れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

この時期満開の福寿草 北茨城市才丸地区

2007-01-31 | 北茨城市の観光





福寿草は、昔から「春告げ花」など、早春の訪れを告げる花として表現されるが、今年の福寿草は“春告げ花”ではなかった。
暖冬の所為か、昨年12月中旬から咲いていて、現在一面満開状態であり、咲き終わろうとする花もある。
ここ、北茨城市関本町才丸地区は、同市華川町花園水沼地区から入った約一キロ程の処にあり、福寿草が咲いている場所は、農家裏山の日が当たる南面に広範囲群生している。
ご覧になる場合は、個人管理ですので、家人に許可を得てからにすること。
※現在が満開状態なのでお早目のご観賞をお勧めする。

やっきり(土手焼き) 北茨城市

2007-01-29 | 爺の想い



北茨城市中妻地内で撮影
昨日の朝、北茨城市花園川土手付近を散歩していると、あちこちに煙がたっていた。
爺も幼い時から見ている“やっきり(土手焼き)”だ。
“やっきり”は、害虫を駆除し、枯草を除去し、新芽が息吹き易いように毎年行う春を呼ぶ風物詩だ。
“やっきり”を行うときは、地区の消防団が巡回し、安全を図りながら次から次と枯草に付火して燃やす豪快な光景である。
しかし、ちょっとでも、油断すると大変なことになる。【この時も、中妻地内で小火があり、ナガラ(イネモミを乾すとき用いる棒)小屋が燃えた。】

※この日の“やっきり”は、北茨城市消防団第七分団(中妻・下相田・臼場・車・下小津田の各地区)の外に、磯原町豊田・木皿、中郷町上桜井、関本町福田全の各地区も行った。(北茨城市消防署調べ)

常陸大津「御船祭」の新造船の進水の儀など

2007-01-27 | 北茨城市の観光






国選択無形民俗文化財、県指定無形民俗文化財「常陸大津お船祭」は、北茨城市大津町で5年ごとに行われるが、この度、お船会館(正式名称:漁業歴史資料館 よう・そろー※)が大津漁港の近くに建設中であったが、この会館の今年5月のオープンに合わせ大津富岡浜の造船スペースで建造中の新しい船体が完成したことにより、北茨城市長など関係者列席の元に「進水の儀」が、穏やかな小春日の今日(1/27土)行われた。
式典の後、難なく進水した“新船”は、漁船に曳かれてお船会館近くの岸壁に接岸、クレーンに挙げられ、ブルで曳かれて新設のお船会館に到着した。
尚、お船会館には、一晩、船体を野外に置いて、充分船体が乾いてから専用保管室に入れるとのこと。

※お船祭は、前回開催は平成16(2004)年5月だったので次回開催は平成21(2009)年5月 日の予定。

よう・そろーとは、辞書によると“好く候(よくそうろう)”の音変化で
1 転舵(てんだ)のあと、船が所定の針路に向かったとき、そのまままっすぐに進めという命令を表す語。「全速前進よう・そろー
2 海軍などで、「よろしい」「よい」の意で調子づけるために用いる語。


あいにく黄門様は諸国を漫遊されていてお留守でした。

2007-01-19 | 爺の想い








《爺の初夢》
相変らず後が絶たない政治家の汚職、食の安全を無視した大手菓子メーカー、高価な“はこ物”を市議会の判断で無計画に造り続けたなどで財政破綻をしてしまった北海道夕張市などの“この世の悪”を、水戸黄門様に一掃してほしいとの思いから、爺は“無礼討ち”覚悟で裸馬ならぬ50CCバイクにまたがり、六尺ほどの青竹に“直訴状”を挟み携えて、北茨城市から高萩市花貫を経由して約60キロ先の常陸太田市の黄門様がおいでになる西山荘に向かった。
しかし、到着してみると黄門様は、諸国漫遊のために西山荘にはお出でにならなかった。
黄門様お留守で残念だったが、帰りは、常陸太田市の名物<いずみやの天婦羅饂飩>を食したので何となく気分も元に戻った。
な~んて、爺をご存知の方は、自然ボケに相当加齢ボケが加わったのかと思われるだろうなあ。

【水戸黄門様でお馴染みの徳川光圀公と西山荘】
西山荘は水戸市の北約20キロの常陸太田市西部にあり、水戸藩二代藩主であった光圀公(義公)が隠居された地である。
光圀公は元禄4年5月、当時の贅を極めた江戸城からこの西山の自然の中にお住いを移され、同13年12月6日73歳で亡くなられる迄、約10年の歳月をここで過ごされた。
書斎の丸窓の明かりで書を読み、四季折々の草花を愛で、時には紅葉におおわれた観月山で月見の宴を楽しみ、詩歌をしたため、静かで雅な時を過ごされた。
西山荘御殿は、約190年程前の火災で一度被災したが、八代藩主斉脩公によって再建され、現在は茨城県指定史跡となっておる。

嘆きのペコちゃん、ポコちゃん そして各フランチャイズ契約店は‥

2007-01-16 | 爺の想い

画像は北茨城市豊田の休業中の「不二家」フランチャイズ店

爺の幼かった時代のオヤツも不二家の菓子だった。
当時、ミルキーをお湯で溶かして“牛乳”のようにして飲んだあの製品が、今回は、期限切れの原料を使用したとのこと、許しがたい話しである。
報道では、経営陣が事実を軽く考えているとの事、まったく、どうしようもない馬鹿者としか言いようがない。
幼児から飲み、食べている不二家製品がゴキブリ、ネズミまでいるところで作っていたことも従業員のインタビュでわかったが、これらも言語道断である。
又この事件で国民は勿論、フランチャイズ契約店や不二家製品の扱いを生業(なりわい)としている多くの人々までもが、どれほど被害を蒙っているか、経営陣は猛省の必要がある。