れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

神頼み

2006-04-28 | 爺の想い
爺宅の神棚

爺は、次男坊なので、生家を出て37年になり、その後一度転居して、現在の住まいは、13年経っている。
住まいは、爺が死んだ時“自宅葬もあるのかな”と二間続きの部屋も作ったが、最近の民間葬祭場が各地区にできて、それも無駄のようだ。
居間には、神棚と仏壇を作り、毎朝、両方にお水を入れたコップを奉げ、仏壇には、線香をあげている。
しかし、仏壇に線香をあげるが仏はまだない。(我家の仏第一号は順序からだと爺なのだが‥)
でも、爺も木の股から産まれたわけではない。先祖様がいる。‥とのことで、先祖代々の霊と爺の父・母・姉(2人)兄(1人)の位牌の文字をパソコンで書き、百円ショップで買った額に入れて、仏壇に祀っている。(位牌は、黒をバックに金色(黄色)の「ARP顔眞楷書体」文字なので見事の出来であり、爺としても満足している。)

歳を重ねると益々信仰心が深まるようだ。





福祉弁当の配達

2006-04-26 | 爺の想い
留守で一旦自宅に持ち帰った弁当の中身をパチリ。

爺は、3月から高齢者福祉弁当の配達を引き受けた。
配達行為はボランティア(無報酬)で毎週(水曜日)1回に4軒(5個の弁当)の配達(翌日空器回収)だ。
委託者(市福祉協議会)も爺の暇を見抜いたようで、爺も一つ返事でOKしたのだ。
引き受けてみると当日何かと用事ができて配達できないと思うときがあるが、いまのところ“万障繰合せ”が可能でどうにか出来ている。
受託した以上は、今までお世話になった恩返しのためと、身体を動かす運動のためにも、できるだけ長くやっていきたい。
もちろん、交通手段は、爺が好きなバイクである。

※福祉弁当とは
事業は、北茨城市社会福祉協議会が実施し、高齢者の生活支援事業として取り組むもので、栄養のバランスの取れた食事を提供するとともに、サービス利用者の安否の確認を目的とする。
理容内容
市内居住の65歳以上の一人暮らしの方や、高齢者のみの世帯の方が対象となる。
その他
配食日は、(定めた)週の1回でサービス利用者から一食あたり300円を徴する。

◎北茨城市の在宅福祉サービスについては下記のとおり。
北茨城市在宅福祉サービス一覧

日立市駅前通りの桜並木

2006-04-24 | 爺の想い
日立駅前通りの桜のトンネル状の並木道
水戸の梅、日立の桜と謳われているぐらい日立市の桜は有名である。
日立市は、駅前の平和通り、神峰公園、そしてこの度、市町村合併で編入された十王町の十王パノラマ公園など桜満開時は素晴らしい市民の憩いの場所が幾つもあり、隣接市民として羨ましい限りである。
これら、毎年、桜のベスト状態を保つには、行政トップの理解と市民(企業)の惜しまない協力、そして多額の経費が注がれている。【電話調査結果:毎年の予算額(経費) 700万円】


梨の花

2006-04-22 | 爺の想い
我家の数少ない植木の一つに梨の木がある。
庭造りには、とんと興味が無く、庭に植えてある植木と云えば、柚子の木一本、梨の木一本、ミカン二本、金柑一本、花梨一本、アケビ一本、ムベ一本、姫林檎一本、ブルーベリー二十本の実の生る植木ばかりである。

しかし、いずれも手入れが十分でなく、実があまり生らない。
この中の梨の木は七、八年経っているが、花は咲くが実が生らなく、去年、初めて試しに“耳掻き棒”の羽部分で受粉作業をした結果、小粒の梨の実が三つ生ったので、今年は、豊作を期して本格的に受粉作業をしようかと思っているが問題がある。

問題とは、梨狩りでの梨園の木は、実が採りやすいように枝を低く剪定してあるが、我家の梨の木は、天に向かって約三メートル以上伸びきっている。

やむを得ず、踏み台で届く所だけ、受粉作業を考えている。

収穫時期にでも豊作結果を報告したい。

北茨城市の花園神社は‥

2006-04-18 | 北茨城市の観光
5月5日、北茨城市華川町花園にある花園神社の例祭で、笛・太鼓とともに演じられる獅子舞である。 8歳から13歳までの男児が演じる角2本の親獅子・寄獅子、角1本の牝獅子からなり、 優雅にして野趣に富み、古い型をよく伝えている。
 その縁起は古く、前九年の役のおり、源頼義・義家父子が先勝祈願のため奉納したのが始まりとされている。 現在使われている獅子舞は、江戸時代末期の作と伝えられている。(北茨城市HPからコピー)

※花園山と天妃山(磯原海岸)は、「親戚関係の伝説」で花園奥の院の七つ滝滝壺には、ワカメが繁茂ししているとのことから、花園神社祭礼の前日早朝、白装束の男子が約20㌔(5里)の距離を無言(常に榊の葉を銜え)で早走りして天妃山海岸に向かう。
男子は、決められた天妃山はまぐり場で潮水を携帯の竹筒に汲み、その後、休憩所(天妃山入口のとしまや)で一休みして、午後には花園に帰ることが昔からの取り決めになっている。
その日のうちに持ち帰った“潮水”は、七つ滝の滝壺に注ぎ奉げて、明日の本祭の報告をするという。

車社会の今日の潮汲みは、ご多分に漏れず、車を利用するとのこと。