もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ルーベンス-2

2023年08月15日 | 美術

 終戦の日。

 鎮魂の日、地虫のつぶやきを封印して、ルーベンス絵画を紹介することにした。
 戦場に倒れ或いは戦災の英霊に黙祷を奉げるとともに、台風7号の被害が少ないことを祈るばかりである。
 なお、ルーベンス-1はこちらから。


自画像(ウィーン美術史美術館)


ルーベンスと妻子の肖像(メトロポリタン美術館)


ルーベンスとイザベラ・ブラントの肖像(ピナコテーク)


鏡を見るヴィーナス(個人蔵)


ローマの慈愛(エルミタージュ美術館)


凍えるウェヌス(アントウルペン美術館)


ルーベンスを眺める-1

2023年08月09日 | 美術

 台風接近で不安な週末。ルーベンスを眺めることにした。

 Wikipediaでは《ピーテル・パウル・ルーベンス(1577(天正5)年-1640(寛永17)年)は、バロック期のフランドル(英語読みではフランダース)の画家、外交官。祭壇画、肖像画、風景画、神話画や寓意画も含む歴史画など、様々なジャンルの絵画作品を残した。ルーベンスはアントウェルペン(ベルギー)で大規模な工房を経営し、生み出された作品はヨーロッパ中の貴族階級や収集家間でも高く評価されていた。またルーベンスは画家としてだけではなく、古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家でもあり、さらに七ヶ国語を操る外交官としてスペイン王とイングランド王からナイト爵位を受けた。》とされている。また《若くしてイタリアに遊学して、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレットらの絵画を目にして後に画家としての名声を得た》ともされている。
 童話「フランダースの犬」のネロ少年がルーベンス描く祭壇画の前で天使に導かれて昇天するように、自分はルーベンスの絵は暖かく、多岐にわたる主題の多くが穏やかであるように思っている。
 博学で行動力あるルーベンスは、故郷を離れた場所で名声を得るとともに世界各国で重用されたことを観れば、中世で最も活躍したグローバリストと呼んでも良いように思える。
 ちなみに、ルーベンスの生年(天正5年)は織田信長の勃興期で足利義昭を京都から追放した時期に当り、没年(寛永17)は3代将軍家光の治世である。
 今回は宗教色の少ない絵画を眺めることにし、その他は天候不順の日に眺めたいと思っている。

ここにもあった「スザンナと長老」(エルミタージュ美術館)


「老人の顔」(エルミタージュ美術館)


「サムソンとデリラ」(英・ナショナルギャラリー)


「アグリッピーナとゲルマン人」(米・ナショナルギャラリー)


「パリスの審判」(英ナショナルギャラリー)


「デボラ・キップと子供たち」(米・ナショナルギャラリー)


「レダと白鳥」を知る-2

2023年07月16日 | 美術

 昨日は。失われたダ・ヴィンチの作品と神話について紹介したが、本日はその続編である。

 ダ・ヴィンチが先鞭をつけて開拓した「レダと白鳥」のテーマは、その後多くの画家が目指すこととなったようである。
紹介する9枚は、いずれもWikipedia「レダと白鳥」の項に掲載されているものであるが、高名(自分が知っている)・無名(自分が知らない)を問わず、更には印象派や20世紀前半のフォービズムの画家まで「レダ」に取り組んでいることを思えば、時代を超えて描き続けられたようで、これ以外にも更に多くの作品があるように思えるので、今後の美術館ネット訪問が楽しみである。
 また、中世ではダ・ヴィンチを含めレダの子供まで描いているのに対して、時代が進むとレダと白鳥の交歓に限って描かれているのも興味深い。

 自分が知らないだけであるかもしれないが、江戸末期に西洋画(油絵)が伝来したものの日本の洋画壇では渡来文化を換骨奪胎して薬篭に収める日本人の特質は発揮されず、日本神話を油彩表現した・する画家は現れなかったように思っている。
 次回の作画モチーフは日本神話とすることも考えたが、想像力が及ばないとともに画力も不安であるのであきらめた方が賢明だろう。


ヤコポ・ダ・ポントルモ(ウフィツィ美術館蔵)


ブーシェ(スウェーデン国立美術館蔵)


