goo blog サービス終了のお知らせ 

もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

風が吹けば桶屋がつぶれる

2020年04月12日 | 野党

 過日のブログで「風が吹けば桶屋が儲かる」と書いた。

 改めて書くまでもなく、一つの事象に確率の極めて低い仮定を積み重ねることで荒唐無稽な結論を導き出す古典落語ネタであるが、現在でも安保関連法=戦争法を導き出したような印象操作に使用される手法である。ちなみに、筋立ては
① 強風が吹いて目にゴミが入り盲人が増える。
② 盲人は世過ぎの手段として三味線に依る門付けとなるために、三味線の需要が増す。
③ 三味線の皮に必要な猫が殺される。
④ 猫が減少するために鼠が増える。
⑤ 増えたネズミが桶を齧るため、桶屋が繁盛して儲かる。
という展開であるが、強風で眼病になる人を100人に1人、眼病で門付けを志す人を100人に1人と過大に想定しても、1億人の人口で三味線の需要増は1万棹で、とてもネズミが繁殖するほど猫が現少するものでは無い。更にオリジナルネタを付け足せば
⑥ 桶職人が増えて、粗悪品が出回る。
⑦ 粗悪な桶を嫌って、竹籠に渋紙を張った代用桶が流行する。
⑧ 篭屋が儲かり、桶屋がつぶれる
となって、「風が吹けば桶屋がつぶれる」という正反対の結論を導くことも可能になる。

 中国コロナの感染を防げない原因として、政府が私権の制限を強制できないことが露わになり、緊急条項を憲法に規定しようとする憲法改正意見が出始めている。立民・国民は「時期尚早」、共産は「火事場泥棒」と黙殺し憲法審査会の開催を拒否しているが、130人を超える感染死亡者数も野党を含む国会議員には黙殺できるものなのだろう。国民の憲法を正すために、あと何人の人柱が必要なのだろうか。


駐韓アメリカ大使の辞意と口ひげ考

2020年04月11日 | 韓国

 駐韓ハリー・B・ハリス大使の辞意が報じられた。

 ハリス大使は、海軍軍人(上級兵曹長?)の父親と日本人の母親の下に横須賀で出生した日系人で、日系人として初の海軍大将となり最後には太平洋地域の陸海空三軍を統括する太平洋軍司令官をも務めた立志伝中の人物である。なぜアメリカがハリス氏を駐韓大使に任命したのかは推測の域を出ないが、日米韓関係修復のためにあえて日系人を指名したものと思われる。大使は海軍在任中に尖閣諸島が日米安保の対象地域と公式に表明したことで日本にもなじみの深い人物である。氏の表明に対して中国は反発したが、韓国もまた竹島問題に踏み込んだ解釈をするのではないだろうかとの恐れを抱いていたとされている。アメリ大使の選任に表立って抗議できない(信任状を拒否することは出来るが)韓国メディアや大衆が、「大使の口ひげは日本統治時代の総督を連想させる」との強引な主張を始めた際も大使は、「日韓に歴史的な対立が存在するのは理解しているが、私がたまたま日系人だからといって、そうした歴史を私に重ね合わせるのは間違いだ」と毅然として一蹴したとされている。一旦は収まりかけた中傷も、駐韓米軍の駐留費増額交渉が本格化する中、「米韓安保は永続的と思ってはならない」と発言したことで再燃して、大使は周囲に「感謝もしないような人たちと付き合いたくない」と漏らす事態にまでになっていると報じられている。大使の去就は将来に俟つとして、歴代の韓国総監・朝鮮総督の風貌を調べてみたら、韓国併合から終戦までの初代伊藤博文公~9代阿部信行大将までのうち斉藤実海軍大将を除いては、確かに立派な口ひげを蓄えておられた。しかしながら、政治家や軍高官が権威の象徴視されていた口ひげを蓄えていた時代はともかく、口ひげがファッション化する以上に自己の自由表現のシンボルと化した現在、口ひげや風貌を忌避の根拠とするのは差別以外の何物でもないと思う。大使は、輝かしい軍歴の傍らで、米国の高級幹部と同様にハーバード大学大学院、ジョージタウン大学大学院、マサチューセッツ工科大学に学ばれた文武両道に通じる紳士で、日系人という出自には左右されない識見を持たれていたと思えば、紳士をも辟易させる韓国人の粘液質と執拗さは想像を絶するものなのだろう。

