2月9日(火)9時15分に起床、外は暖かい日差しに満ちている。春が近づいて
きているのを実感。
芥川賞作家の村田喜代子さんの「エリザベスの友達」(新潮文庫)を読む。認知症
のお年寄りたちが入っている老人ホームの物語りで、これまで全く思いもつかなか
った「終活」の知恵のようなものを教えてくれた。「認知症になってこの世を去る
のも悪くはないな」と思わずつぶやく。もちろん世話する周りの人に多大の迷惑を
かけるのとを承知で、言うのだが。
認知症者は「時空を超え肉体を脱ぎ捨て、好きな年齢・好きな場所に戻って生きる
老人たちは、ある意味最強の自由人だ。彼らが抜け殻のように見えるのは、もう『い
ま・ここ』にいないからだ」と、文庫本の帯封で岸本佐知子さんが言う。
幻影におびえ激昂する認知症患者に、ベテラン看護師は「そんなもの、いないと言っ
てはいけないのよ。目に見えているものはいるのよ。だからここは何でもいるんです。
あたくしたちはそれをどんどんやっつけちゃうの。スーパーマンよ」
「認知症老人の意識は先へは進まない。過去へ過去へと後ずさりして生きているとい
う。考えようによってはもう一度生き直している」
「高齢の年寄りは病気が問題ではない。生命力が問題なのだ。病気で死ぬのではなく
て、生きる力が尽きて死ぬ」
「痛みも苦しみも死の不安もとくに表さないんです。認知症は喜びも感じないけど、
心と体の苦痛の方も認知できにくくなるんでしょうか…それは究極の死に方かもしれ
ない」
作者からの数々のメッセージは、頭上を覆っている死の恐怖のベールを、1枚1枚剥
がしてくれる。死への恐怖も、病魔の苦痛もない臨終・・・冒頭に述べたように「認
知症で死ぬのも悪くはないな」とあこがれる。
認知症になって過去へ過去へ後ずさりして、はるか昔の田舎の子供のころに戻って、
田園や山や川に抱かれて死ねたら幸せだろうな、と思う。
小説の終わりの方で、高齢の認知症の女性が息を引き取る直前、戦争中に軍馬に徴用さ
れて帰らない家族同様に暮らしていた馬3頭が、枕元に現れ「姉っさ。しばらくでやん
す。おめえさを迎えにめりやした」。「ようきてくれた」と姉っさは死出の旅の身繕い
をして、栗毛の手綱をつかんでヨイショッと馬の背に飛び乗るのだ。幸せに満ちた老女
の姿に深く深く、心を打たれる。
270ページ足らずの小説は「人生の終焉を迎える人々を、暖かく照らしてれいる」
(ちょっと長文になってしまった)
10日(木)9時に起きる。今日も朝から良く晴れて、日差しが眩しい。1日中晴れる
かなと思ったら午後になって曇り、小雨も降った。でもすぐ回復、夕方には再び日差し
も出た。
またまた北京オリンピックの話。大会は佳境に入ったようで、20キロクロスカントリ
ーなど、体力気力のいる競技も始まった。登り坂をスキーで駆けあがる10キロ(女子)
や20キロ競技に、観ている方も力が入って疲れる。
男女とも北欧の選手は強い。日本人選手は彼らには到底かなわない。「そりゃセイウチ
やオットセイを狩って食べていたバイキングのDNAをたっぷり受け継いだ民族だからな
あ。そば喰ねえ、寿司食いねえの日本人は、かないっこないよ」と、ツッコミながら観る。
期待の羽生選手はメダルに届かなかった。日本中の悲鳴が聞こえそうだが、熱狂的な羽生
ファンが多い北京っ子も、がっかりしているだろう。
明日から3連休。コロナ感染者の増え方が鈍り始めた。ピークアウトに差し掛かっている
のなら、嬉しい限り。
村田喜代子さんの「エリザベスの友達」
母の友人からの電話を思い出しました。
武ちゃん(母の名前です、夫婦喧嘩をすると武士の武の字なんて偉そうだ!何言ってるの私がつけたわけじゃあないから文句言ってもおかしいでしょ!とよく言い合ってました^ ^)
本文からされましたが戻って
武ちゃん、私ね今度お見合い結婚するの!
