忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

大震災、道徳教育を考え直すきっかけに

2012年05月04日 | 東日本大震災と道徳教育
◆震災後の若者の意識変化を知ることの重要性

内閣府の調査結果で見たような、震災後の意識変化は、とくに若者のあいだでどのように表現されているだろうか。

日本人て、なんですか?』は、竹田恒泰と呉善花との対談本であり、2011年11月3日に出版された。この中で呉氏は、ご自身の担当授業で大学生たちに震災についての思いをレポートさせたという。それらの多くが、自分の何かが変わったと述べた。それまでの自分の見直しがなされ、これまでの生き方についての考えが変わった、何か社会や人に役立つことをしたいと思うようになった、日本人であることを誇れるようになった等の感想がかなりになったという。

この本で語られているように、震災を経験したり見たりした若者たちの共通の想いは、「物よりも金よりも人の絆です。家族もそうですし、友だちもそうです。物が一切消え失せても、人間関係だけは残ります。そのことを強く知らされました」というものであろう。

インターネット上でも、震災後の意識の変化を語る若者たちの言葉は多く見つけ出すことができる。前回紹介した調査以外にもいくつかの調査が行われている。震災をきっかけにして若い世代の意識がどのように変化していったかを把握することは、今後の日本の道徳教育のためにもさまざまな意味で欠かせないことだと思う。

◆震災で日本人がとった行動を知ることの重要性

次に、上記の本から、竹田氏が金沢の友人から聞いたという感動的な話を紹介したい。

その友人は、地震直後に米、塩などをトラックに積んで被災地に運んだ。自分で調べると石巻の小学校が救援物資が足りないことが分かり、そこに向かった。ところが、そこの代表は「ありがたいが、自分たちは食糧が足りているので、この先の山を越えた村へもって行ってください」と言う。それで言われた村に行くと、今度はその村の人が「この奥にまだ物資が足りない避難所があるので、そちらへ」と言う。それで言われたところへ行くと、また同じように「うちは足りているので、この先の‥‥」と言う。

同じようなことが繰り返され、巡った場所がなんと11か所になり、12か所目の女川方面の村でようやく救援物資を受け取ってもらった。地元の被災者たちは、涙を流がしながら、拝まんばかりに感謝の気持ちを示してくれたという。

友人がその後、家に帰ってテレビを見ていると、ちょうど「うちは足りている」と言っていたいつかの避難所が紹介されていた。それを見て彼は驚愕したという。そこの人たちが、一日おむすび一個という状態で耐えていたのだ。足りていると言いながら実は足りていなかった。おそらく11か所の避難所は、みな同様の状態だったのである。

実際にこれに類する譲り合いやいたわり合いの精神は、被災地の各地に見られたであろう。個々の避難所でも、秩序が保たれ、少ない物資をみんなで分け合って耐えていた事実が数多く報告されている。

震災中、あるいは震災後に人々が互いに相手を助けたり、いたわったりするためにとった行動は、もちろん無数に存在しただろう。語られぬまま、記録されぬまま消え去ったものも数知れないだろう。しかし、出来るだけ、人々がとった美しい行動を集め、記録しておく必要があると思う。

それらを読んだ若者は、読むことを通してさらに自分たちの生き方を考え直すきっかけを得るかもしれない。教師は、それらの中からいくつかを使って中学校の道徳の時間を有意義なものにすることができるかもしれない。

私たち日本人の「原体験」ともなるであろう東日本大震災、これからの日本人や日本のあり方を大きく変えるきっかけになるかもしれない大震災、これをきっかけにして日本の道徳教育そのものを考え直さないとしたら、日本の道徳教育は形だけのものになってしまうだろう。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
日本の大転換 (集英社新書)
資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか
日本人て、なんですか?
日本復興(ジャパン・ルネッサンス)の鍵 受け身力
日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)

(Noboru)