空華 ー 日はまた昇る

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戦争と平和(映画と小説)

2019-08-10 09:42:05 | 戦争と平和

 


 「戦争と平和」、このトルストイの長い小説は若い頃、読んだことがある。今回、アメリカ映画の「戦争と平和」を見てみた。あの長い小説を読んだということで、映画の方は甘くみていたところがある。ところが、見てみると、中々よく出来ている。


あそこでトルストイは何を語っているのか、大雑把な軸を言うと、ナポレオンがフランス革命の自由、平等、博愛の精神をヨーロッパに広めていく救世主として、ロシアの一部の若い人達にも共感されていたのが、やがて戦争となり、その悲惨な戦い、祖国を蹂躙されることに対する怒り、ということで、ナポレオンに対する怒り・憎しみということに変質していくのである。


これはベートーベンの有名なエピソードでも知られるではないでしょうか。交響曲「英雄」は最初、ベートーベンがナポレオンを賛美していた気持ちの現われから作曲されていたが、ナポレオンの権力欲を見て、激怒したとか。


物語でも、戦争の愚かさと貴族の生活のありのままが描かれている。


 


 「オードリーヘプバーン」がナターシャという少女、伯爵家の天真爛漫な令嬢の役をしている。どうも女性ではこの人がかなり重要な役らしい。


もっとも、一番主要な人物となると、ピエールとアンドレイであろう。二人は最初、ナポレオンを心の中で賛美していた。二人は仲が良いが、ピエールは戦争ぎらいだった。アンドレイ公爵はナポレオンのロシア攻めに対して、祖国を守る戦争に出かけていく。


 


私が思うには、最初は貴族たちの生活は描かれているのだが、彼らは宮殿に住み、毎日、何をするでなし、パーティだの女遊びだの賭博だの、そして貴族の田舎の領地には、農奴がいた時代だったのだ。多くの民衆は食うや食わずの状態だったに違いない。トルストイ自身も伯爵で、広大な領地を持ち、この物語に出てくるピエールはトルストイ自身がモデルだと、耳にしたことがある。トルストイは貴族の生態をありのままに活写したのかもしれない。その描写力は凄い。


しかし、それにしてもこの格差。現在でも、この格差はどこの国でも問題になっている。しかし、それ以上の大きな格差社会がここにはあった。


 


それはともかく、アンドレイは史上有名なアウステルリッツの戦いに参加する。小説では、この戦いについて、詳しく書いてある。ロシア軍の皇帝賛美と士気の高さ。オーストリア軍との合同作戦会議で、ロシアのクトゥーゾフ将軍が居眠りをしていたとか。ナターシァの兄ロストフが偵察に行った時に出会った場面など。例えばロシア近衛兵のフランス騎兵に対する突撃。あやうく味方のロシア兵と衝突しそうになったとか。結局はロシア軍が負けて、烏合の衆と化していく様子が書いてある。ロストフの目を通して見た、負けたあとのロシア軍の悲惨さはすさまじい。


 


その点、映画はシンプルだ。大平原でのナポレオン軍との戦い。アンドレイは旗を持って、突撃していくが、深手の傷を負い、倒れているが意識はあり、色々な考えが浮かんでいる。


 


 小説では、このアンドレイの心理描写が細かく書かれている。


「 『これはどうしたのだ?  おれは倒れるのか? 足をすくわれたようだ 』 こう思いながら、彼は仰向けに倒れた。彼はフランス兵たちと味方の砲兵たちの肉弾戦がどのような結果に終わったか、赤毛の砲兵が刺し殺されたかどうか、 『略 』見たいと思って目を開けた。しかし彼には何も見えなかった。彼の頭上には、空の他には――灰色の雲がゆるやかにわたっている、明るくはないが、やはり無限に深い、高い空のほかは、もう何も見えなかった。『なんというしずけさだろう、なんという平和だろう、なんという荘厳さだろう、おれが走っていたときとは、なんという相違だろう』とアンドレイ公爵は考えた。


【略】  どうしておれはこれまでこの高い大空に気がつかなかったのか? 


やっとこの大空に気がついて、おれはなんという幸福だろう。そうだ!  この無限の大空のほかは すべて空虚だ、すべてが欺瞞だ。この大空以外は、何もない、何ひとつ存在しないのだ。だが、それすらも存在しない、静けさと平和以外は、何もない。おお、神よ、栄えあれ!   」-【工藤清一郎 / 訳】


吾輩が思うに、「ここの所はアンドレイ公爵が神のような虚空に気がついたと書いてくれれば、仏教を知っている東洋人には分かりやすかったのではないか」と。しかし、アンドレイはギリシャ正教という文化の中にいるので、「無限の大空」と「おお、神」という表現になったのではないか。


 


 そこに、馬に乗ったナポレオンが通りかかり、「見事な戦死だ」と言ってから、「おや、生きているではないか。助けてやれ」と言う。こういう風にして、アンドレイは無事に帰還することが出来る。しかし、妻のリーザがお産で赤ちゃんを産むが、それで死んでしまう。


