れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

原生林の魅力 北茨城市

2009-04-30 | 北茨城市の観光
【画像説明】小川田園都市センター(旧小川小中学校)の庭に現地集合

昨日(4/29)ふるさと自然塾事務局(北茨城市教育委員会生涯学習課)は、<第一回ふるさと自然塾>として北茨城山の会、北茨城野草サークル、北茨城ユネスコ協会との共催で北茨城市関本町小川の原生林が残る自然林で「定波のブナ林と春の植物観察会」が行われ、事務局募集に40人が応募・参加した。
小川地区は常磐線磯原駅から花園地区を経由して約30kmのところにあり、今月8日に同地区を訪ねたときも道端に雪が残っていたように一足遅い春を迎えている原生林で人里とは違った自然の素晴らしさを体験した。

※ここは、国有林であり、自然の風景を保護する為に小川原生林を含むこの地域は、特別地域に指定されていて、工作物の新設、改築、木竹の伐採、砂石の採取、土地の形状変更などを行うときは、茨城県知事の許可が必要となってくる。


集合場所から互いに車の乗り合わせを行い、目的近くの駐車場で車を降りて、いざ出発!!


北茨城野草サークルリーダー・滑川敏行氏の豊富な知識での案内・説明はとてもありがたい。植物の事など多くを教えてもらった。


命がけの急勾配を下り一寸休憩前の説明タイム
この谷には、この時名前を教えて貰って分かった〝バイケイソウ〟が群生し、かたくりの花や名前が(私には)不明な小さく白い花が一面に咲いていた。


人間の寿命の何十倍も経過している巨木は見事なもの。
11:30当場所に到着。説明を受けた後、銘銘が連れ添った仲間などに分散し、から揚げ、いなり寿司などたくさんのご馳走を持参しての小、中学校の遠足気分の楽しい昼食風景がみられた。


風雪に耐えた木肌の魅力
説明案内人・滑川氏が「何回も此処に来て会っている一番愛しているものがある‥」と案内してくれたものがこの巨木。或る日、この木の根本で休んでいて〝うとうと〟と寝てしまった。眠ったところに他人(ひと)が来てしまい、その寝姿を見られて“死人”だと思われたと‥と「巨木と添い寝」の逸話まで話してくれた。


朽果てていく巨木


花がいっぱい

一週間後開催の常陸大津の御船祭準備万全!! 北茨城市

2009-04-27 | 北茨城市の観光
【画像説明】お囃子連らが乗船、出発良し!!。

祭事船一週間後のスタートラインへ‥
昨日(4/26)北茨城市大津に於いて、来る5月2~3日開催する「常陸大津の御船祭」の準備として御船祭催事(木造)船の海上渡御が行われた。
北茨城市漁業歴史資料館、愛称・お船会館「よう・そろー」は、祭時使用する催事船保管・展示の目的で平成19年5月1日オープン、その保管中の新造船を御船祭の催事に初めて使用するので、「よう・そろー」から従来から決められている祭りの出発場所までの約1kmを、大掛かりな海上輸送で行われた。この海上輸送は、今回から新しく始まった行事である。

御船祭に関して詳しくは‥
常陸大津の御船祭保存会公式ホームページにて


午前中、祭催事船は、お船会館「よう・そろー」から岸壁まで200mをソロバンを敷いて重機で牽引、大型クレーンで海に下ろした。


午後1時30分出発、同型の漁船が祭催事船を牽引


祭の役員、お囃子連ら数十人を乗せ♪安波囃子♪で颯爽と‥


まるで大漁で外洋から帰ってくる大漁旗を掲げた漁船のようだ。


下部に荷物やエンジン等の重みがないために重心と浮力が不安定で心配。船が傾くと当分傾いたままの状態が続く‥


途中、お囃子連の中学生などを市場に寄って下船させ、やっと約1km離れた目的地に到着輸送時間だけであれば、数十分の海上輸送の時間だった。
(祭催事船は、祭当日までブルーシートに包まれているようだ。)

