A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

宮本常一生誕100年

2007年07月30日 | 流離譚(土佐山北郷士列伝)
 本屋を覗くと、別冊太陽の特集で、「宮本常一 『忘れられた日本人』を訪ねて」というが本が出ていた。8月1日が生誕100周年のためらしい。
 宮本の残した写真は、ネガのまま10万枚あるといわれていて、誌面にも、たくさん興味深い写真が掲載されている。日本中を旅して撮った写真だが、もはやその風景と生活は失われているので、ますますその記録的な価値は高まっている。民俗学者としてのテキストを補完するための写真が一義的であったはずだが、そこに留まらず、見ること、記録することに憑かれているようなところがある。自分の母親を周防大島の自宅近くの野原で火葬し、その骨上げしているところを上から俯瞰して撮った写真まであって、これは尋常なことではない。
 宮本の残した膨大な仕事の全容は未だ以て掴みがたいのだが、その残った仕事よりも宮本という人間の存在の方がより大きいという事情がある。宮本を神格化して、変に賞揚するよりも、その視線の先を見ることの方が重要だし、そこにしか意義はない。
 「民俗学も、もう古老の聞き書きを中心にして資料採取をする時代はなかば過ぎ去ったのではないか」と宮本が描いたのが1965年である。今やそういう時代は完全に過ぎ去った。別の方法を持った「旅する巨人」、「記録する魂」が必要な所以である。

 小田実氏、死去。