れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

秋の色

2006-09-21 | 爺の想い




当画像は、昨年の画像も混ざっているがポポ以外は爺のところで採れたものである。

すっかり秋になった。
何故か爺は、戦中生まれの戦後育ちの所為か、実が出来る食べられる植木ばかりを植えてしまう悲しい性格かもしれない。
アケビは、食べられる時期になると自ずと身が割れるが、ポポ、ムベは熟すと実が割れないで皮が柔らかくなる。
アケビ、ポポ、ムベ共、種が非常に多いが、ほんのり甘く、これが小鳥が好む味のようだ。

 
アケビの食べ方について他人様のHPがありましたのでご紹介します。
アケビの味

北茨城市華川町の石沢寺阿弥陀堂

2006-09-16 | 北茨城市の歴史




北茨城市華川町中妻の石澤寺

由来
石澤寺は、承知2年(823)慈覚大師の創立と伝え、浄蓮寺の隠居寺でした。
庫裡を解体した時、「阿弥陀堂別当石澤寺施主滑川入平次願滑川林蔵」の墨書があり、江戸時代は、阿弥陀堂の別当であったことを知ることが出来る。
現本堂は、もとの阿弥陀堂であり、元和4年(1618)、明暦3年(1657)宝暦10年(1760)に再興されている。

阿弥陀如来及び両脇の侍像(木造)
石澤寺の本尊、阿弥陀如来坐像は、高さ69.2cm、台座高18.2cm。左脇侍の観世音菩薩立像は、74.9cm。3尊ともに榧材の一本堀成像で、平安時代期、12世紀半頃の制作と思われる。
阿弥陀如来、脇侍観世音、地蔵の両菩薩を配する形式は、非常に珍しく、当初からこの形式を取っていたかどうかは、明らかではない。

石澤寺の仏像などを北茨城市雨情記念館(北茨城市歴史民俗資料館)で公開中
当館では、企画展として11月26日まで石澤寺の本尊を除く仏像を公開している。(午前9時から午後4時まで、※期間中の休館日は、開館するとのこと。)

10月15日(日)10時、石澤寺において、家内安全、商売繁盛などの護摩焚を行う。
当日、御札ご希望の場合は、一週間前頃までに浄蓮寺(℡0293-42-0767)に問い合わせる必要がある。

爺の想い
浄蓮寺の隠居寺である華川町小豆畑山下の「隠坂寺」、華川町臼場後沢の「安養院」(共に本尊は、阿弥陀如来)の二箇所は廃寺になってしまった中で、同じ隠居寺である石澤寺が昔から現在まで檀家数(収入)が少ない状態で“おあみだ様”と親しまれて存続しているのは、浄蓮寺側の努力は当然であるが、寺を代々維持管理してきた中妻住民の弛まぬ熱きお気持ちの賜物と想像できる。

この石澤寺の特色は、ご本尊が21年毎にご開帳(公開)になり、人生一生のうち3回ご本尊を拝むことが出来れば極楽浄土に行くことができると云われ、当時このご開帳祭時は、近隣在所の老若男女が集まり、参道の片側に出店がずらりと並び、境内には大衆演劇の芝居小屋が出来るなど大変な賑やかさだった。

しかし、時代の流れの中で人々が年々御本尊の想いが薄れていったことと、最近は去年10月住職の小林和尚が他界され、維持管理は中妻地区住民有志と催事運営は浄蓮寺側が行っているとのことであるが、これから常時お寺には、和尚は居なく無人になった事も重なり、益々淋しくなるのは残念なことである。

※建物、本尊仏像が平成7年7月21日北茨城市有形文化財指定を受けているが、極ありふれたお寺である。
当ブログで取上げたのは、爺が、幼少時、境内が遊び場だったとの理由の個人的なものであることをお許しあれ。


石澤寺には、こんな話もある。(クリックして下さい。)
義賊・木鼠吉五郎

北茨城市の岡倉天心と五浦美術文化研究所

2006-09-02 | 北茨城市の歴史






五浦六角堂

明治36年(1903)5月、岡倉天心は、茨城県北茨城市磯原町大塚出身の画家飛田周山の案内で、海岸の別荘を探していた。
福島県いわき市の沿岸から五浦まで徒歩で視察してきたのだという。天心は、白砂青松の海岸線よりも、ダイナミックで変化に富んだ五浦の景観に魅了され、早速土地を購入した。
当初は古い料亭(観浦亭)を住居としていたが、明治38年には、みずからの設計により邸宅と六角堂を建築し、明治39年、4人の愛弟子、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山を呼び寄せ、日本画の近代化を目指した美術活動が展開された。
現在の敷地には、長屋門、天心旧邸が残り、前庭先の太平洋に突き出した岩の上には、天心が読書と思索にふけった六角堂が往時の面影を留めている。
付近には、日本美術院研究所跡、天心の墓所、大観の旧別荘があり、風景を楽しみながら日本文化史上の偉業をしのぶ人々も多数訪れる。
尚施設などについては、昭和17年、天心偉蹟顕彰会が天心の遺族から引き継ぎ、戦後、会長の横山大観は、茨城大学に寄贈を申し出たことにより、それを受けて昭和30年(1955)に五浦美術研究所(後に五浦美術文化研究所と改称)が設立、入場料200円を徴し当六角堂などの施設(敷地)を管理維持して現在に至る。(毎週月曜日が休館日)
※平成9年11月当研究所の約0.5キロ先に茨城県天心記念五浦美術館が開館した為に、ここ北茨城市五浦地区は、美術文学の街として更に活気溢れる名勝地となったことは間違いない。