リュウ庵

尼崎市住む猫大好き人間。
駄文を書くのも好きです。

わが町の米朝さん

2020-03-22 12:41:30 | 日記

半世紀にわたって尼崎・武庫之荘で暮らした人間国宝で落語界の重鎮、桂米朝

さんがお亡くなりになって5年たちました。

街の人たちは今でも、米朝さんは「わが町の米朝さん」として、心の中でしっ

かりと生き続けています。

豪邸じゃないけ瀟洒なお屋敷の目印のように、庭から桜の古木が姿を見せてい

ます。

「外面はええけど家から見たらさっぱりや」と米朝さんをボヤかせたという桜は、

今年もたくさん蕾をつけ、ピンク色に染まっています

 

米朝さんの話芸は最高でした。

端正なお顔から紡ぐはんなりとした関西弁には上品な香りが漂い、至芸の話術で

ニヤリ、ワハハ、クスクス・・・

「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」、「饅頭こわい」、

「鴻池の犬」、「千両みかん」、「らくだ」などなど・・・最高でしたね。

 

新婚当時、引っ越して間もない夜、家の前をぶつぶつつぶやきながら乳母車を

押して、若い人が行ったり来たりしています。

女房に「変な奴がいるから気をつけよう」と気味悪く感じたことがありました。

その「気味の悪い人」は、後に米朝さんをして「あいつは弟子やない、ライバル

や」「私よりずっと大きくなる」と言わしめた、桂枝雀さんだったのです。

枝雀さんは59歳で自裁、落語ファンを悲嘆にくれさせることになるのですが。

 

米朝さんは晩年、お弟子さんや双子の息子さんに両脇を支えられて我が家の前を

散歩、花の手入れをしている私に「これは何という花かいな」とか、気さくに話

しかけてくれました。

足腰はかなり弱っているのに頭脳明晰、言葉は明瞭、話の受け答えもしっかりさ

れていたの印象に残っています。

 

平成8年に人間国宝(9年に文化勲章)に選ばれ、町内でお祝いをしましたが、

返しに「かつら米朝」を染め抜いた浴衣地を配られた。

胃がん手術で2か月入院した時、カセットテープ「米朝落語全集」全41巻を持

込み、繰り返し聞いて単調な入院生活を慰めてもらったのも忘れられない。

 

「米朝さくら」は間もなく満開になり、地域の人たちは改めて米朝さんのお人柄を

のぶことでしょう。

 

   <米朝さくら 塀に優雅な花の影(昨年写す)>

  人間国宝お祝いのお返し、浴衣地

 

  米朝落語全集のカセットテープ

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「米朝さくら」 (kei)
2020-03-22 17:26:46
米朝さんや「米朝さくら」にまつわる素敵な思い出、お話を聞かせていただきました。
言葉を交わすこともある、御町内さんだったのですね。
私は落語に詳通じてなくて…、ですが、
リュウさんの文章にもやわらかな、上品な香りが漂います。
落語のほかに素敵なものを残されたのですね。
通る人へのお花見にと、桜も米朝さんの心遣いかもしれません?
返信する
keiさん、こんばんは (リュウ)
2020-03-22 21:52:33
コメントありがとうございます。
米朝さんは本当に気さくな方で、町内みんなから親しまれていました。
町内会の誇りでしたねえ。

毎年、お正月にはお弟子さんたちは、米朝さん宅に集まって全員
近くの神社に初詣されてました。
高校生の娘が途中で出会い「近所の○○です」と、米朝さんに
挨拶するという大胆ことをやらかしても、米朝さんはにこにこして
「おめでとうさん。今年もよろしくね」と返事してくれたとか。
帰ってきた娘は興奮して話してくれました。
それほど街に溶け込んだ、気さくなお人柄でした。
返信する
Unknown (larala)
2020-03-23 18:19:22
もう亡くなられて5年も経っているのですね。
米朝さんの落語は聞いていて気持ちの落ち着く語りでしたね。
あまり詳しくないですが、そんな印象を持っています。

>端正なお顔から紡ぐはんなりとした関西弁には上品な香りが漂い・・・。
私もそういう感想です。

ご近所さんだったんですね。
お話もされたり、それなりのお付き合いもされて、
桜の咲く時期にはいろいろ思い出される事もあるのでしょう。
塀に桜の影を映したフォトも素敵です。
入院時には米朝さんの全集を聞いて過ごされたのですか・・・。
返信する
おはようございます (リュウ)
2020-03-24 11:43:20
laralaさん、コメントありがとうございます。
はい、もう5年たちましたが、米朝さんの評価が衰えません。
米朝さんほど大きな人脈を作り上げた落語家はいないでしょう。
米朝宅の書斎を訪れた人によると、膨大な書籍に圧倒されたといいます。
落語家というより学者だと思った、と言っていました。

全然偉ぶることなく市井の一人として、町の人と気さくに付き合って
いましたからこそ、今も尊敬されているのでしょう。

米朝さくら(私の勝手なネーミング)もそろそろほころび始めました。
またあの優雅な「花影」が見られそうです。
返信する

コメントを投稿