れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

芋掘り、そして格闘家・滑川康仁選手

2005-10-16 | 爺の想い
爺は一昨日、幼馴染のN氏とサツマイモの試し掘りをしました。
N氏が高萩市赤浜の借地の畑(6畝=180坪)に70%、サツマイモを耕作してました。
スポーツを教えている近所の子供たちのために年に一度の行事「芋掘り」の事前調査“試し掘り”が目的でした。
彼は、体育の先生経験者から、ボランティアで地域の子供たちの社会(団体)生活のマナー等をスポーツを通じて教えているようです。さすが、教育者ですね。
芋は、大きいものがありましたが、彼は、耕作が初めてらしく、苗の植え方を反省してました。
帰りに爺は、沢山のサツマイモ(画像)を頂戴しました。

※“幼馴染のN氏”とは、何を隠そう、知る人ぞ知る{総合格闘空手}の滑川康仁選手のお父さん。!!
彼は、息子さんが選手になってから、ず~っと息子の追っかけの日々を過ごしたとのこと。息子さんの成長と成功を追い願っていたのですね。

下記のURLは、滑川選手が加入している団体「総合格闘空手・蒼天塾」です。

蒼天塾ホームページ

滑川康仁

滑川康仁diary(本人ブログ)

懐かしい北茨城市大津漁港

2005-10-10 | 北茨城市の歴史
北茨城市大津町は、爺の父の故郷であり、その実家には、伯父(父の兄)も従兄弟も亡くなり今は、従兄弟の子が住んでいる。

爺が子供時代に姉兄と“しょっちゅう”泊まって遊んだ時代から比べれば、大津の家族との疎遠は、時代の経過から当然と思っても、淋しい気持ちになってしまう.

当時、大津の伯父の所に泊まりに行くには、磯原駅から汽車に乗り関本駅(大津港駅)で降り、駅広場で客待ちしている日立電鉄のバスを横目で見て、姉兄と、したすら歩いた。

伯父の家は、駅前通りの港から約0.5キロ手前の右側にあり、駅から約3キロのところだが、子供の足だと遠く感じる。

伯父宅に泊まると、よく映画を見た。

別の伯父(既亡)の銭湯「亀の湯」が「大津劇場」の裏にあり、ここに泊まると、今見てきた映画のトーキーが流れてきて、寝床で場面を思い浮かべて、子守唄代わりに聞いたりした。

この「大津劇場」は、既になく、現在は、駐車場になっている。

※下記URLは、大津古事記「西丸哲三からの手紙」として、幕末の尊攘派の志士・西丸帯刀の孫、西丸哲三が、爺(ブログ管理人)の父の伯父・鯉渕亀吉宛に送った大津町の歴史などを綴った書簡です。ぞうぞご覧下さい。

大津古事記「西丸哲三からの手紙」

去年のアケビ

2005-10-07 | 爺の想い
昨年、爺宅の生垣に生った紫アケビです。

アケビ(木通・通草)をインターネット辞書で引くと、アケビ科の蔓性(つるせい)の落葉低木。山野に生え、葉は長楕円形の小葉が五枚手のひら状につく複葉。春、淡紫色の雄花と雌花とが咲く。秋、長楕円形で淡紫色の実がなり、熟すと裂け、果肉は甘く食べられる。木部を漢方で木通(もくつう)といい、薬用。蔓でかごを編む。近縁種にミツバアケビ・ゴヨウアケビがある。《季 秋 花=春》「一夜さに棚で口あく―かな/一茶」とあります。

アケビは、爺が幼い時、兄と近所の友達とで、爺が今住んでいる付近の山で、山栗採りをして、アケビも見つけて採ってきたことが何回かありました。

見つけたアケビは「石アケビ」と云って皮が固く、紫アケビより小柄な実でありましたが、見つけたときは、兄と一緒に“鬼の首”を捕ったように喜んで家に帰った思い出があります。

国勢調査に思うこと

2005-10-06 | 爺の想い
婆は、市から今回も国勢調査を仰せつかっている。毎日を退屈していた婆としては、有り難い事と感謝しているらしい。

調査エリアは、爺婆が住む隣の山を開墾した新しい住宅区域である。
この住宅区域は、現在も宅地売り出し中のため、前回調査時点では、60~80軒位であったものが、今回は、100軒を越えている為調査は大変であるが、やりがいがあるという。(爺も運転手として協力している。)

今回の調査は、国勢調査PRや個人情報保護法施行後の今回の巷の国勢調査事情などのマスコミ情報が住民に浸透しているのか、未だ調査票は回収途中であるが、全体的に協力的が大半の中で、調査員から情報漏洩を心配するのか、専用封筒に封をして婆(調査員)に渡すのが三割位となっている。

調査手順は、①「国勢調査お知らせ」チラシ(画像)の配付、②調査票用紙の配付、③調査票の回収となるが、チラシの配付は、調査対象者が留守の場合は、ポスト投入でよいが、用紙の配付、回収は、対面説明、調査となり、留守、訪問するも調査票に未記載及び、相手の都合が悪い場合は再訪問する事があり、約束の訪問時間が早朝又は真夜中の8時、9時にもなり、場合によっては再三、再四と足を運ぶ大変な調査である。

一方爺地域の担当調査員は、説明書、市国勢調査事前説明会でも国勢調査票用紙を住民に記載依頼する時は、「専用封筒」も共に手渡すことになっているが、国勢調査票用紙だけで専用封筒は、手渡していない。

そこで、調査員に専用封筒無配布の理由を聞くと、「汐見が丘居住の市職員のかたが専用封筒は配付しなくても良い。」との理由で手渡していないとのこと。
更に話を聞くと、この市職員は、国勢調査事務に直接拘ってないようである。

昔の役場時代の職員であれば、殆んどの業務に携わって、何でも情報を得ていたという。しかし、現在の職員は、担当の業務以外のものは、常識的な情報は得ているが、専門的なものは解らないし、その職員が以前に国勢調査主管課の職員だとしても、五年経過して法律の改正等で取り扱いが変わっている可能性が多い筈である。

この調査員にとって市職員は何でも分る絶対的神的存在と思っているらしい。

追記(訪問して感じたこと。)
※夫婦共留守で午後八時頃まで帰らないところが何軒かあったが、これは、爺が思うには、「男女雇用機会均等法」のために従来、夫の先に帰り、夕飯の支度をして、子供に食事を与え、夫の帰りを待つパターンが多かったが、妻も時間外労働をさせられ、子供は、放置状態の様変わり。
この現象は、新築住宅のために、住宅ローンの返済などに頑張っているのだな~と、涙がポロリ。

“がんばれ、れいな”

2005-10-02 | れいな日記
「れいな日記」の主人公のれいなです。(画像が後向きで御免なさい。)
昨日、れいなの通う幼稚園の運動会が行われました。
当日は、爺婆とK伯父そしてママ方の婆と伯母、従兄弟たちの応援があり、れいなは、大分張り切っていました。
画像は、ベストロケに立ち正面撮りを狙っていましたが、れいなに気づくのが遅れて、やむなく、バック撮りとなってしまいました。
競技状況は、紅白のリレーで遅れをとっている白(れいな)が距離を縮めて紅を攻めましたが、残念ながら抜き去ることはできませんでした。
足の遅いパパの子供とは思われない“れいな”の一日でした。