れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

十石堀 北茨城市

2007-08-20 | 北茨城市の歴史
当石碑は、常磐線磯原駅東口脇の〝ふれあい公園〟内の「沼田主計」顕彰碑

十石堀とは‥
今のような技術力も機械力もない260年前の寛文8年(1747)、松井村庄屋の惣領(跡とり)・沼田主計が高台の松井地区に、山又山を越えて約13㌔先の大北川から農業用水路を掘り、用水を引いた話です。(十石掘はその用水掘の名前である。)
当時の工事作業には並々ならぬ苦労が伺えられる。
※詳しくは別ブログの‥
北茨城をつくった先人たち(十石堀の沼田主計)をご覧下さい。


十石堀1
急な流れも‥


十石掘2
緩やかな流れのところも‥


十石掘3
常磐高速道路の上も流れ流れて‥


用水は高台の松井地区に注がれ‥
今年の秋も黄金色の稲穂が垂れることであろう。
このように沼田主計の十石掘は今もなお存在し、松井地区農民生活を維持していて感謝されている。


松井地区遠景
山の頂上付近が松井地区(上桜井地区から望む)

北茨城市家族キャンプ村「花園オートキャンプ場」

2007-08-18 | 北茨城市の観光
詳しくは‥
グリーンふるさとキャンプ場ガイドHP
北茨城市家族キャンプ村花園オートキャンプ場でご確認下さい。

童謡詩人・野口雨情、日本画家・岡倉天心ゆかりの地、北茨城の海とこの山の織り成す自然は、訪れるきみの心をきっと魅了する。
花園川が間近を流れる自然の懐で快適オートキャンプ体験は如何ですか。



小雨のキャンプ場
朝8時30分頃にキャンプ場を訪問した。管理人の話では、昨日までのお盆の期間は、サイトスペースが完全に埋まっていたが、お盆が過ぎての今日は8割位の利用率とのこと。しかし、普段は賑やかなキャンプ場は、テントは張ってあるが悪天候の所為か人影がない。


水遊び場
晴れていれば、子供の元気な声が聞えるのだが‥


帰り仕度
予定通りの日程を終えて、たぶん楽しんでのお帰りなんでしょう。


お目覚めは未だ‥
昨夜は、はしゃぎ疲れて、今日は〝雨か‥〟とがっかり気分なのでは‥


やっと朝食家族発見
朝食は主食のパンと、ポテトと卵で作ったオムレツのようだ。


ケビン付近のオートキャンプサイト


バーベキューハウスとその内部


ケビン棟(5棟)


ケビン棟からの眺め

大津の盆船流しPart2 北茨城市

2007-08-16 | 北茨城市の観光
最初に前回の「大津の盆船流しPart1」をご覧下さい。
このワラ作りの盆船はゆう・そろー(お船会館)の展示品。(この前が霊前となる。)
盆船流しの行事が終われば、このワラ船は、ゆう・そろーの展示室に戻される。

北茨城市伝統行事の一つ「大津盆船流し」が今日(8/16)6時から大津漁港内市場広場で行なわれた。 
まず大津地区伝統行事推進会々長(北茨城市会議員)村田洋文氏、同名誉会長(北茨城市長)豊田稔氏の挨拶後、御霊を供養する為、地元寺の住職3名での読経と10人からなる若衆の〝ジャンガラ念仏踊り〟そして、新盆遺族の焼香が続いた。
その後、最後のイベント〝盆船流し〟が行なわれ、漁船を模したミニ盆船が、6~8隻直列に綱につながり、線香の煙を〝煙突からの煙〟に見立て、煙を棚引かせて漁船に曳かれていった。(盆船は後ほど回収される。)