そのあと、アンドレイはひきこもりがちになる。


 


ピェールは私生児であったが、父が病死する時、父の遺言で、伯爵家を継ぎ、莫大な財産も得るが、それを目当てにした美貌のエレンと結婚する。しかし、エレンはモスクワでドローホフ大尉と不倫の関係になり、噂が広まる。宴会の席で、ピエールはドローホフ大尉に侮辱的なことを言われ、ドローホフ大尉の顔に酒をぶっかける。そこで、雪の中を決闘ということになる。どちらかが謝罪すれば、決闘は回避されるらしいが、そのまま決闘となる。ピェールはピストルの使い方すら分からない人だったが、ひょっとした動作の偶然から、勝ち、ドローホフ大尉は傷を負うが、命に別状はない。


あの頃は、よく決闘で死ぬ人がいたと聞いている。ロシア最大の詩人プーシキンがそうだし、天才的な数学者 ガロアも決闘で死んだ


 


それはともかく、この決闘での自分の罪について悩むピエールに対して、ナターシャの一家であるロストフ家が田舎に行こうと提案する。


モスクワとは違い、森林と広い草原があり、そこで馬を乗り回すロストフ一家の貴族たち。


確かに健康的ではある。当時の貴族の田舎生活は優雅なものだ。一度はああいう風に馬を乗り回して、あのようななだらかな美しい平原を乗り回してみるのも悪くないと思わせる映像である。


 


 ある日、ロストフ家の人たちが馬に乗って、狩りをしていると、丘の向こうに馬にまたがったアンドレイがいる。ナターシァの兄ニコライは父に許しを受けて、アンドレイを誘う。


ナターシャは「狩りは楽しい。狼もとれるかも」と言う。


アンドレイは浮かない顔をしていたけれど、一緒に狩りをする。雄大な広々した草原の中を走り回る。そして、ロストフ家で、ピエールとアンドレイは会話をする。


「そんなに引きこもっているのは身体によくない」とピエールは忠告する。


 


アンドレイは栄光ばかり目指していて、早死にした妻に申し訳ないという気持ちと、戦争での指揮官としてのミスを悔やんでいる。


ふと、気がつくと、ナターシャが窓のベランダの所で、ばあやとの会話をしている。


「眠れないもの」


「あんなに楽しい時を過ごしたのですもの」


「ねえ、見てよ。お月さまが素晴らしい」


アンドレイ様は黙って座っているだけ。裁判官みたいにほとんど笑顔も見せない。時々、      微笑している。


ここの場面はまるでシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の会話が優れた詩になっている有名なバルコニーの場面のようである。


 


 ただ、小説では、少し趣が違う。庭園の樹木や植物がこんもりと茂っている中に、射す月光の描写が緻密である。トルストイがシェイクスピアを意識して書いたかどうかは分からない。ただ、映画では、監督が確実にあのロミオとジュリェツトの場面を意識してつくっているという感じがする。


 


そして、舞踏会。収穫がないとぼやき、アンドレイのことが気にかかっているナターシャのもとに、アンドレイ公爵とピエール伯爵が現れる。アンドレイとナターシャは踊り、アンドレイは彼女と結婚しようと思うが、父親に反対される。


 


皇帝とナポレオンの間に条約が結ばれる。そこでのアンドレイの仕事をきちんと終えても、彼女と再婚を考えるなら仕方あるまいという父親のメッセージに逆らえず、アンドレイは出発する。


1807613日  ナポレオンとロシア皇帝は握手をする。


 


オペラを見るナターシャと彼女の一家、ロストフ家の人々。その隣に絶世の美女、ピエール伯爵夫人がいる。その夫人の所に、夫人の兄のアナトールがやってきて、ナターシャに声をかける。アンドレイとのことが噂になっているにも関わらず、横取りしようというアナトールの評判はよくない。


それでも、アナトールは強引にナターシャに求愛する。そして、ナターシャも本物の愛と錯覚して、二人で駆け落ちしようとする。雨の夜、ピエール伯爵が現れ、アナトールが外国に妻がいることをナターシャに告げ、この恋愛ごっこは無効であることを告げる。このことは噂の種になり、アンドレイ公爵の耳にも入り、かっての愛は冷めてしまう。


 


やがて、休戦しようというロシアのアレクサンドル皇帝のメッセージを無視して、ナポレオンはロシアに進軍する。モスクワでは大変な騒ぎ。ロシア軍のトップであるクトゥーゾフ将軍は何をやっているのだという声も聞かれる。


 


ピエールは戦争とはどういうものであるか、頭の観念でなく、実物を見ようとして、戦場のアンドレイ公爵に会い、大平原で押し寄せてくるナポレオン軍を見る。


まあ、戦争を見学しようなどいうのはやはり貴族の考えることと、思われる。戦争は悲惨なものというのは決まっている、やめるべきだというのは現代の多くの人が考えることだと思うが、昔は違っていたのだろう。