 前述の口ひげに戻ると、9人の歴代韓国総監・朝鮮総督のうち伊藤公を除く8人は軍人であり、口ひげの無い斉藤実海軍大将以外は全て陸軍大将で立派な髭の持ち主である。ちなみに、ウィキペディアで明治期以降の提督(海軍の将官)の写真を調べたが、殆どは口ひげがなく、あってもチョビ髭であった。思うに、海上勤務にあっては立派な口ひげの手入れも煩雑で、かつ狭い艦内では挙措の全てが乗員に曝されているために口ひげで威圧することや神格性を演出する必要性がないことから口ひげが根付かなかったものかと推測している。


休業補償に反対する

2020年04月10日 | コロナ

 本日は、人と呼ばれることを覚悟しての暴論である。

 現在、緊急事態措置における休業補償の範囲や額に対する議論が喧しい。休業補償は、政府・自治体からの休業要請を受けた職種・企業に対して、要請に協力したお礼としての「協力金」という形での支給が考えられているようであるが、個人の経済活動の逸失利益を税金で補填することは不適当であると考える。商売、経済活動の原則は需給のバランスの上に成り立っており、需要が減った場合に供給元が損失を被るのは避けられないものと考える。お客の来ない店がつぶれるのは致し方のないところで、お客の来ない大きな原因が外出禁止要請であるとしても、天変地異対処の非常措置であれば経営者は当然のリスクと受け止めなければならないのではないだろうか。ドイツやフランスから伝えられるのは、企業に対して雇用者の給与の何割かを国庫負担するもので、そこには経済活動を保護する意図よりも、雇用の継続による被雇用者の生活扶助の意味合いが大きく、アメリカなど多くの国で国民に対して一律に現金を支給することを検討しているのは、国家は国民一人一人の生命を守る義務はあっても、個人が自由意思で行う経済活動に対しては公共良俗に反しない限り関与しないし何等の恩恵・保護も与えないというという、法治の・自由経済の原則に依るものであると思う。日本では今までのところ個人事業主や小規模企業の救済の観点から論議されているが、法と行政の公平性から考えれば外出・イベント自粛要請によって利益を失ったデパート、運輸業者、興行主、投資家、芸能人、アスリート、芸術家、職人、・・・等々、全職種・全企業に対しても休業補償(協力金)を公費で補償しなければならないと思う。こうなればGDPのマイナス分の全てを国費・公費で補填することになり、全国民が公務員・全企業が公営企業と同様で日本が破綻すことになるだろう。過去には経営破綻した金融機関や大企業に対して公的資金を投入して救済し、日航のように半国営企業化してまで保護してきた時には、私企業を保護するために税金を使うことに異議・正論を唱える人が多かったが、今回の中国ウィルス禍ではとんと聞かれない。

 個人事業主や中小企業に対して繋ぎ資金融資のハードルを低くしたり、返済猶予期間を設ける程度の支援策は容認すべきと思うが、協力金と云う体の休業補償はされるべきでないと思う。経済活動にはリターンも期待されるが当然にリスクも存在することを起業に当たっては十分に考慮したはずである。中国ウィルスによって引き起こされた外出自粛要請はリスクが顕在化しただけであり、公的な補償を求めるのは筋違いと考える。


