れいな日記《Reina- diary》

複数画像で北茨城市の歴史、観光、ニュースなどをお伝えし「北茨城市」を勝手に応援しています。

生き返りました。 北茨城市

2007-06-26 | 爺の想い
最新式の胃カメラ機器のこと。


掛り付けの病院です。



医師(せんせい)から“胃カメラ画像を見ると、胃の状況は多少爛れ気味だが、それ以外は異常なし。”との説明有り。
兄が胃ガンで逝っているだけに、自分は大丈夫と思っても、医師から「異常なし」の言葉あるまで心配だった。

胸が痞(つか)える自覚症状
爺は、6/21日頃の5日前から食事をすると胸が痞え苦しい状態が続いたので、2ケ月度に高血圧症で病院に行く予定になっていた6/25日に合わせて診てもらった。
医師(せんせい)は「診察の結果は大したことはないと思うが、一応胃カメラで診るか」と、その明日の今日に胃カメラ診療の予定を入れてくれた。
結果は、医師のお見通しのとおり、食道も胃腸も潰瘍の障害物がなく、綺麗そのものだった。
胃カメラ診療後、医師の病気診断は“胃酸の逆流からのもの”とのことだが、詳しくは、1ヵ月後(今回は2ケ月ではなく)来院時説明するとのことだった。
爺が、もし悪性腫瘍(癌)であっても、このことをブログ公開しようと思っていたが、良性腫瘍もなく、何かに騙された気持ちであるが、もちろん本心は、未だ生きられると嬉しかった。
※現在爺の私は、高血圧症で投薬治療のほかは病気はなく、この健康体について毎日、神様、仏様、皆様全てに感謝して楽しく生活している。
これからも、皆様のお邪魔にならないようにして生きていきたい。

○呉羽総合病院のホームページです。

“花園もーる”とあやめ祭り 北茨城市

2007-06-24 | 北茨城市の観光
花園もーる
施設は、花園地区住民の皆様が管理し、地域住民の集会場として又、花園神社(渓谷)帰り時の観光客などの休憩所としての多目的集会所です。


花園もーる内部
ここ花園もーるは、磯原方面から行くと花園神社から約2キロ手前にある。
普段は、どなたでもトイレとこの内部の一角及び庭先を利用することができる。
(地区住民が毎日当番制で施設の鍵の開き閉め、清掃を行っている。)


花園もーるは、元花園小中学校敷地
花園モール施設は広い敷地、後は北風を防ぐ山があり、前は広い庭になり、冬期などは暖かい日が差し込み、建物の長い濡縁や切株のベンチなどでの休息はまさしく天国である。


出店の主人は、主に地元の農産物生産者
この時期は、農耕作業が忙しいため、出店が少ないとのこと。


特別出品店
平潟町水産加工業の特別出品店です。
綺麗なお姉さんをおもわずパチリ。本当は、お姉さんにモデルをお願いしてあやめ園で撮りたかった。(笑)
(本人顔出し承諾。)


あやめ園
花園もーるから花園神社方向に約200メートル先左側に地区住民が休耕田にあやめを植え管理している“あやめ園”がある。


あやめ 6の1


あやめ 6の2


あやめ 6の3


あやめ 6の4


あやめ 6の5


あやめ 6の6


来る途中の清水汲み場(おまけ)“マウントあかね”先約500メートル
ここを通る度に2~3台並んでいて、いわきナンバーの車や遠方からの車が多い。


汲んだ水
ここの清水は、ミネラルを多く含み美味しく、家庭用は勿論、営業のコーヒー店やラーメン店なども用いているとのこと。

北茨城市花園もーるあやめ祭
今日は北茨城市花園地区にある「花園もーるあやめ祭」に行ってきた。
この催しは、地域活性化の目的で行われるものであり、地元住民と市職員が2日前の金曜日にテント6~7張りを前庭に準備していたとのこと。
新市長がお出でになるとの情報から暫らく待機していたが、午前中はお出でにならず、午後野暮用があり、やむを得ず帰途に着いた。

