神事が動物愛護の波に曝されていることが報じられた。
神事は、三重県桑名市多度町の多度大社で奉納される「上げ馬神事(県無形民俗文化財)」で、既知の人にとって蛇足ながら、神殿前の緩やかなスロープの前方に設けられた高さ2mの土塁を人馬一体で駆け上がり、その成功回数によって豊凶を占うというもので、700年の伝統があるとされる。
動物愛好団体等から「動物虐待」と批判されるのは、4年ぶりとなった今年5月の神事で転倒・骨折した1頭が殺処分されたことが大きい様である。
文化財保護に任じる三重県教育委員会が、平成23年に多度大社に「動物愛護管理法の順守や馬を威嚇する行為の根絶」、「人馬に対する安全管理の徹底」を勧告したが、今回の事象で再度の改善勧告となったとされている。
県教委は「文化は時代の考えや世相に応じて柔軟に形を変える必要がある」と述べているが、大きな違和感を持つ。伝統文化とは「発祥時の骨幹を変えないからこそ意味を持つ」もので、世相に応じて骨幹を変えてしまえば全くの別物になり伝統文化とは呼べない「単なる所作のショウ」になってしまうと思う。700年前の神事発祥時には、庶民にとって宝物として愛しんでいる馬をさえ神に捧げることで豊穣を祈願・期待するという切実な願いが込められていただろうことを思えば、神に縋らざるを得なかったった時代を語り継ぐためにも、動物愛護と云うお涙頂戴に妥協して良いものだろうか。
動物愛好家のいう動物愛護に対しても異見を持っている。
競馬をロマンとする意見は多いが、サラブレッは果たして動物愛護の環境下に置かれているのだろうか。
日本でのサラブレッドの生産頭数は年間約7,000頭で、9,000頭以上の繁殖牝馬から生まれているとされる。現在JRA(日本中央競馬会)に登録されている競走馬は約500頭で5歳まで走るとすれば年間所要を満たすには100頭~200頭で、幾ばくかの繁殖牝馬を残して残りの6,000頭以上は競馬場で走るという本来を果たせないままに姿を消す。また、デビューしたものの成績を残せずに姿を消すことも多いが、その行方については「各地の乗馬クラブなどで安逸に余生を過ごす」と美化されているものの、乗馬クラブの数からそれら全てを受け入れられるべくも無く、屠畜され馬刺しになっていることを皆な知っている。人間の欲望によって、走ることにのみ特化されたサラブレットを機能不十分として屠畜するエゴは、果たして動物愛護の目的に合致しているのであろうか。
闘犬・闘牛(角突き)のために育てられる犬や牛は、飼育者から我が子のように育てられると聞くので、真の動物愛護の下に育てられていると思う。
上げ馬神事の馬もおそらく同様で、そうであるからこそ過酷な土塁越えにも飼い主・騎手を信じて人馬一体で挑戦しているように思えてならない。
時代は進化するが、伝統文化を含む全てを移り行く折々の価値観に迎合するのではなく、「変えるべきもの」と「変えてはならないもの」を峻別しなければならないように思う。食糧危機に陥った100年後の人は上げ馬神事の映像を観て、動物虐待と見るよりは「あんな高価な動物性タンパク質があれば○○人の飢えが救えるのに」と思うかもしれないではないか。
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