もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

自動ドアをくぐる燕

2023年08月10日 | 歴史

 自ら自動ドアを開ける燕の映像を見た。

 自動ドアを開けるのは、センサーの前で羽ばたきすることでセンサーにヒトと誤認させるという方法である。最初は偶然に自動ドアが開いたものであろうが、その経験を直ちに知識として活用するとは只者いや「ただ燕」ではない。この方法は、一昔前の重力センサーで作動する自動ドアには不可能であるが、重力センサーが感知できない幼児がドアに挟まれる事故が多発して光学式の人感センサーに改善されたことが、燕にまで余慶を及ぼしたものである。当該燕が獲得した自動ドア内での営巣安全は、人間が邪魔しない限り天敵のカラスなどがドア開閉を会得するまで保たれることだろう。
 古人は「賢者は歴史に学び、愚者は経験にも学ばない」と喝破した。当然のことながら自分は後者(愚者)の代表格で、数百回の負けにもスロット台の前に座り、今回こそはと宝くじを買い続け、慢性的な咳を呪いながら煙草に火をつけている。
 テレビで得た知識であるが、体力面で劣る人間が生き残って文明を進歩させ得たのは想像力と言葉であるらしく、想像力は創造力を産んで道具や制度を産み、その産物・結果を伝承するために言葉が生まれたが、さらに社会が複雑になって個人の経験が及ばない領域が広がるにつれ、それらのことを指令・伝承する必要から文字が作り出されたらしい。
 現在では、文字に加え映像まで瞬時に・大量に伝達されるので知識の蓄積は容易となった半面で想像力は古代よりも退化したために、それらを盲信して一旦信じた文字・映像の軛から抜け出せな人を作り出しているのではないだろうか。
 賢者は歴史に学ぶと高く評価されるが「論語読みの論語知らず」との反義語も市民権を得ていることや、高名な○○評論家の近未来予測が外れて「畳の上の水練」と評判されることも多いのは、この辺の綾を言い当てているように思える。

 僅かな想像力を働かせれば容易に眉唾と判別できる小西文書に踊る等は、文字を持たなかった飛鳥以前の民が持っていた想像力という特質を忘れたものであろうか。
 道具とは、人間の器官の能力を補い強化するためのもので、電話は声の到達距離を飛躍的に伸ばし、テレビは常態で見ることもできない遠方を観る視力を与えたとされている。
 現在の憲法や兵力整備の論戦を見る限り、器官の能力不足を想像力で補って進化を遂げた日本人は、器官の能力不足解消とともに想像力を失いつつあるように思える。


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