れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

思い出の花“紫陽花(あじさい)”

2005-07-29 | 爺の想い
梅雨の時期だけでなく、夏の炎天下の今でも咲いている紫陽花(あじさい)。
この紫陽花は、東京の息子夫婦のところに行ってしまった知人の屋敷にぽっんと咲いているのを見て、その屋敷の隣人が“綺麗”と爺が言った“一言”を覚えていてくれて、一年後に爺の自宅に、その紫陽花の球根を持ってきてくれてました。
爺の家の紫陽花になってから5年経ち、毎年この時期になると見事な花を咲かせています。
その後、東京に行った知人も亡くなりましたが、この花を観るとその知人と昔暮した生活を思い出し懐かしがっています。


土用の丑の日

2005-07-28 | 爺の想い
今日7月28日は、土用の丑の日で“うなぎ”を食べる日なので、夕餉に婆は、爺に“うな丼”を作ってくれた。
ウナギは、近くのストアで、串焼きを買ったものだが、清酒で蒸して作ったので非常に美味い。
そのうな丼を皆様にお見せしようと画像にしましたが、あまりにも貧弱ですので、以前食べた“うな重”の画像と致します。ご覧下さい。

※一昨年は、怜奈のパパに連れられて、いわき市遠野のうなぎ専門店「坂本屋」でうな重を食べましたが、大変美味しく思いました。どうぞ、今年も連れて行って下さい。(笑)






ワープロからパソコンへ

2005-07-26 | 爺の想い
(画像は、現在のパソコン環境)

爺がワープロを持つきっかけは、昭和50年後半の頃に保健センター勤務のA氏が所長室でワープロを得意げに操作しているのを見て欲しくなり、やっと婆を説得して数年後に「東芝製ワープロ」を購入したことにある。
このワープロ、画面に文字が二行しか表示されなく、全体の文字バランスを見るのには、カーソルを動かして自分の頭に全体を記録しての操作方法で苦労の宝物であった。
又、ワープロに内臓している印刷(機)で印刷するが、A4用紙だと二行ほど印刷するとニ~三分ほど休み、その繰り返しで刷り終わるのには相当に時間がかかった。
その後の平成二年に、富士通製の全面表示画面ワープロを購入し、仕事は勿論、同窓会、常会などの文書の作成などにも使用したが、十年後の平成十二年、パソコンに変わった。
パソコンは、ワープロのキーの配列と同じなので、操作も同じと思い、ワープロ感覚で取り扱ったが、所々、ワープロとは違った操作が必要なところがあり、県(市)主催のIT講習会、テレビのIT番組、パソコン専門書などで勉強した。
文字記入方法での変換は、ローマ字変換者が多い中、爺は、ワープロ時代からひらがな変換者なので、今以って、平仮名での変換方法を執っている。
ちなみに爺は、Word専門、Excelは得意ではない。

{

今日の昼食は‥

2005-07-20 | 爺の想い
今日、爺婆の昼食は外食となりました。‥と云っても特別なところではなく、国道、北茨城市磯原町二つ島付近の牛丼専門店であります。
食べたものは、最近メニュに加えられたのか「牛あいがけカレー」(画像)でした。
この丼は、カレーのスパイスが適度に効きとても美味しいと思いました。

牛丼専門店“すきや”のメニュ(クリックして下さい。)


毎日続く憂鬱な雨‥

2005-07-12 | 爺の想い
毎日続く雨の日は、気持ちにもカビが生えてくるような憂鬱な気分になってしまいます。
爺が雨で思い出すのが、昭和60年代以前、度々起こった北茨城市磯原駅東地帯の水害ですね。
当地帯は、大北川流域にあり、当川と花園川とが合わさる下流点にあることと、昔は、葦などが生えている湿地帯であったところを堤防を作って、住宅街にしたのだが、川と住宅地のレベルが、ほぼ同じ状態だったので、大雨が降ると小川から大北川に水が流れず、大北川の水かさが高ければ小川に逆流、時には堤防を冠水するなどして水害をもたらしていました。
又当時は「水害対策本部」となる市役所が現在の「北茨城市民ふれあいセンター」の所に有ったために最初に水の中といった状況でした。
現在、市役所は既に高地に移転し、磯原駅東地帯は、河川改修、土地レベルのアップなどを施した所為か、水害が起きずらくなりました。目出度し、目出度し。