れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

北茨城市大津漁港の珍しい風景画 3点

2006-03-28 | 北茨城市の歴史


北茨城市大津漁港風景画 ☆3点
北茨城市大津漁港の珍しい風景画
画家は、“鳥居塚”とサインがあるが、今のところ、専門の画家さんか、素人さんか、大津地区の「鳥居塚」様の縁者の方かは不明。
一点目は、画面に“大津港、昭和12年頃・にんべんの前あたりから、大津でっぱを見る”と説明書きがある。

※この画で、にんべんさん・元大津町役場跡直前まで海が迫っていたことなど、変化が解る。

北茨城市の龍寅寺境内の句碑について

2006-03-18 | 北茨城市の歴史

「団栗や 眠る児の掌に 温もれり」  一志朗

北茨城市華川町下相田の龍寅寺境内正門左に句碑がある。
作者の一志朗とは、故郷を北茨城市華川町中妻にもつ、故“南雲一四郎”氏である。
彼は、母の“南雲”姓を継いでいたが、父は“滑川”姓の鎮守府将軍藤原秀郷之曾孫左衛門督父行居肥前国‥と中妻地域で370年前から続く名門の家柄である。
彼の幼少期、青(壮)年期は丁度、社会全体が戦前戦後の貧しい時代が続き、人々は働いて稼ぐも、生活がやっとで上級学校の進学までは無理な状態が殆んどだった。
彼もそんな状況下で上京し、東京都世田谷で鋳物工場を経営するなど身を粉にして働き、結果、晩年は悠々自適の生活でリタイヤして、茨城県稲敷郡阿見町に新居を構えた。
そして、その町の住民との交流を目的に公民館活動の中でグループ“先生のいない俳句会”「曙(あけぼの)」を発足させてリーダーとして活躍したが、俳句等は、この阿見町に転入してから趣味として始めたと思われる。 
彼は、その時期、NHK教育テレビの俳句、短歌会“歌壇”に入選放映又、朝日新聞等の俳句、短歌寄稿欄に毎年幾度となく採用されていたが、平成 年 月満8  歳で亡くなった。

※爺が思うには、晩年からの短期間の俳句、短歌、川柳の上達は彼の優秀さをあらわすもので、これが最初(青年期)からの取り組みであれば、頭脳明晰な一四郎氏の人生は、もっともっと、素晴らしい結果になっていたと思われる。
彼は故郷を想う心が強く、多分、生まれ故郷・この北茨城の地で「我魂此処に有り」と一四郎氏(の句碑)が語りかけてくるようである。

霜の夜 帰りし父が 戯れに 手刀切って 根深汁受く 一志朗

れいなの卒園式に参列

2006-03-17 | れいな日記
今日は、孫娘れいなの卒園式に爺婆も参列させてもらった。
10時から式が始まったが、幼稚園側の今までの練習の賜物か、式は手際よく進み、爺婆も“快さ”で最後まで、見守っていることができた。(普段幼稚園生は、小さい烏合の衆に見える“笑”)
肝心のれいなは、卒園を実感していないようで、明日にも又、幼稚園にきて友達と遊べると思っているようである。(爺の思い過ごしかも。)
4月から“ぴかぴかの小学一年生”になるが、家族は、れいなの入学にあわせて新居に転居し、れいなを含んで一年生(生徒)が29人の福島県いわき市立○遠○小学校に入学する。



近代短歌の歌人、斉藤茂吉の愛弟子・佐藤佐太郎は幼年時代に北茨城市で過ごした。

2006-03-06 | 北茨城市の歴史
平潟漁港
大正から昭和にかけて活躍した近代短歌の歌人で、斉藤茂吉の愛弟子としても知られる佐藤佐太郎は師茂吉の影響を強く受けながらも純粋で鋭利な自己の世界を確立し、晩年は、現代歌人協会理事や宮中歌会始選者、「毎日新聞」歌壇選者などを努めた日本短歌界の第一人者である。‥‥その佐太郎の幼年時代を北茨城市平潟町で過ごしている。そんな関係からか地元周辺の学校校歌を作詞し、分かっただけでも北茨城市立石岡小学校、同平潟小学校、同富士ヶ丘小学校、同常北中学校、日立市立多賀中学校そして、県立高萩高校となっている。しかし、歳月が流れた今、地元(平潟町)の人さえ、佐太郎のことを知っている人は極めて少ない。

佐藤佐太郎の経歴・何故佐太郎は北茨城市では無名なのか。(クリックして下さい。)

北茨城市立石岡小学校校歌
作詞・佐藤佐太郎 作曲・佐藤  眞

一・みんなの仰ぐ石尊の たかくかがやく山の雲
  強くただしく伸びるよう 天にも地にも力がこもる
  みんなの力 石岡小学校

ニ・みんなをめぐる大北の ひびきすがしい水の音
  きよく明るく学ぶよう 川にも海にも光がわたる
  みんなの光 石岡小学校

北茨城市立平潟小学校校歌
作詞・佐藤佐太郎 作曲・佐藤 眞

一・いり海を いり海を かこむ緑の山と山 しづかに清い水のこと
  いつの日も 心にもって 我等は学ぶ

ニ・あかつきの あかつきの 空にきこえる潮の音 ちからの強い波のこと
  いつの日も 心にもって 我等は学ぶ

三・ゆうぐれの ゆうぐれの 浜にたなびく赤い雲 めぐみのふかい海のこと 
  いつの日も 心にもって 我等は学ぶ

北茨城市立富士ヶ丘小学校校歌
作詞・佐藤佐太郎 作曲・佐藤  眞

一・山明らかに起き伏して 空に輝く朝の雲
  清く明るく学ぶとき 山の光は我等を育くむ
  山の光は心のみなもと 富士ヶ丘小学校 富士ヶ丘

ニ・地さわやかに草も木も すがしく薫る朝の風
  強く正しく学ぶとき 地のいぶきは 我等を育くむ
  地のいぶきは力のみなもと 富士ヶ丘小学校 富士ヶ丘
  富士ヶ丘小学校校歌楽譜・拝借HP(クリックして下さい。)

北茨城市立常北中学校校歌
作詞・佐藤佐太郎 作詞・高木東六

一・多賀の山 青き起伏 わきのぼる 雲を仰ぎて
  創造の思いも高く この丘に我等は学ぶ

ニ・鹿島灘 白く立つ波 かぎりなき 響きを聞きて
  勤労の誓いも強く この丘に我等は学ぶ

三・桜花  松のこみどり 吹きかおる 風に迎えて
  協同の心も広く この丘に我等は学ぶ

日立市立多賀中学校校歌
日立市立多賀中学校校歌・拝借HP(クリックして下さい。)

短歌
貧しさに 耐へつつ生きて 或る時は こころいたたし 夜の白雲  「帰潮」より
山の月 しばし出でしを 遠くより 見つつしをれば 花を吹く風 「黄影」より                                      佐藤佐太郎
佐藤佐太郎の平泉の歌鑑賞・拝借HP (クリックして下さい。)