もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

日本海海戦と軍歌考

2020年06月09日 | 歴史

 先日の日本海海戦記念日には久松五勇士に触れたが、軍歌についても触れたいと思う。

 ネット上で軍歌とは、「兵士が行軍しながら歌う歌。日本では、明治以降に、軍隊の士気の鼓舞、戦意の高揚、愛国精神の発揚を目的としてつくられた歌や戦友の死への悲しみを題材とした歌も軍歌といわれる」、また「狭義には軍隊によって作られた歌を軍歌とするが、広義には戦時歌謡(軍国歌謡・国民歌謡、一部の唱歌)や軍楽など、軍隊・軍人・兵器・戦争・国体・国策などを題材とする歌や曲をまとめて軍歌と通称とする」と定義されていた。日本の最初の軍歌は、明治維新期の東征軍(官軍)参謀であった品川弥二郎(大村益次郎4)の作と伝えられる進軍歌「トンヤレ節」とされている。その後多くの軍歌・軍国歌謡が出現したが、自分流に分類すると官製軍歌の意味合いが強い「戦闘の詳細を伝えるもの(日本海海戦等)、戦功を称えるもの(広瀬中佐、勇敢なる水兵等)、戦意高揚を図るもの(ああ紅の血は燃える等)」と、自然発生的に愛唱され世相が認めたもの(ラバウル小唄等)と大別することができると思う。軍歌は、国運を賭けた戦争に勝利した際の国民と軍人の偉業と戦意とを謳ったものであるために各国では長く歌い継がれ、アメリカ・フランス・ドイツ・中国・アイルランド・インドネシア・ルーマニア・・・国歌は独立戦争時の軍歌が基となっているが、日本では蛇蝎の如く嫌われてカラオケからも姿を消してしまった。「軍隊その他の集団の歩調を合せて秩序正しく行進させるため」の行進曲も軍歌の一種であると考えるが、軍艦行進曲はだめでスーザの行進曲はOKという奇妙な時代である。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートのアンコール最終演奏はラデツキー行進曲とされており、先人の努力を忘れまい・先人の偉業を継承しようという意識の表れと観ている。

 海軍の軍歌は、前述した日本海海戦や勇敢なる水兵に見られるように、ことの始めから説き起こして戦闘の詳細を謳い士気を鼓舞して終わるという体の軍歌が多く、日本海海戦(海路一万五千余浬)では、歌詞は15番にまで及んでいるが、昭和初期の人は、これほど長い歌詞を理解・暗唱していたのだろうかと思えば、尊敬に値する。拙文をお読みの諸氏にも、メジャーな海軍軍歌「日本海海戦」「広瀬中佐」「第六潜水艇の遭難」「勇敢なる水兵」の歌詞並びにYoutubeの視聴をお勧めするものである。


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