[今週の防災格言]
『 あのときの私は、他の多くの人とともに自分が死ぬであろうとは、
また、これまでの短い一生、<WBR>これからの長く大きな可能性のすべても
今ここで私とともに失われるとは、<WBR>少しも頭に浮かんでこなかったの
だから不思議である。
あのときの状態を考えれば、生きるよりも死ぬほうが、
より大きな安らぎをもたらしたであろうに。 』
小プリニウス(AD61~112 / 古代ローマ帝国の文人 元老院議員 学者)
AD79年8月24日、イタリア・<WBR>カンパニア州にあるヴェスヴィオ(Vesuvio)火
山が大噴火し、古代ローマ帝国のポンペイ市(当時の人口2万人)<WBR>は10mの
火山灰に埋もれ壊滅した。その後、<WBR>歴史とともにポンペイの災害は忘れ去ら
れたが、1700年後に遺跡が偶然発見されることになる。
この災害で伯父(大プリニウス)を亡くした甥の小プリニウス(<WBR>ガイウス・
プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス / Gaius Plinius Caecilius Sec
undus)は、<WBR>友人のタキトゥスの求めに応じ伯父が亡くなった時の様子を書
簡にしたためて送っている。<WBR>今ではヴェスヴィオ火山噴火を知る貴重な資料
となっている。格言は、塩野七生著『ローマ人の物語 VIII 危機と克服』(
新潮社 1999年)第六章より。
『 あのときの私は、他の多くの人とともに自分が死ぬであろうとは、
また、これまでの短い一生、<WBR>これからの長く大きな可能性のすべても
今ここで私とともに失われるとは、<WBR>少しも頭に浮かんでこなかったの
だから不思議である。
あのときの状態を考えれば、生きるよりも死ぬほうが、
より大きな安らぎをもたらしたであろうに。 』
小プリニウス(AD61~112 / 古代ローマ帝国の文人 元老院議員 学者)
AD79年8月24日、イタリア・<WBR>カンパニア州にあるヴェスヴィオ(Vesuvio)火
山が大噴火し、古代ローマ帝国のポンペイ市(当時の人口2万人)<WBR>は10mの
火山灰に埋もれ壊滅した。その後、<WBR>歴史とともにポンペイの災害は忘れ去ら
れたが、1700年後に遺跡が偶然発見されることになる。
この災害で伯父(大プリニウス)を亡くした甥の小プリニウス(<WBR>ガイウス・
プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス / Gaius Plinius Caecilius Sec
undus)は、<WBR>友人のタキトゥスの求めに応じ伯父が亡くなった時の様子を書
簡にしたためて送っている。<WBR>今ではヴェスヴィオ火山噴火を知る貴重な資料
となっている。格言は、塩野七生著『ローマ人の物語 VIII 危機と克服』(
新潮社 1999年)第六章より。