「母の日」(5月12日)が近づいてきました。
この日が来ると、いつもある母の手紙を思い出だします。
昭和の左甚五郎といわれた彫刻家・阿部晃工(1906-1966)
が、苦労して入った東京美術学校で、相撲の稽古中に右腕を複
雑骨折した。
彫刻家には致命傷であり自殺を考えたほどで、故郷(北海道)の
母に「帰りたい」と訴えたらしい。
母からは次のような手紙が来た。
「手紙を見ました。大分困っているやうですね。(略)今家は大変で
す。
一銭のお金も送ってやれません。母はお前を天才児として育てて来
ました。母はそれが誇りだったのです。
今お前も一人前になりました。その一人前の人間が食べられないか
ら帰るとは何事です。
乞食でも野良犬でも食べて居ます。お前は野良犬や乞食にも劣る
意久地の無い男ですか。
母は末っ子のお前を甘やかして育てたのが悪かったのです。けれども
そんな意久地なしには育ててないつもりです。食べられなければ食べ
ずに死になさい。何で死ぬのも同じ事です。(略)
お前は母がいつ迄も優しい母だと思って居るのは間違いです。帰って
きても家へ入れません。死んで骨になって帰ってきなさい」
手紙の末文には、
「そして一日も早くお前の死んで帰る日を母は待って居ます
喜二郎どの母より」
(作家の出久達郎さんのエッセーから知る)
なんという厳しい「母の手紙」だろう。
安部晃工はこの手紙に発奮、左手で制作して次々に入選を果たし、
日本彫刻界の重鎮になった。
なお、晃工の母は手紙の翌年に53歳で病死したという。
この母のように、深い愛情を注いでもらった息子は、これまでにど
れほどいるだろうか。
偽の息子電話にやすやすと大金を払い込み、だまし盗られる「オレ
オレ詐欺」被害の母親の多い昨今に、思い馳せる。
<今日の1枚>
母の日にちなんで…
定番のカーネーションをふんだんに
菊は新元号「令和」を祝して・・・
菊は新元号「令和」を祝して・・・
背景をデルフィニュウムの青で染める

