もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

「敵に塩を送る」を考える

2023年06月03日 | 歴史

 先日、テレビの歴史物で「謙信の塩送りは嘘で、却って塩の売却で巨利を得た」とのコメントを観た。

 近年、古文書の発掘などによって「かっての歴史が見直されるケース」が多いので聞き耳を立てたが、どうやら話者が現在の価値観を以てする独断・偏見であるように思った。
 いろいろな文字資料を突き合わせると、謙信が武田信玄に塩を無償で送ったと記された資料は無く、武田氏包囲網を主導していた北条氏の「武田領への塩の輸(移)出禁止(塩止め)の呼びかけに応じなっかただけであるようであるが、謙信が自領の塩商人に対して現行の塩の売却価格を維持するように命じるとともに、その旨を信玄に書状で知らせていることは確認されているようである。
 テレビでの話者は、今様の「敵将に戦略物資を送ることは考えられない」ことを前提とされていたが、当時の武士、就中「謙信」の宗教観や価値観を抜きにしておられるのではと思った。
 武神「毘沙門天」を守護神とし、後には真言密教にも帰依したとされる上杉謙信にとって戦いとは軍団の刀槍が全てであり、庶民を標的とする「塩止め」などは思慮の外である以上に嫌悪感すら抱いたのではないだろうかと考える。

 近年では「明智光秀も実は名君であった」という評価も度々耳にするようになった。根拠として挙げられているのは自領の殖産経営による民心安定や、坂本城の石垣に墓石を使用して民の負担軽減を図ったこと等が挙げられているが、墓石の徴発や比叡山攻撃などを見る限り、倫理観には難あるものの戦闘指揮には長けていた武将とする方が正しい様に思っている。何よりも、本能寺での主殺しは倫理観が著しく欠けていたためとする方が的を射ているのではないだろうか。

 謙信の塩送りに話を戻すと、「敵将信玄に無償で塩を送った」美談とされるのは、明治以降の修身教材として取り上げられて以降であるらしい。
 「史実」と思われるものを後世の価値観で脚色・修飾することは洋の東西を問わずに行われており、韓国の慰安婦・徴用工はその最たる様相と思える。謙信の行為も武士の価値観で測られた江戸期までは当然のこととされ、武士道とは無縁の農民や町民が軍隊の中核を占めるようになった明治期以降では軍人(イクサビト)の心構え涵養のために脚色され、経済万能の現在にあっては「巨利を得た」と脚色を重ねられている。

 最後に、謙信の辞世の一つは「四十九年 一睡の夢  一期の栄華 一盃の酒」とされている。


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