当石碑は、常磐線磯原駅東口脇の〝ふれあい公園〟内の「沼田主計」顕彰碑
十石堀とは‥
今のような技術力も機械力もない260年前の寛文8年(1747)、松井村庄屋の惣領(跡とり)・沼田主計が高台の松井地区に、山又山を越えて約13㌔先の大北川から農業用水路を掘り、用水を引いた話です。(十石掘はその用水掘の名前である。)
当時の工事作業には並々ならぬ苦労が伺えられる。
※詳しくは別ブログの‥
北茨城をつくった先人たち(十石堀の沼田主計)をご覧下さい。
十石堀1
急な流れも‥
十石掘2
緩やかな流れのところも‥
十石掘3
常磐高速道路の上も流れ流れて‥
用水は高台の松井地区に注がれ‥
今年の秋も黄金色の稲穂が垂れることであろう。
このように沼田主計の十石掘は今もなお存在し、松井地区農民生活を維持していて感謝されている。
松井地区遠景
山の頂上付近が松井地区(上桜井地区から望む)
十石堀とは‥
今のような技術力も機械力もない260年前の寛文8年(1747)、松井村庄屋の惣領(跡とり)・沼田主計が高台の松井地区に、山又山を越えて約13㌔先の大北川から農業用水路を掘り、用水を引いた話です。(十石掘はその用水掘の名前である。)
当時の工事作業には並々ならぬ苦労が伺えられる。
※詳しくは別ブログの‥
北茨城をつくった先人たち(十石堀の沼田主計)をご覧下さい。
十石堀1
急な流れも‥
十石掘2
緩やかな流れのところも‥
十石掘3
常磐高速道路の上も流れ流れて‥
用水は高台の松井地区に注がれ‥
今年の秋も黄金色の稲穂が垂れることであろう。
このように沼田主計の十石掘は今もなお存在し、松井地区農民生活を維持していて感謝されている。
松井地区遠景
山の頂上付近が松井地区(上桜井地区から望む)