老人介護施設特別養護老人ホーム「エスコート磯原」を見学して 北茨城市

2007-06-20 | ローカルニュース
エスコート磯原の正面


入浴器具も最新式なもので専用の車椅子ごと湯に入り身体を洗うものがあった。(右下)


明るいロビーでお友達とテレビ観賞


介護のお姉さんとディサービスで楽しんでいる老人たち


広々とした個室


施設の配慮
この張り紙から常に入所老人の住み良さと人権が守られる体制が伺える。

施設見学
今日爺と婆は、将来お世話に為るかもしれない“老人ホーム”見学に行って来た。
私爺の「老人ホーム」のイメージは、お年寄りを面倒見る家族がいない。家族の邪魔にされている。など窮地に陥っている方々がひっそりと団体生活の中で暮している状態を想像していたが、そうではなかった。
爺の一番関心の事は、介護になった場合に手間のかかるのは風呂であるが、最近機器が備わり簡単に入浴できるようになっいる。
そして、明るく広い施設なので、入所のお年寄りは、気分も明るく伸び伸びの様子だった。

施設トップのお考えは‥
福祉サービス提供者として常に利用者の視野に立ち、介護の専門職として何処にも負けないサービスにこだわり、独自のサービス提供に心がけています。

私たちは老人や障害者の生活空間が特別なものであってはならないと考えています。福祉サービスとは日常生活の中でごく自然に行われるものであり、利用者やその家族が地域の中で、何のとまどいもなく社会の一員として人間らしい生活を送る、それが真の福祉社会ではないでしょうか。

私たちは福祉サービスの提供者として資質の向上に励むことはもちろん地域社会に対し、より一層の啓発を推進していきたいと思います。介護の基本は安全に安心して利用して頂くことです。
そして心から「ありがとう」と言っていただけるよう真心のサービス提供につとめます。


施設名:特別養護老人ホームエスコート磯原
所在地:北茨城市華川町車1145番地65
電話:0293-42-8910
※皆様も一度施設見学をされては如何でしょうか。

詳しくは‥
特別養護老人ホーム「エスコート磯原」ホームページ

小川地区定波のブナ植物群保護林  北茨城市

2007-06-16 | 北茨城市の観光

定波地区の「美容室・みどり」前の林道を約一キロ程行くとこの二つの立看板がある。


定波「矢内牧場」の牛たち
ここ定波地区は道路が細く車が通り抜け出来ない状態だったが、約10年前から福島県鮫川村方面への広い舗装道路が出来ていた。


牛の中にこんな可愛いミニホース(ポニー【pony】)が混ざっていた。


この道を更に奥に一キロ位行くと“大金棒地区”があり三軒の人家がある。(内二軒は福島県側)


この様な巨木も多くある。


樹木名が表示され判りやすい。


森の妖精たちが、高い木の何処かで見守っているかのような雰囲気の中、小鳥のさえずりだけが心地よく聞えた。


根っこがしっかり地面に張り付いている。


元小川小中学校入口付近の道路標識
ここからブナ林までは、3㌔走ることになる。

北茨城市の皆さん!!、こんな素晴らしい森林知っていましたか。現地に行かれましたか。
北茨城市小川地区(元小川小中学校跡付近)は、磯原駅から花園地区を経由して、27.8㌔(約7里)のところにある。<花園地区までは15.2㌔(3.8里)>
更に、この小川地区から現地、定波地区のブナ林までは、3.3㌔先である。
ブナ林は、定波地区の“美容室・みどり”前を右側の林道に曲がり、1キロ走るとブナ林に着く。
ブナ林は、普段見ている杉林などとは違い、幻想的な不思議な自然の美しさを感じる。
それは、ブナ林が落葉高木の為、夏は茂った葉が涼しさを作り、冬は葉が落ちるため日が差し暖かく又、これらの木々に動物たちが食べるドングリなどの実がつき、この環境と豊富な食料に、色々な動物が棲み付き、野鳥などが奏でる鳴き声が聞こえてくると、広々とした林での散策は気分爽やかになろうというもの。(‥と空想しながら帰途に着いた。)