〝ジャンガラ念仏踊り〟は、霊を鎮めるとされる。


新盆を迎えた遺族らの焼香


盆船以外のお盆流し
この方がかなり多い。


お船流し
直列に6~8艘の盆船が漁船に曳かれ湾内を一回りして、ゆう・そろー(お船会館)近くの回収場所に向かう。



盆船の行列


盆船の回収 1
盆船主らが我家の盆船の到着を待っている様子。


盆船の回収 2
盆船回収作業は、海水が船内に入っていてかなりきついらしい。


盆船の行末
使用した盆船は廃棄されるもの。寺に寄贈され、寺がその後、安価で貸出用にされるもの。など様々とか。


盆船牽引を終わった漁船がフルスピードで帰って行った。

大津の盆船流しPart1 北茨城市

2007-08-14 | 北茨城市の観光
霊前に置かれる盆船
新盆の家では、盆船を誂えて霊を船中に納め、16日の送り盆に海(あの世)に流してお帰り頂く行事である。
盆船は、何艘にも繋がって漁船に引かれて沖に出る光景は、誠に見事なものである。(小さい盆船は漁船に載せられて沖に放つ。)
盆船流し・ジャンガラ念仏踊りは、送り盆の8月16日(木)午前6時に北茨城市大津漁港で行ないます。是非ともお出かけ下さい。


加工中の盆船


霊前の盆船は自慢するかの様に置かれている。

新盆を迎えた家ではこの盆船をつくり、早朝に海岸(現代では大津港)に持ち寄る。舳先と船尾に船頭に見立てた人形を乗せた盆船には、帆が張られ、供物を積んでいる。読経と「ジャンガラ念仏踊り」が終わると、盆船ははしけ船(漁船)に積まれて海上に運ばれそこで流される。現在では海をきれいにしておくために盆船の回収が行われている。県指定無形民俗文化財。

「平潟港主水(もんど)まつり」風待ち港コンサート 北茨城市

2007-08-13 | 北茨城市の観光
永年手付かず荒れ放題の〝主水屋敷〟の茅葺屋根も〝主水まつり〟とネーミングで市民に関心を持たれ、この日ばかりは市民権を得て微笑んでいるかのようだった。
(画面右側の茅葺屋根が主水屋敷)

8月12日午後3時、平潟漁港特設会場において町興しの一環として「第一回平潟港主水まつり」風待ち港コンサートが開催された。
豊田稔新市長は選挙中の公約の中で、観光行政の活性化を図る一つとして「鈴木主水屋敷」の再生を挙げていたが、早速ネーミングを事始に実行に移したのである。
市職員の話しによると、市長自らが主計屋敷関係者と会うなど積極的であるが、主水屋敷そのものを買収することは、今になると相手相続権者が多く存在し、屋敷の土地境界が不明なことなど、直ちに買い上げることは難しいので当分借用の形に為るのではないかとの事。
その後は、市民憩いの「主水屋敷」として平潟町の象徴に生まれ変わる事を多くの市民が待ち望んでいる。


豊田稔市長(左側)と志賀秀之市議会議長のごあいさつ
(この画像は、別々に撮ったものであるが、都合で一つに合成したもの。)


市長側は、この催事を企画実行した実行委員の皆様


市議会議長側は、地区役員、市会議員の皆様


中学生・高校生の吹奏楽部による演奏
参加校は、市内中郷中・華川中・常北中、磯原高・北茨城高が参加し、暑い中一生懸命に演奏していたのが意地らしい程でした。


地元旅館組合の足湯のサービス


今年5月結成されたという〝ようそろー・よさこい連〟のおどり
平均年齢?歳のお嬢さん、皆様お元気で張り切っていました。


この日のため平潟小学校生も踊りに張り切っていました。
衣装(ハッピ)は、お爺ちゃん、お父さんから大漁旗を提供してもらい揃えたとのこと。


ギターの弾き語り
その他、地元アマチュアバンドコンサート、地元出身の音楽家・大塚利恵コンサート、花火大会などが続いたが、夕方で周囲が薄暗くなり、私の内蔵ストロボだけのカメラでは、撮影不可能のため、ここから撮影を諦めた。


おまけ
お盆中は漁船の操業はお休みであるが、釣り船だけが忙しく客の世話をしていた。

※鈴木主水とは‥
過去のブログをご覧下さい。