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北山鹿苑寺1 鹿苑寺へ

2022年05月10日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2021年10月30日、久しぶりに北山の鹿苑寺を訪ねました。家を出て地下鉄に乗り、東西線の西大路御池駅で降りて、市バスの204系統に乗り換えて西大路を北上、金閣寺道で降りて上図の門前に着きました。

 

 東口から参道に進みました。コロナ禍のもとで観光客も激減し、かつての大混雑、外国人観光客の波は無くなったものの、日本人観光客の数は他の社寺よりは多く、さすがに洛中第一の人気スポットだけのことはあるな、と思いました。

 

 歩いてゆくうちに、現在の鹿苑寺の山門にあたる総門が近づいてきましたが、視線は自然にその左手、寺域の南側へ向いてゆきました。ここに入るといつもそうなのでした。境内地のあちこちに、昔から気になって仕方がない場所が幾つかあるからでした。

 

 例えば、一般拝観客は立ち入り禁止になっている参道左手の広い林のなかには、いわくありげな削平地や段差面が見え隠れします。奥の方には空堀状の地形も僅かに見えました。これらがただの地形であるわけはなく、いずれもかつての足利義満の北山殿造営にかかわる土木工事の跡であろう、と考えました。近くへ行ってみたい、それらの地形の上に立って探索してみたい、という衝動にかられるのも、今回が初めてのことではありませんでした。

 

 総門前に着きました。何の説明も案内板も無いままに大多数の観光客が通ってゆきますが、ただの門建築ではありません。伝承によれば皇室からの拝領であったといいます。門自体は「金閣寺誌」によれば鹿苑寺第四世住持の「文雅大和尚」こと文雅慶彦(ぶんがけいげん)の在職期に方丈や書院とともに整備されたことが知られ、この事業に際して後水尾天皇より「三百金」を賜ったと「鹿苑寺血脈録」に記されます。
 なので、皇室からの拝領という伝承の実態は、堂舎や門の整備のための資金「三百金」の拝領であったものと理解出来ます。

 

 総門前には御覧のように水濠が引かれて石橋がかけられています。中世戦国期以来の上級武家屋敷の一般的な門構えが、門前に堀または濠をおく、というものでしたから、武門の棟梁たる征夷大将軍足利義満の北山殿の門とて同じであったことでしょう。

 ただし、室町期の北山殿の頃の正門は南にあったといいますから、現在の東向きの総門とは無関係です。鹿苑寺の現在の寺観が整えられた時期にこの総門も置かれたもののようですが、上図の水濠はかつての北山殿の施設を転用している可能性があります。なぜならば、この水濠の南の延長上に、南の空堀跡とみられる窪地と段差が繋がっているようであるからです。

 

 そうなると、いま「舟石」と呼ばれている大きく長い石造物も、手水鉢だとか馬屋の馬の水飲み用だとか言われていますが、本来は別の機能を有した石造物であったかもしれません。庭園の鏡湖池などの水流にかかわる導水施設の残骸ではないかな、と個人的に妄想をたくましくしています。

 

 総門をくぐって進むと、右手に上図の大きな建物が見えてきますが、観光客の大多数は見向きもせずに通り過ぎて拝観受付口へ急ぎます。しかし、私は来るたびにこの建物の不釣り合いなほどの大きさが常に気になってしまいます。

 上図の建物は鹿苑寺の庫裏です。第四世住持の文雅慶彦(ぶんがけいげん)の在職期に整備された庫裏が焼失したため、第十世住持の北澗承学(ほっかんしょうがく)の在職期の天保六年(1835)からの事業によって再建されたものです。
 興味深いのは、この庫裏が、焼失した前の庫裏を踏襲するのでなく、建坪を五割も大きくして再建され、結果的に鹿苑寺の本寺の相国寺の庫裏をも凌駕する規模にて今に伝わっている点です。寺院の堂舎を再建する場合は、もとの規模や構造をそのまま踏襲して建てるのが一般的なのですが、この鹿苑寺庫裏の場合はどういうわけか、もとの規模より拡げ、本寺の庫裏すら超えて巨大化されています。
 再建にあたった北澗承学(ほっかんしょうがく)には如何なる思惑があったのか、天保期の鹿苑寺に何があったのだろうか、と気になってしまいます。

 

 しかも、この鹿苑寺庫裏は、日本の寺院庫裏のなかでも大きなほうに属します。その建築面積は444.3平方メートルを測りますが、この規模を超える禅寺の庫裏建築といえば、京都では妙心寺庫裏(537.1平方メートル)と大徳寺庫裏(492.4平方メートル)の2棟しかありません。禅寺に限らずに日本の全ての寺院の庫裏建築をみると、最大の例は京都の妙法院庫裏(581.2平方メートル)ですから、鹿苑寺庫裏は京都では四番目に大きい庫裏建築であることになります。

 ちなみに鹿苑寺の本寺である相国寺の庫裏は276.2平方メートルですので、鹿苑寺庫裏の六割ほどしかありません。本寺よりも塔頭の建物が立派である事例は幾つか散見されますが、この鹿苑寺庫裏のケースは規模が違い過ぎて極端だなと思います。  (続く)

 

コメント
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