お相手の人は国立大学を出た旧家の次男なのよ。
武ちゃんはまだ結婚せえへんの?
当時、母は82才でした。
あきらかに別の世界に行ってしまった友人の話を聞いて
ここは逆らってはいけないと思い。
あんた、ええなぁ。
結婚式には招待してな…と。
その後しばらくしてその方の娘さんから訃報のお手紙が届きましたが、最期まで機嫌良く過ごされたそうです。
本人はきっと幸せだったのでしょうね。
平野選手、金メダルとりましたね❣️
私の母はアルツハイマー型認知症でした。
まだらボケの時には
「何で私はこんなことになってしまったのか?」と
いつも言っていたと姉から聞いていました。
完全にボケていなかったので、とても可愛そうに思えたそうです。
話を聞いていたので、私は認知症にはなりたくないと思っています。
娘に迷惑はかけたくないですが、こればかりは
どうすることも出来ないです。
母も逝ってそろそろ7回忌ですが、若い頃の母を
思い出してしまいます。
とてもいい話ですね!
まさに「エリザベスの友達」で、訴えていた通りの、対応を
されていたのですね。
あの小説で知ったのですが「別の世界に行ってしまった」認知
症の人に、いくら逆らっても「そんなことをしたらダメ」と叱
っても、その人の心に届かないそうです。
作中のベテラン看護師さんのように、怖い動物におびえていれ
ば、その人のところに降りて行って「そんなのはいないよ」と言
うのじゃなくて「怖いのを退治してあげるから」とスーパーマ
ンになって励ましてあげることが大事だとか。
最期まで機嫌よく過ごされたその方は、お母様をはじめ周りの
人たちに恵まれていたからでしょうね。
現実の世界と別の世界と行ったり来たりしながら、認知症の世界
に入って行く人もいるようですね。
私も今でこそ認知症にはなりたくないと思っていても、いつ
ボケ始めるか神様だけが知っていること。
認知症になったら周りに迷惑かけるけど、仕方がないこと。
その時は、もう本人は全く知らないわけで。
死への恐怖心もなく病魔の痛みも感じず「最強の自由人」とな
って、命果てるまで残された時間を楽しく?過ごそうと思って
います。
それもいいじゃないかと…
こんな素敵な認知症だったらいいですね~
以前20年間ばかり老人施設でボランティア活動してました。
一人一人が症状が違うし、根気よくお相手してお話を聞く活動でした。
お話ししているうちに必ず昔の生活、子供の頃、戦争体験でした。
昔の歌を一緒に歌ったりしたこともありました。
自分の家が何処かも忘れていても昔の事は記憶があるのです。
普段誰ともお話ししないので、話を聞いてやる事で気分や顔色が違って来るのが分かりました。
手に負えない方もあり、そういう方は専門の方にお任せでした。
私の友は、親戚の方のお世話していますが
口と足は丈夫だけど、汚れ物をタンスに仕舞うので閉口しています。
男性の場合は、時に横暴になる事もありますネ。
ある意味ではご本人は幸せかもしれません。
なるべくならそうなりたくないです。私は。
でも、この本を読んでみたいです。
ご紹介有難うございます。
施設でのボランティアをされていたのでしたら、日常当たり前
の体験だったでしょうね。
経験ないのでよくわかりませんが、根気良く接して相手の話を
よく聞くことに尽きるでしょうか。
認知症のかたは現実の社会に扉を閉ざして。別の世界に生きて
いるのですから、お相手するのは大変でしょうね。
中には凶暴になる方もいるだろうから、専門の助けもいるでし
ょうし。
ブログには私のつたない感想しか記せていませんので、ぜひこ
の本を手にしてお読みください。
村田喜代子さんは「屋根屋」(講談社)というファンタジック
な小説などもあり、やや怪奇的な作風で知られています。
読んでいて楽しい気分になりますよ。お勧めします。