「既視感」という言葉がある。
始めてどこかの街や山に行ったときに、ふと「何か前にも来たような感じがするなあ」と思ったりすることがある。
横文字では「デジャブ」というフランス語が日本でも使われているが・・・
あまり頻発すると病的な問題があるらしいが、なぜ、こういう脳の働きが生じるかは解明されていないらしい。
ところで、それとは違って最近、僕はとみにどこかの街や山に行ったとき、ふと「もう一生この場所を見ることはないかもしれない。今日かぎりか」と思うようになってきた。
先日も仕事の関係で京都の奥・花背の近くまで行った。以前は子供たちとよく来た場所なのだが久しぶりだった。そのとき、ふとこの感覚に襲われてしまった。
こういう感覚を単語にした人がいないみたいなので、あえて「不視感」と言わせていただいて・・・
この「不視感」は若いときにもあったが、今は少し違ってその感覚の後に「寂しさ」が影のようについて来る。
以前に、ブログで紹介したが、地下鉄のホームで別れを惜しむ二人の老年の女性の姿を思い出した。
「ありがとう。お世話になりました。お元気でね」と、もう二度と会えないような切実感漂う別れをされていた。
普通、空港の待合室や新幹線のホームではよく見る光景だが、何か卑近な地下鉄のホームでの光景なので驚いた記憶がある。
しかし、今の僕はこのお二人の姿をすんなり受け入れられることができそうだ。
千利休は茶道の心得として「一期一会」という言葉を残した・・・
こうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないもうこれっきりのものかもしれない。だから、この一瞬を大切に・・・
いよいよ、僕も千利休に近づいてきたか?