空母ルーズベルト艦長の解任に思う

2020年04月09日 | コロナ

 米海軍の空母「セオドア・ルーズベルト」艦長ブレット・クロージア大佐が解任された。

 解任の理由は、艦内での中国ウィルス感染者の存在と救護を海軍上層部に要請したが、同時に複数のメディアに対しても同じ内容を送付したこととされている。報道では、上層部への要請とメディアへの発信は「書簡」とされているが、空母がグアムへの帰投途次であったことを考えると書簡の実態が良く分らない。常識的には航海中の艦長が自分の意志・判断を発信するのは内部限定のネットに暗号化された電報に依ると考えられるが、米海軍には商用ネット空間に接続できる通信手段をも持っているようである。ともあれ事の顛末は、3月30日に艦長が救護要請発信、4月2日にモドリー海軍長官代行が、直属の上司(太平洋艦隊司令官?)に一切相談していなかったことや書簡をメールで送付する際、部外者を含む20人から30人にも同時に送信し外部に漏えいさせたことなどから、「指揮能力に関する信頼を失った」として、事情聴取もすることなくクロージア艦長を解任した。艦長の書簡には「我々は戦争状態になく、水兵らが死ぬ必要は無い。直ちに行動を起こさなければ最も信頼できる米軍の資源たる水兵を適切に守れない」と書かれていたそうで、艦長が退艦する際には乗員が喝采を以て謝意を表したそうである。一方の海軍長官代行は6日に艦内放送で「彼は艦長になるにはあまりにも世間知らずか、バカだった」とまで酷評したと報じられている。その後5日にクロージア大佐のウイルス検査陽性が判明、7日には世論に糾弾される形でモドリー海軍長官代行は辞任(更迭)した。また、退役軍人の呼びかけによる「クロージア艦長復職」を求めるオンライン請願運動がスタートし5日現在28万5784人の署名が集まっているということも報じられている。以上の動向について、艦長の行為を人道的と評価・擁護する意見がある一方で、極秘事項であるべき兵力運用の核心部分を独断で部外に漏らしたとして軍事法廷で裁くべきとの意見もある。どちらも耳を傾けるべき主張であるが、艦長が解任されて退艦した2日以前から中国ウィルスの症状が出ていたことが明らかにされて以降、保身のために行動する弱い指揮官とする評価が徐々に増えているようで、今後とも大佐が指揮官として部隊を指揮することはないだろうし、海軍に留まれることも無いのではないだろうかと思える。

 今回の騒動について適否は兎も角、3日という短時日で艦長を解任したことは流石である。クロージア艦長退艦の前に後任の艦長が着任したか否かは報じられていないので、おそらく副長が艦長職を代行する形であったと推測するが、自衛隊では平時に艦長(指揮官)不在の状態はまず考えられず任務行動中の指揮官が交代させられた例でも、後任者が着任するまで職に留まったと仄聞している。また、ルーズベルトから2000人近い乗員を退艦させたとも報じられているが、本国の練習空母からの補充等で艦は現在も可働状態に維持されているものかとも思う。このスピード感ある対応こそ我々が「即応体制」として求めるものではないだろうか。


緊急事態条項創設に思う

2020年04月08日 | 憲法

 中国ウィルス禍に対して7都府県の緊急事態措置が発動された。

 しかしながら、措置の大部分は私権行使の自粛要請であり強制を伴うものは無いに等しいために実効性には疑問符が付けられている。強制できないのは、日本憲法が法律に違反した者(犯罪者)以外の私権(身体の自由・精神の自由・経済活動の自由)は如何なる場合であっても制限できないと規定していることに起因しているためであるが、他国では国難に際しては国家権力が一時的に私権を制限できる「緊急事態条項」を憲法に規定している。安倍総理は7日の衆院議院運営委員会で、憲法を改正して緊急事態条項を創設する必要性を説いたが、前向きな日本維新の会を除いて共産党の小池書記局長は「究極の火事場泥棒」、立民の蓮舫副代表は「黙れと云いたくなった」と全否定の姿勢であることから、自民党の中には「国会が(コロナ対策に対して)機能不全に陥っているのに議論すらできないのでは、主要野党以外で憲法審査会を動かすべき」と主張する向きもある。これまで「何か起こらなければ法律ができない」といわれ、現実にストーカー殺人が数件起きて初めて規制法が立法されるというような後追い立法状況であったが、今回の中国コロナ禍に対して憲法が機能しないことが明らかになっても、改憲議論にすら応じない野党の頑なな護憲思考はどこからきているのだろうか。一般的に、現体制の改革・刷新を求める側を革新(リベラル)と呼び、現体制を死守しようとする側を保守と呼ぶので、日本の状況は自公の革新政権と保守原理主義の野党との対決と観るべきであると考える。憲法に緊急条項を創設する主張に対して野党はおそらく飛躍して「戦争をし易くする改正」と反論するだろうが、立憲民主党は国民が何人死ねば憲法改正が必要と翻意するのだろうか。逆に言えばイタリアのように2万人が死んでも、機能不全の憲法は墨守すべきとしているのだろうか。

 18世紀にルソーが社会契約説で個人と国家の関係を考察し以後の政治形態の基本となったが、今の護憲派の主張はルソー以後に世界が努力して構築したどの政治形態にも属さないもので、アナキスト(無政府主義者)と呼ぶのが最もふさわしく思える。飛躍した条件を積み重ねることで結論を出すことを「風が吹けば桶屋が儲かる」論というが、緊急条項=戦争という結論は勘弁して欲しいと思うものである。