バッキアッカ(ベーニンゲン美術館蔵)


シャルル・ネグレ(プロヴァンス美術歴史博物館蔵)


ヴェロネーゼ(フェッシュ美術館蔵)


コレッジョ(ベルリン絵画館蔵)


アンドレア・デル・サルト(ベルギー王立美術館蔵)


セザンヌ(所蔵先不明)


イェジー・ヒュルウィッツ(ワルシャワ国立美術館蔵)


「レダと白鳥」を知る-1

2023年07月15日 | 美術

 7月6日に「フローラを学ぶ」と題したブログを作成したが、その中でメルツィの「フローラ(エルミタージュ美術館蔵)」がダ・ヴィンチの画風に酷似しているなぁと思った。ネット上にも情報が少ない画家であるが、フランチェスコ・メルツィ(1491年 – 1570年)はダ・ヴィンチの弟子で、最後まで行を共にして臨終を看取るとともに相続人・遺言の執行者とされていた。

 メルツィの絵画を観ようとネットを渡り歩く途中で、1692年以降に失われたダ・ヴィンチの絵画があることを知った。失われたのは「レダと白鳥」をテーマにした2枚で、1枚はレダが立っており他の1枚は腰をかがめているとされる。ダ・ヴィンチが描いたとされる根拠は、ダ・ヴィンチ自身による準備素描と崇拝者ラファエロを含む多くの画家の模写が存在することと、ダ・ヴィンチ以前には「レダと白鳥」をモチーフにした絵画が無いことであるらしい。
 Wikipediaでは《「レダと白鳥」はギリシア神話のスパルタの王テュンダレオスの妃レダに対するゼウスの恋の物語で、レダは白鳥に変身したゼウスに誘惑され同衾、同じ夜に夫と同衾した結果、ゼウスの子供としてヘレネとポリュデウケスが、テュンダレオス(夫)の子供としてクリュタイムネストラとカストルが生まれた》と解説されており、更にはレダが子供を卵として産んだとされているので、今様には「多卵・多精・卵胎生双生児」とでもなるのだろうか。
 絵画については、まずダ・ヴィンチはひざまずいたレダを描き、1年後に立像タイプのレダを描いたとされるが、後者の方が高く評価されたようで「モナ・リザ」を越える価値(値段?)が付けられていたともされている。
 また、写真冒頭のチェザーレ・ダ・セストによる模写作品も現在行方不明とされているが、富豪の好事家の収蔵庫に眠っているのかも知れない。


 チェザーレ・ダ・セストによる模写(最もダ・ヴィンチに近いとされている)


ラファエロによる模写

 
ウフィツィ美術館蔵(一時期、ナチのゲーリングが所蔵)


フィラデルフィア美術館蔵(オリジナルからの逸脱が大きい)


ボルゲーゼ美術館蔵


腰をかがめたバージョン(ジャンピエトリーノ蔵)

 


「フローラ」を学ぶ

2023年07月06日 | 美術

 ティツィアーノの「フローラ」を眺めていた。

 他の画家にも「フローラ」と題する作品があるが「フローラと聞けば洗剤」の知識しかないので、検索してみた。
 Wikipediaによると《フローラはローマ神話に登場する花と春と豊穣を司る女神。ギリシア神話においてはクローリスという名の下級女神(精霊)が西風の神であるゼピュロスによってイタリアに連れて来られ、以後花の女神になったといわれており、これが後にフローラと同一視された》とされ、ローマ神話も《ローマには独自の神話があったが、紀元前6世紀から ギリシアの影響を受けて、ローマ古来の神々をギリシア神話の神々と同一視する「ギリシア語への翻訳」が行われ、ローマ神話はギリシア神話と密接な関係(ほぼ同一?)を持つようになった》と、それぞれ解説されている。
 成る程!!、フローラは”花と春と豊穣を司る女神”であれば、画家の感興を呼び起こすし、洗剤(柔軟剤)のイメージにも相応しいものと納得できた。


ティッツアーノ「フローラ」(ウフィツィ美術館蔵)


メルツィ「フローラ」(エルミタージュ美術館蔵)


ベックリン「フローラ」(フォルクヴァンク美術館蔵)


ケラー「フローラ」(個人蔵)