奥州と常陸の国境の街は見どころ“いっぱい”‥北茨城市

2007-06-13 | 北茨城市の観光
五浦六角堂
岡倉天心は明治末に五浦海岸の中ほどに居を構え、切り立つ崖の突端にある朱塗りの六角堂で思索に耽ったという。


天心邸
これは、天心居宅の一部です。昭和30年の受入時に、登記簿上48.28坪、実面積46.18坪であったこの建物は、天心在世時には、主屋、離座敷を併せて一百余坪という広大なものでした。建築の経緯を見ると、明治38年に、旧観浦楼の古材を使用して、現在地に建てたのが最初です。このとき、大工の小倉源蔵との間に交わした契約書の見本によると、建坪62.25坪の居宅と、8坪の物置を建築することになって居り、7月には完成したものと思われます。(茨城大学五浦美術文化研究所HPから抜粋)


長屋門
道路に面して立つ木造杉皮葺の長屋門は、明治38年の居宅新築後まもなく建てられたと考えられます。この門には、明らかに古材を使用したことを証拠立てる貫孔を埋木した柱、前の建築の垂木跡をそのまま残す軒桁があります。門扉の部分を除いて、居住部分10坪、物置部分8坪あり、この規模はずっと変わらなかったと考えられます。(茨城大学五浦美術文化研究所HPから抜粋)


五浦観光ホテル大観荘を海側から撮った画像。
左側の赤い建物は、岡倉天心自慢の六角堂であり、ホテル大観荘はこんな絶景地にある。


五浦観光ホテル大観荘 露天風呂(男)左側
早朝は男女風呂がチェンジするとのこと。


五浦観光ホテル大観荘 露天風呂(男)右側


五浦観光ホテル大観荘 露天風呂(女)左側


五浦観光ホテル大観荘 露天風呂(女)右側


保健所の温泉水調査表
五浦温泉は観光ホテル独自の湧出場所の違いから市内民宿が使用する温泉水(加温)より温度が高く、湯もたっぷりなので、源泉かけ流しができるのであろう。


五浦観光ホテル大観荘昼時の「お弁当膳」
これに酢の物とフルーツが付く


奥州勿来の関(北茨城市平潟町地区から北方数キロのところ)
太平洋側の「勿来の関(菊田関。福島-茨城)」は、蝦夷南下の防御や通行人・交易物品の検問などを主な目的として、日本中央に置かれた「白河の関」そして、日本海側の「念珠関」(山形-新潟)とともに奥羽三関といわれた。


いわき市勿来~平潟~五浦~磯原~中郷・華川は見どころ“いっぱい”!
奥州の国、勿来の関(現・福島県いわき市)から常陸の国(現・茨城県)に入り、最初の平潟の町は、棚倉藩の物資運搬港から現在は“あんこう”などが獲れる漁港と約30軒なる“あんこうなべ”を夕餉の膳として出す民宿で栄えている。
この平潟を南に向くと、掌を広げた様な五つの入江からなっている五浦の海は、岡倉天心、横山大観らが活躍した日本近代美術の発祥の地として今もその景勝は素晴らしく、この歴史的条件から茨城県天心記念五浦美術館が造られて、訪れる人々の感動を呼んでいる。
その南の大津は漁業の町で栄え、5年毎の「常陸大津の御船祭」は、街中をねり歩く“勇壮な男の祭”として有名であり、今年5月に、このお船を保存する施設「北茨城市漁業歴史資料館“愛称:お船会館《ようそろー》”」が完成した。(資料館の隣には、新鮮な地獲り魚料理の専門店や土産店などがある。)
又、更に大津の南の磯原は、近代叙情詩人野口雨情の生地でもある。海と山の自然の美しさにめぐまれた花園渓谷の紅葉をはじめ、花貫渓谷、水沼ダムと、四季折々の花が舞い散るときわ路北茨城の旅は深い旅情につつまれることであろう。

お泊りは、天然温泉かけ流しの
五浦観光ホテル・和風の本館・別館大観荘へ‥