花園神社境内は今まさに春爛漫 北茨城市

2009-04-19 | 北茨城市の観光

北茨城市 花園神社入口

今、石楠花、桜、桃、山吹などの花が〝祭りの舞台を飾る〟かのように花園神社境内を多彩な色を演出して咲き誇っている。
この祭は、来月5日(こどもの日)に行う毎年恒例の花園神社祭礼行事であり、この頃が、石楠花が一層の開花が進み見頃となり、毎年、観光客が〝祭〟と〝花〟の両方を目当てに訪れる。
石楠花は、「市の花」に指定されており、北茨城市民の馴染みの花でもある。  4/19撮影

07.5.5時の花園神社祭礼
08.5.5時の花園神社祭礼
08花園神社祭礼前日の潮汲み祭同行記


日が長く当るところは石楠花満開状態


神社本殿前の石楠花



神社周辺は多彩な花の色で囲まれているような‥


神社近くの「釣り堀と食事店」では、家族連れの客で混雑していた。


水沼ダムでは鯉、鮒を目当てに釣り人が‥

古道・勿来切通し いわき市

2009-04-14 | 北茨城市の歴史
【画像説明】勿来切り通し

昨日(4/13)は、「勿来の関」近くの「古道・勿来切通し」まで出かけてみた。
国道六号線を北上、茨城県北茨城市を過ぎると直ぐに福島県勿来海岸が右側に見えてくる。今日は桜満開のポカポカ陽気のため、海からの風が爽やかに感じる。
勿来切通しは、その勿来海岸付近国道左側に「勿来切通し」の案内看板があり、徒歩数分で目的地に着く。
慶長年間(1596~1615)の江戸将軍・徳川家康、秀忠の時代に同所に洞門を貫通させた時から常磐線が開通した明治30年(1897)以前頃の約300年の間、北茨城市関本町関本中(粟野)からいわき市勿来町九面に抜ける浜街道のその後、切り通しになった山道は人の往来が続いていた様である。
しかし、今は人影もなく時が止まったような感じで寂しい限りであるが、ここに立ってみると当時は、この山道も庶民の生活道路であり、陸前浜街道の“大通り”でもあるので、時には平藩の参勤交代の行列が通ったことなども想像し、出来るものならこの時代にタイムスリップして賑やかな当時の様子を覗いてみたいものだと思った。

別ブログで「勿来切通し」をご覧下さい。
関連して「平潟洞門の開通」もご覧下さい。


切り通しの現場にある説明板


切り通し現場から勿来海岸を望む


国道に設置してある切り通し入口を示す案内板


北茨城市方面側は住宅団地で人家が迫っている。奥の方が切り通しの方向。


追分碑
北茨城市関本町関本中粟野宿の外れ、常磐線踏切側にある「八坂神社」下に「右ひらかたみち、左いわきみち」とあり、(現在は街道のこん跡もないが)〝左いわきみち〟と切り通し方向を指している。

水芭蕉見学と岩魚の放流 北茨城市

2009-04-09 | ローカルニュース
【画像説明】小川地区の亀谷地入口

昨日(4/8)は、時期が遅い事は承知で関本町小川地区の〝水芭蕉の亀谷地〟に行ってきた。案の定、水芭蕉の尖端が枯れた様に少し茶色が付いていたが、これも成長の過程と思えば気にならない‥?。
帰り道、花園川上流で岩魚の放流を行っているグループに出会った。彼らは大北川漁業協同組合の組合員の皆様で組合長自らも放流作業を行っていた。
このグループについては、以前より、川沿いを車でパトロールをし、釣り人から遊漁料(※)を徴収するだけの印象しか無かったが、実は、この稚魚の放流を行っている事、河川の清掃管理を行っている事そして、アルバイト数人を雇い長期に亘り、外来種・ブルーギルを駆除している事など自然(河川)に対して「お返し行為」をしていることがわかり、この認識不足の無礼の考えが改まった。※遊漁料(鮎、山女、岩魚の場合):年券8000円 日釣1500円
この日は、高萩市の上君田、大金田の川も含めて稚魚40㎏を放流したとのこと。

花園川・大北川に関すること。ご参照ください。


未だ観られる水芭蕉
小川県道の道沿いには、まだ所々残雪があり、バイクの走行は一寸寒くて辛い。


岩魚稚魚放流花園渓谷・与四郎の滝のところ


バケツの中の岩魚稚魚



釣り人偶然の〝岩魚の放流〟の出会いで、話題をつなぐ為に〝釣り人〟を慌てて撮った二枚