五浦の地を案内する五浦ボランティアガイドグループと連絡先
五浦の地は、五つの入り江からなる海岸地形で断崖と松の緑と太平洋のダイナミックな景観のマッチングは、いつも訪れる旅人を和ましてくれる。
岡倉天心は、1903(明治36)年、経営に行き詰っていた折、地元磯原出身の画家飛田周山の案内で訪れたこの風光明媚な五浦を知り、3年後の1906年(明治39年)、日本美術院の心機一転を計って当院の活動の場を五浦に遷した。
その後直ちに、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山の愛弟子四人を呼び寄せ、彼らは苦しい生活の中から幾つもの傑作を生み出し、天心が1913(大正2)年、50才で没するまでの7年間、五浦は日本近代美術史上に大きな足跡を残した。
五浦の地には岡倉天心が訪れてから100年が過ぎた今、茨城県天心記念五浦美術館が建つなど、この素晴らしい先人たちのお蔭で美術文化の街として観光の拠点となっている。
○この五浦の地を誇りをもって案内するグループが誕生した。
このグループのご好意に甘え、五浦にお出での際はご利用されては如何ですか。
お問い合わせは‥
北茨城市社会福祉協議会 五浦ガイド 電話0293 42-0782
(ご案内は無料です。)
昨年6月にも当ブログで「五浦について」掲げている。
奥州と常陸の国境は見どころ〝いっぱい〟
五浦散策マップ
五浦六角堂
天心は、1905年にアメリカから帰国すると、中国の詩人杜甫の草堂に倣い、六角形の小堂をみずからの設計で建て、「観瀾亭」と名づけた。天心はこの堂の中で、太平洋の荒波を眺めながら読書にふけったといわれる。
別方向からの六角堂
五浦美術文化研究所内にある「天心記念館展示の〝岡倉天心像〟」
天心邸の傍に設置してある天心の信念「亜細亜ハ一ナリ」の記念碑
分骨されて五浦の地に眠っている天心の墓
これで地上デジタル放送での北茨城市特集は終了しました。ご高覧有難う御座いました。
現在のアナログテレビ放送は、2011年7月24日画像、音響とも高品質なデジタルテレビ放送に完全移行しますが、現在、試行のために当地域は、NHK第一、NHK教育、日本テレビ、TBSテレビを地上デジタル放送で受信することが出来ます。
しかし、未だ三年後の放送移行のため、受像機(テレビ)は、放送移行時期まで不必要との買え控えの理由などにより、地上デジタル試験放送は、三割程度の家庭受信率といわれ、折角の「北茨城市特集」が七割の家庭が見ていないことになります。
この事により、勝手ながら見られない人のために、私の画像ブログでの再掲と致しました。