先ほど、TBSのサンデーモーニングを見ておりました。その「風を読む」としう特集の中で、大物がいなくなったという特集がありました。私の世代ではないのですが、「巨人・大鵬・卵焼き」「美空ひばり」が引き合いにだされてきて、平成になって20年もたっての話でもないだろうというのが正直なところですが。。。
さて、防災やら私が専攻した自然地理学でも、同様のことが言えます。私が(1年浪人して)大学に入学した1991年、その4年後に俄然有名になった『新編 日本の活断層』が、図書館の新着コーナーにありました。ちょうどそのころ、段丘面の年代や火山灰による年代測定結果が全国で積み重ねられ、そこへ向かう70年代~80年代にかけては、「○○地域の地形発達史」といった論文が次々と掲載されていきました。太田陽子先生(専修大学)、故貝塚爽平先生(東京都立大学)、松田時彦先生(東京大学名誉教授)といった方々が、「大物」として、学会を引っ張っておられました。
しかし、私は現地調査に行く際、今でも70年代~80年代に出てきた論文を今でも参考にしています。阪神・淡路大震災以降、活断層の研究は盛んに行われましたが、特定の断層の解析結果、年代測定法の精度向上や音波探査そのものの発達に関する、専門分化した分野にはやけに詳しい論文が多く生産されるようになりました。
かつての論文は、その調査結果から見えてくる世界観、自然観が見えてきました。大局観があったのです。
最近、地質学会に入っている同僚、上司、業界の人は、地質学会誌は内容も雑誌も薄くなった、枝葉末節ばっかりだ、という嘆きをよく耳にします。私がよく読んでいた地理学評論も、最近は博士課程、オーバードクターのいわゆる「就活」のための「実績」を積むために2年くらい先まで掲載論文が決まっているという話を聞きます。その論文も、本当に独創性があるかといえば、たいがい「大物」の先生の研究の一部です。つまり先生の右腕とはなっても、それ以上にはなれない。
そういう、あんたこそ小物じゃないかといわれればそれまでですが、このブログで内容のオリジナリティは確保しているつもりです。
最新の画像[もっと見る]
-
デジタルブック第四紀地質学 14年前
-
考える原点は色鉛筆 14年前
-
宝石は、女性の最良の友 - B.W.ピプキン・D.D.トレント著「環境と地質」より - 14年前
-
Field Geology Illustrated 14年前
-
無名の工匠 14年前
-
三渓園の建築と風景 14年前
-
七面山登山 - 日蓮宗と岩盤クリープのシンボル - 14年前
-
人生ゲーム最新版 14年前
-
日本列島”お豆腐”論 14年前
-
アイスランドの火山噴火と歴史 14年前