連日海が荒れていたせいで大量の貝殻が浜辺に打ち上げられている。
遠くから見れば、浜辺一面が貝で多い尽くされているかのようです。
明日から中国内厦門市(アモイ)に4日間出張します。
私の住んでいる“”威海市から飛行機で3時間半飛んだ南のところ、
福建省の台湾に近くで今の時期は22度と温かいので楽しみにしています。
連日海が荒れていたせいで大量の貝殻が浜辺に打ち上げられている。
遠くから見れば、浜辺一面が貝で多い尽くされているかのようです。
明日から中国内厦門市(アモイ)に4日間出張します。
私の住んでいる“”威海市から飛行機で3時間半飛んだ南のところ、
福建省の台湾に近くで今の時期は22度と温かいので楽しみにしています。
12月になると風が強くなり海が荒れる日が多くなります。
遠くの景色は靄がかかっていて霞んで見えない。
コートに身を包んで寒むそうに海辺を散歩しているのは観光客
こんな寒い浜辺には地元の人は滅多に海に近づかない。
海遊び
威海は海があるので夏は避暑地として全国的に有名です。
中国内陸部に行くと見渡す限り平地が続いています。
岩場は足場が悪く滑りやすい、
滑り落ちると波にさらわれてしまい危険です。
内陸の人は海の怖さを知らない。
気がついたらもう12月
今月に帰国しょうと思ったがお客さんが来たりして、
仕事の都合でなかなか帰ることができそうにない。
せっかく河北省までに来たので行くことにした。
山白雲洞までは、車で現在地から159キロ、
高速道路を使って約二時間かかったが無事についた。
(社員には申し訳ないが運転をまかせ、私は後ろで寝てるだけなので疲れない)
廬山白雲洞窟は中国で有名な洞窟トップ10の1つで河北省最大の洞窟
中国には鍾乳洞が数カ所にあり、その内の3箇所は数年前に行ったので
今回訪れた白雲洞窟は4箇所目になる。
到着したのは昼過ぎだったのでお腹が空いた。
この場所は観光化されていないので食堂を探すのが大変でした。
15分ぐらい走ってやっと一軒ぽつんと道路沿いにあったので入ることにした。
昼時だがお客は私達3人だけ。
食堂は夫婦二人で営業をしている。
メニューはこれだけ、
肉ラーメン小6元(120円)
左、肉ラーメン 小を頼んだがそれでも量が多くて食べきれない
右、餅8元(日本円160円)(もやしの中に餅を小さく切って入れている)
これも量が多くて3人で食べきれなかった。
ラーメン二杯とモヤシ餅1皿、昼食3人で合計300円でした。
腹ごしらえができたので来た道を走り白雲洞窟の入口まで戻ります。
洞窟の内部を撮影したのですが、
暗いのとライトアップをしていて明暗が激しくてうまく撮影が難しい
編集をしている途中ですので次回アップします。
河北省の田舎
中国の都心は、高層ビルが立ち並び日本とあまり変わらない。
その点、田舎は昔のままで歴史を感じることができるので私は好きです。
そして何よりも人がとても親切なので居心地が良い。
家の外にあるトイレ
このトイレの良いところは、
誰でも気軽に無料で使用することができる。
難点は、ポッチャントイレです。
男、女と入り口は別れているがドアはないので冬は寒い。
都会ではトイレも綺麗になり田舎でしか経験することができない。
収穫を終えたトウモロコシは家の前に保存しています。
冬をこすための準備で非常食や家畜の餌などになり重宝されている
家の敷地の小さな木に柿が実ってる
柿は今が収穫時です
私はこの村に来て4日目になるが、トイレは例のポッチャン、
風呂はシャワーだけで水の量が少なくて寒いので入りたくない。
しかも、部屋は暖房がなくすきま風が入って寒くて寝れないので限界だ。
用事を済ますまで、あと3日間とても耐えられそうにない!!!
村から40分のところにあるホテルに移動することにした。
古い時代に建てられた農家の民家
中国の古い昔から家は外部の敵から守るために頑丈な石で造られています。
この家は10軒以上の民家が集まって石壁を積み上げて城壁のように造られている。
単独の家も四方を石の壁で囲んで入り口は頑丈な扉で守られているので、
外部の敵も簡単には中に入れないしくみです。
入り口には必ず果物を植えており。
今の季節は柿がたくさん実っています。
民家の入り口
民家の中
壁が四方を囲んで外敵が入れないようになっている
保存食のトウモロコシを軒下に吊るして乾燥させている
冬や最悪食料がなくなったときの非常として食べることができる
この部屋は大きな鍋で料理を作るための燃料を利用して
椅子下に熱を送って暖房としても利用しているので冬は温かい。
この家は何年も使っていないが今では古民家が見直されているので、
今では高い値段で売買されている。
高度成長期では古い建物などを惜しげもなく潰して近代化を進めてきた。
特に北京は北京オリンピック前には古い建物を惜しげもなく片っ端からぶっ壊して
今では近代的なビルが立ち並んでいるが、
私はオリンピック前の古き良き時代の老北京が一番好きだった。