私は、自然災害で壊れるようなことのないようにとそれだけを願い続けてきた。
夫の思いを知れば、やはり、自分の意志で「決断」し、取り壊して欲しい・・・と。
そんな時のあの3月11日の大地震。
水戸から利根町の家を確認に行った夫は、「もしかしたら倒壊しているのでは」との覚悟をしていた。
しかし、3月の判決日が延期になったことを、両親も最後の踏ん張りを見せてくれているかのように、そこにはいつもと変わらず「思い出の家」がしっかりと建っていたのだった・・・。
「お盆前に、話だけでもつけておこう」ということで、夫は、この家の解体を知り合いの大工さんにお願いした。
私の手ではもう開かなくなった玄関・・・
帰って夫に言ったら、「俺にも開かなくなったよ」・・・とのこと。
家も、お墓も、夫の意志で決断の時期を迎え、私生活面でも新しい動きが始まっている・・・。
・・・
午前8時半。
私は、夫の両親、親戚のお墓参りを終え、利根町の家を後に水戸へ向かった。
入院中の母のところへ行って、
実家の盆入り、お墓参り、来客を迎える準備のために・・・。
夫が、盆入りの夜は、私の実家に泊まってくれるということで・・・。
北松戸にいる夫から、そう問われ、
「なるべく早く。起きたらすぐ。朝の涼しいうちに終わらせたいし・・・」
「ありがとう。なら、早く寝な。」
利根町のお墓参りに行く話だが、私の夜更かしを知っている夫はくぎを刺す?様にそう言い、私も笑って「そうね」と答えた。
13日、私は朝6時に北関東自動車道水戸南に乗った。
利根町のお墓について、草取りをし、お水、お花、お線香をあげた。
先日、弁護団長の柴田先生がお参りをしてくださった折、夫が掃除してくれていたこともありきれいになっていたので簡単に済んだが、盆入りにすっきりとできてよかったと思った。(後日、私が行く前に、義姉、義妹がお参りしてくれたことを聞いた)
夫の両親が眠る前で合掌しながら思った。
ずいぶん通ったな・・・と。
墓石のないところなので
「できるだけ雑草を生やさないように」というのが、12年前の夫との約束だった。
私の車の中には「お墓掃除グッズ」がいつも積み込んであった。
夏場の雑草の勢いには勝てず、約束を守りきれないことが多かったが、それでも利根町の家に行くたび、私は夫の両親と会話する楽しみをもって(時には、ぐちを聞いてもらいながら?)この場所に足を運んだ。
「裁判が済んだらちゃんとお墓を造るからね」と夫と何度手を合わせるたびに思ったことか・・・。
今年5月が過ぎ、裁判は終わったものの、震災の影響もあって、なかなかお墓を新たに作る話を具体化できずにいたが、やっとここにきて石屋さんと話がついた。
それでも、待ち時間が長く、来年の彼岸までにはということで、夫も少し安心したようだ。
兄姉妹と連絡しあい、「お墓を造ること」を伝えた。
夫の家に寄ったが、もう、私の力では玄関が開かなかった。
本当に、
「裁判が終わるまでもって欲しい。ここは、親父とお袋との思い出が残る家。ここにいると、仏壇などなくてもいつも天井のどこかに親父とお袋が見ていてくれていると思えるんだ」と夫が言っていたように、ぎりぎり「無罪判決確定」までよくもってくれたと思う。
北松戸への引っ越しは已む無い選択だった。そして、そのタイミングも・・・。
私は、自然災害で壊れるようなことのないようにとそれだけを願い続けてきた。
夫の思いを知れば、やはり、自分の意志で「決断」し、取り壊して欲しい・・・と。
そんな時のあの3月11日の大地震。
水戸から利根町の家を確認に行った夫は、「もしかしたら倒壊しているのでは」との覚悟をしていた。
しかし、3月の判決日が延期になったことを、両親も最後の踏ん張りを見せてくれているかのように、そこにはいつもと変わらず「思い出の家」がしっかりと建っていたのだった・・・。
「お盆前に、話だけでもつけておこう」ということで、夫は、この家の解体を知り合いの大工さんにお願いした。
私の手ではもう開かなくなった玄関・・・
帰って夫に言ったら、「俺にも開かなくなったよ」・・・とのこと。
家も、お墓も、夫の意志で決断の時期を迎え、私生活面でも新しい動きが始まっている・・・。
・・・
午前8時半。
私は、夫の両親、親戚のお墓参りを終え、利根町の家を後に水戸へ向かった。
入院中の母のところへ行って、
実家の盆入り、お墓参り、来客を迎える準備のために・・・。
夫が、盆入りの夜は、私の実家に泊まってくれるということで・・・。