知恵ある人間はどうも体験しないと、その戦争の悲惨さが分からない人達がいるということであろう。


戦争は悲惨であり、平和を守ろうというのは歴史から学んできたことであり、つまり学習したことであり、過去の歴史を見ると人類はさんざん、戦争をやってきた。軍人の美しい軍服を見て、恰好いいだの、戦争に行く姿を見て、勇ましいだのというイメージを持ったのは当時のロシアも同じ。だから、戦争ぎらいのピエール、戦争を見てみて自分の考えを確認したいというピエールは当時の貴族でも異端者であったらしい。


フランス軍を大砲と銃で待ち構えるロシア軍。


「怖くないですか」と兵士に言われて、見物しているピエールは「面白い」と言う。


確かに、映画で見ていて、あの場面だけでは、第一次大戦のように兵器がそれほど発達していなかった時代の平原での戦いの前哨戦は優雅であるとも言える。しかし、これが恐ろしい罠なのである。


ナポレオンの大軍の先頭には音楽隊までいて、士気を鼓舞するために音楽を演奏する。


整然と、綺麗な隊列を組んで、多くの兵士が前進していく。


この物語の最初の方でも、若い人達は立派な服装をした勇ましそうな軍人に憧れを抱く。しかし、これは悪魔の罠なのだと思われる。


 


ロシア軍はフランス軍をぎりぎりまで自分の方に引き寄せてから、大砲と銃を放つ。総崩れになるフランス軍。しかし、そのあとから、フランスの騎兵隊がロシア軍に襲いかかる。見物人ピエールの前に展開する戦いは、血みどろの修羅場となり、悲惨をきわめ、死者と負傷者であふれかえる。


ピエールの心は「面白いという興味」から「怒り」と「戦争に対する恐怖と絶望感」に満ちたことであろう。


 


ロシア軍は退却し、ナポレオンが攻めてくるとなると、ロシア軍は戦略上、首都モスクワを捨て、後方に退く。ニコライ家も馬車でモスクワを去ろうとする。そこに多数の負傷兵。馬車の荷物を捨て、負傷兵を連れて、ナターシャのロストフ家は去っていく。


そして、民衆も貴族も一緒に退くが、ピエールはモスクワに留まろうとする。


モスクワに侵入するフランス軍。そして、火の手があがる。モスクワから遠く離れた所の僧院に避難したナターシャ達貴族や民衆は自分達の首都が燃えているのを見る。


 


やがて、ナポレオンは冬将軍を恐れ、モスクワを撤退する。ヨーロッパ大陸を退却していくだけでも大変なのだ。雪の中を何十万という多くの兵士は歩いて、隊列を整えて、フランスに向って行進する。そこをロシア軍が背後から襲うのだ。


ナポレオン軍は壊滅的な打撃を受ける。ここで、何十万という兵士が死んだのだ。


 


やはり、この小説は反戦の文学であると痛切に感じる。小説からも戦争の愚かさ、戦争に向っていく人間の愚かさが伝わってくるではないか。


 


 


脱原発とも関係がある。もっと早くから自然エネルギーの方に投資していれば、このような結果【福島の事故や、五十二基という原発の今後の問題 】にならなかった。莫大なお金が「もんじゅ」などについやされたのだ。原発は単なるエネルギー問題ととらえる向きもあるが、違った声も聞こえる。少なくとも最初、あのように増やしていく意図には、核兵器を潜在的に持てる国家という国家戦略があったのだという声も聞こえる。


 


アメリカでは、大統領も手こずるほどの勢力、産軍共同体があると、アメリカ国民にアイゼンハワー大統領が退任の挨拶でも言っているのである。


オバマ大統領が宣言したように、人類は核を放棄しなければ、真の人類の明るい未来は築けないのだ、その考えに、私も賛同する


勿論、原発はトイレなきマンションというように廃棄物の処理が解決できない。核のゴミを処理できない。それに日本はひどい地震国なのだ。そういうことを総合すれば、脱原発の多くの識者が言うように、私もそちらに賛同の旗を振る。


 


今は人類の危機である。最近の猛烈な台風、災害なみに酷暑などを見ても、温暖化の危機は目に見えるようになっている。PM2.5などの空気の汚染を見ても、公害の問題は深刻化している。原発の問題もそれ以上に深刻。世界に核兵器は沢山ある。こういう中で、今の日本がどういう方向に進まなければと、考えないといけない。我々は過去の歴史で学習した筈である。十九世紀そして二十世紀半ば頃までと同じような、思考方法では、人類は滅びると、私は思うのである。今主流になっている、競争、金銭、格差とは違う新鮮な価値観が必要とされている。争いを必要としない価値観である。寛容な価値観である。愛と大慈悲心による価値観である。


地球の自然は宇宙の奇跡のように、美しい。この美しい地球を守ろうではないか。


 


 


 


           【久里山不識】

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